産むとは何か?:合気道的に「うまずして何が女性か」問題にいっちょがみしてみる
静岡県知事選の女性向け演説で外相が「この方を私たち女性が(知事として)生まずして何が女性でしょうか」みたいなことを言って、
ジェンダー的な配慮が欠けているとして問題視する声があがったり、なんかタイトルがちょっと攻めてたりして各所で燃えているらしい。
今回は「産む」とは何かについて語るフリをして合気道のことを語ろう。
産むとは「むす」である
産むという字は「むす」とも読む。
苔が発生していく、苔むすとかも同じ意味で「むす」を使っている。
合気道においては「ムスビ」という使われ方をしていて、漢字だと「産霊」だ。
霊とは力の事で力を産み出すから産霊。
合気道開祖が極意的な意味でも使っていた『武産合気』は武の技を無限に生み出せる合気道みたいな意味を持っている。
反対の物から新しいものが生まれる
もちろん男女がそうであるように、異なるもの同士が合わさることで新しいものが生まれてくる。
これは別に生命に限った話ではなくて、合気道であるなら相手と自分が合わさることで生まれてくる技があるし、新しいアイデアなんかも異なるもの同士をくっつけたりして生み出されて行く。
つまり合気道的には別に女性だけが何かを産むわけではなく、人というのはそもそも対立することでも何かを生み出しているわけで、あらゆる生命は何かを生み出しながら生きている。
そして合気道はこれを基に身体で技を生み出す楽しみを稽古している。女性がどうとかではなく、みんなが生み出す力を持っているのだ。
やろう、合気道
結局のところ今回の問題はメディア、外相、あるいは女性の支援者たちが合気道をやっていなかったことに起因する。
全員が合気道をやっていればこんなことにはならなかった。
合気道さえしていれば某外相も「この方を私たち女性が生まずして何が女性でしょうか」とは言わずに「合気道最高!」と満面の笑みで述べるに留まったに違いない。
メディアの記事も「合気道やはり最高だった」みたいな感じになっただろうし、全人類は一刻も早く合気道における生み出しの楽しみを知るべきである。
ビバ合気道!
マツリの合気道はワシが育てたって言いたくない?