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母も、書けばいいのに。

私が5歳の頃に母が書いた、エッセイを読んだ。
先に記しておくと、母はいわゆる「書く人」ではない。母は読書量だけは人一倍ではあるものの、自身が書いたものを私はそのエッセイ以外に読んだことがなかった。

母は私が生まれる前から、児童文学メインの同人雑誌『鬼ヶ島通信』を購読している。かつては今では信じられないほどアクティブで、時たまメンバーのパーティーにも参加していたらしい。『がんこちゃん』シリーズの末吉暁子先生や、『コロボックル』シリーズの佐藤さとる先生、村上勉先生が創刊し、錚々たるメンバーによって編集される雑誌だ。

超一般主婦の母がなぜそんな輝かしい場にいたのかは永遠の謎だけれど、母はその錚々たるメンバーの方々に相当かわいがられていたらしい。ある日、佐藤さとる先生に「書いてみてよ!」と半ば強引に頼まれ、母はエッセイを書いたという。私からすれば喉から手が出るほど羨まけしからん機会である。


母の文章は、私の文章にそっくりだった。いやむしろ私の文章が、母の文章に似ているということか。

文章のリズム感、句読点のバランス、文章の展開。そのどれもがしっくりきた。まるで自分が書いたかのように違和感がなかった。自分の文章なんて特徴もないし誰にでも書けると思い込んでいたけれど、こうも似たものを読むと私にも私なりの個性があったのか、と気づかされる。

確かに私は、母の読んだ本をなぞるように読んできたと思う。エッセイにも当時5歳と2歳の私たち姉妹が『コロボックル』に触れる様子が綴られていたし、小説を読むようになってからは母の本棚から本を借りることも少なくなかった。それにしてもこんなに似るものなのか。我ながらこれぞ母娘、と思わずにはいられない。


それでも母は、冒頭でも記した通り普段は全く書かない人だ。昔は作家になる夢を持っていたのに、その夢はなぜか丸ごと娘の私に託したっきりだ(託された私はというといつまでも趣味で呑気に書いているだけなので申し訳ない)。
けれど子育ても終わり、自分の親の世話をする中で羽生結弦を追っかけている専業主婦の母は、十分書く余裕があるように見える。

母はパイプが強すぎるのだ。狡いけれど、その人脈を活かせば仕事にできたかもしれないのに、私なら喜んでそうするのに、といくら言ってみても、母は才能がないだなんだと言って私のように趣味ですら書かないままでいる。

自分に才能がないからと足踏みしてしまう気持ちは、正直わかる。でも、何もしないうちに才能がないからと諦めるのはやはりもったいない。何より突然頼まれた文章をそれなりのクオリティで仕上げることができたんだから、磨けば光る可能性はあるはずなのに。

あるいは本物の作家さんたちと関わりが深すぎて、自分には無理だ、と切に思わされる何かがあったのかもしれない。だけどnoteで身近に作家デビューする方々を見ていると、やってみるに越したことはないのに、と惜しい気持ちになってくるのだ。

そうこうしているうちに、今では良くしていただいた先生方がほとんど亡くなってしまわれたのが悔やまれる。だからこそ、私は公の場で堂々とこの話ができるのだけれど。

何かを始めるのに遅すぎることなんてないのだ。年齢制限も特別な道具も体力もいらない、書くことなんか特に。
当分の目標は母に一歩踏み出させることかな、なんてことを考える、年始の帰省中の出来事であった。


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