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これまでも、これからも、積み上げていくのでしょう。

引っ越し準備を進めていたら、慣れない力仕事で腰と背中の一帯を痛めたらしい。屈むときはもちろん、背筋を伸ばすときですら腰を中心に鈍い痛みが走る。これはまあ仕方ない。普段から引きこもり生活を続けていたツケだなと、大人しく受け入れることにした。

ここ数年で、物を手放すことに関してはかなり潔くなったと思う。物に対する変な情、みたいなものを自ら振り払うことが、できるようになってきた。せっかく手に入れたんだから、なんてことより、家の中が使わないものばかりで溢れていく様を見ている方が、よっぽど耐えられなくなってきた。この感覚は、一人で暮らしてからようやく身につけたものだ。

4年限りの住まいだと割り切って、私は極力物を増やさないように努めてきた。今それがなくても生活できているということは、これからもよほどのことがない限り必要になることなんてないのだ。4年かけて集めてきた化粧品も、通販で爆買いした服も、結局そのほとんどを捨ててしまった。
最終的に、段ボールの中身は引っ越してきた当時と大して変わらないラインナップとなった。


ただひとつ、4年間で圧倒的に量が増えたのにどうしても減らせなかったものがある。本だ。

高校生まで、私は自分で本を買うことがほとんどなかった。親が大量に持っている本(梨木香歩、江國香織、上橋菜穂子などなど)だけで読むものは十分にあったし、あとは図書館で気になった本をつまみ食いする程度だった。だからここに持ってきた自分の本はほんの数冊で、小さな段ボール1箱分にすら満たなかった。

それが今、漫画を含め紙の本の数は段ボール5箱分を超えてしまっている。小説に関しては圧倒的文庫派なので単行本はたったの2冊しかないのに、だ。
もちろんシリーズで揃えた漫画の冊数も数知れないけれど、小説も4年前に比べるとずいぶん増えた。高校生の頃から好きな瀬尾まいこさんの文庫本はいくつも買い足したし、星野源のエッセイもちゃんと揃えている。そのどれもが、手放すにはあまりにも惜しい思い入れのある本たちだ。

私は電子書籍で小説を読むことがない。同じく漫画も、気に入ったものは必ず単行本を入手するようにしている。

言葉の物理的な重みを感じることができるのは、紙の本の醍醐味だ。
やっぱりアナログがいい。|皐月まう

データではなく紙に印刷された文字、という媒体だからこそ、「本を読んでいる」という体感ごと物語を楽しむことができる。そんな気がする。
何より本屋さんに並ぶ本に出会い、本を手に取り、その時々の場所で本を開いた思い出まるごと、紙の本には全てが残される。自分の本棚に並んだ本を眺めるだけで、その本にまつわる記憶ごと物語が呼び覚まされるのだ(積読も含む)。

だから私はいつまでも紙の書籍を読み続けたいし、人生の記録として本を残していきたいのだ。自分の本を作りたいと思ったのも、紙の本に対するこの執着めいたものが理由の一つでもあるのかもしれない。


よく小説に描かれる、「荷物が少ないので段ボール6箱分に全てが収まった」なんて登場人物に、私は一生かけても共感できないのだろう。
というか、そんな人本当にいるのだろうか。作者自身も本だけは山ほど持っているはずだから、作者の想像によって生み出されたイマジナリーミニマリスト、みたいな存在なのではなかろうか。
いや、ひょっとすると本物のミニマリストはもっと荷物が少ないのかもしれない。世の中は想像の範疇を平気で超えてくるもので溢れているから。ただ少なくとも、私はこういう人にだけは決してなれないのだろうな、と思う。

きっとこれからも、素敵な出会いを重ねるたびに本の数は増え、段ボールも重たくなっていくのだろう。それはどんなに腰に響こうが、ちっとも煩わしいことではない。むしろ、私にとってはこの重みこそが、本と育んできた愛の証なのだから。



ひとり暮らしのうちに書いておかねば!と、またまた参加させていただきました。
メディアパルさん、何度でも楽しめる素敵な企画をありがとうございます。

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