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映画「ギレルモ・デル・トロのピノッキオ」とDisney版「ピノキオ」を原作と比較しての考察と解説。

何故何度もリメイクされるのか。

ここ数年でも「ライフイズビューティフル」のロベルト・ベニーニが邦題「本当のピノッキオ」を作ってるし、それより前だと、スピルバーグの「A.I」もピノキオのSF化ともいえる。
人形が経験を積んで人になる。その経験の部分で重要視されるものが時代によって変わり、監督の思想に影響されるから様々な「ピノッキオ」が誕生する。
だからここで原作の「ピノッキオの冒険」についてまとめてDisney版とデルトロ版の違いについて語ろうと思う。

勤勉と勤労を重んじる原作

原作は1883年のイタリアで出版された。
当時イタリアは工業化によって土地を失った農民が国外に移民し、
国内では労働者が不足し始めていた。
ピノッキオは外の世界で騙されひどい目に合う移民や国内では娯楽を餌に奴隷にされる人々、もしくは働かずに遊んでばかりいる人々の風刺になっている。
実際にピノッキオは猫と狐にだまされ金銭を奪われてしまう。
ゴリラの裁判官に被害を訴えるけど、その土地の奇妙な法律
「愚かである罪」によって逮捕されてしまう。
ここまでにも教科書売ってサーカスに行ったり、騙されて殺されたりしている。
移民の悲劇的ストーリーが元ネタになってる。
その後ピノキオを妖精の元で一年間学業にいそしみ、優秀な成績で卒業する。一人前になれる。つまり人間になれるのに友達のキャンドルウィックと一緒におもちゃの国に行ってしまう。そこでロバなって、奴隷として売られる。
ロバは愚かさの象徴とされてる。英語でも「ドンキー=バカ」
(関係ないけどシュレックのドンキーもバカっぽい顔してるやん?)
ピノッキオはいろいろあって助かる。農夫のところでまじめに働き始め、自分の為だけでなく他人の為にお金を使い人間になる。
(ここまでにも巨大な魚に飲まれてゼペットを助けたり、農家で過労死しているロバのキャンドルウィックと出会っている。)
要はこの当時のイタリア人の悲劇を勤勉と勤労によって回避しようと提案している。これがこの時代の「善き行い」だ。
だけど「善き行い」とは何だろうか。次は1940年のDisney版ついて語る。

愛されるためには何が必要か

1940年は子供向けに作られた映画でちょうど第二次世界大戦の最中だ。
ストーリーは大して変わらない。残虐な描写がなくなっているのとピノキオが無垢な存在になっているだけだ。
ただピノキオは勤労と勤勉によって人間になるわけではない。
自分の命をなげうって親であるゼペットを助ける事で人間になる。
その勇敢さに感動した妖精が彼を復活させ、良心の役割を果たしたジムニーには勲章を与える。
つまりピノキオは兵士となって強大なクジラと戦って親を守って死んでいく。
原作ではクジラ的な魚からはマグロに助けてもらっている。映画では食料になっている。ピノキオは機転と勇敢さで脱出する。
時代によって「善い行い」が変わっている。この映画では「勇敢である事」が「善い行い」だ。
じゃあデルトロ版のピノッキオはどうか。

デル・トロ再びディズニーに挑む。

このギレルモ・デル・トロという監督は「パシフィック・リム」で有名になって「シェイプ・オブ・ウォーター」でアカデミー賞をとった。「シェイプ~」は「美女と野獣」に対立した作品になっている。
野獣になった王子と美女が心通わせ、王子に戻り美男美女のカップルが成立する。「人は見かけじゃない」っていうのがテーマなのに。
「シェイプ~」は清掃業で自慰行為で寂しさを紛らわす中年女性と最初から魚人との恋物語だ。はっきり言えばブスとブサイクだ。
でも感動する。美女と野獣よりずっと愛を感じる。

で、このピノッキオもDisney版とアンチテーゼになってる。
Disney版と同じくミュージカル要素が多い。
マッチ箱で眠ったジムニーとマッチ箱で永眠するセバスチャン。
子供が欲しいと星願ったゼペットと子供を返せと呪ったゼペット。
ピノキオとピノッキオが純粋なのは同じだ。
デルトロ版は二つの世界大戦の間の時代設定だ。ピノッキオは勇敢な兵士を求める宣伝に利用される。
実の息子すら兵士として戦えと、それが「善い行い」であるかのように言う「大人」に反抗する。
ピノッキオは時として嘘さえつく。
ゼペットはなくした息子「カルロ」じゃないと嘆くが、いつからかピノッキオそのものを愛しだす。
無限の命を投げうってゼペットを助けたピノッキオの復活はセバスチャンの愚直さを対価に与えられる。愚かさが罪だった原作やDisney版とは違う。
ピノッキオは人間として復活しない。
生まれたままの不格好な木の人形として生きていく。
80年前とは思えない作画で滑らかに愛らしく動くピノキオより
どこかぎこちなく感じてしまうストップモーションアニメで感情豊かなピノッキオに感動を覚えてしまう。
美しさは正しさを意味しない。取って付けたようなポリコネよりもよほど心を打つ作品だった。

備忘録

映画としてデルトロ版が勝ってるんだけど、ピノキオは凄い。この時代に観ると人間としての復活や勇敢さが嘘くさいだけでアニメーションに関しては引くぐらいキレイ。90分くらいだけど、口開けてる間に終わった。

両方とも原作からエピソードをうまく引用してる。
原作ではコオロギはピノッキオにハンマーでつぶされて死ぬ。
そのせいでどっちの映画のコオロギもハンマーにひどい目にあわされる。
原作でピノッキオを騙す猫は目が見えないふりをして騙す。最後は本当に目が見えなくなってしまう。
それがデルトロ版ではスパッツァトゥーラの片目に移動してる。
人形を使ってしか話せなかったり権力に屈したり嫉妬したりと人間味がある。

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