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「心理」の話。

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2018年4月の記事一覧

集団会話の「トピック」をめぐる聴覚障害当事者研究

私は、高校を卒業するまで「1対1会話」の世界を生きていました。 「1対1会話」というのは、複数の他者の音声日本語の発話を聴き取ることが難しいため、他者の口唇運動を一人ずつ読み取って発話内容を推測する方法(読唇)で話を聞く必要があったからです。 日本語は、聴覚で受信すれば50音に分けられますが、視覚で受信すると50音が15パタンになってしまい、いわば「同口異義語」のようになってしまうのです。例えば、「いう」「きく」「いす」「りゆう」「ニーズ」「しる」「ひる」「にく」「ひふ」

聴覚障害児にとって「聞こえる子ども」の存在とは?

このタイトルは、私が大学生の時に「宮城県難聴児を持つ親の会」からのご依頼で寄稿したものです(宮城県難聴児を持つ親の会 機関紙「坂道」 第78号, Pp.8-9)。 寄稿したきっかけは、当時の親の会に所属していた親御さんの方々との語り合いで「聞こえる子ども」との関係への捉え方に気になることがあり、浅学非才の身でありながらしかし勇気をもって書いてみたものです。 以下の文章に友達Aが登場しますが、彼のことを非難するものではなく、彼とつながれたことに感謝しつつも、当時のインテグレ

「語り」とは零れ落ちるもの。

「語り」は、語ってほしいと言われてすぐできるようなものではないですし、ただひたすら待てば出てくるというようなものでもないと思います。 とりわけ、その「語り」が、語り手となる人自身にとってある一種の苦悩をもたらすような場合は。 その人が語る人になるというのは、「(あ、この人なら/この場なら)語ってもいいな」と「語る主体」になることを意味すると思います。 その人の「語り」を聴く人は、何かを「聴く」ことから始めるのではなく、その人が何かを語る主体になるまでの“身体”の変化(微