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40 太陽と月☽ 陽と陰☯

太陽と月。
対にして語られることが多い。
どちらもたいして知らなかったから学ぶことにしたのは数年前。
皆が「月」をどう受け止め、どう扱っているのかの情報を集めることにしたのだ。
それで全体の傾向を自分なりに分析してみることにした。

ー*

見えない世界に足を踏み入れようとしていた頃。
ある日、親友が連れてきた女性(共通の古い知人)によって新たな世界を知ることになった。

「グレートコンジャンクション」
「土の時代」「風の時代」
「四柱推命」「占星術」「タロット」

そんな初めて耳にするコトバたちが女性の口から飛び出す。親友も私よりも遥かに詳しくて、その日は三人で時間を忘れて大盛り上がりしたのを忘れない。
帰り際、その女性が「マイカレンダー(雑誌)を買って帰る」と言うので私もパラパラと中身を見てみた。
何が書いてあるのかまったく意味がわからなかったけど、なぜだか私もその雑誌を抱えてレジに向かっていた。
この雑誌の中でスッと私の中に入ってきた文章が一つだけあった。“マドモアゼル・愛先生”の書かれた特集記事だった。それが愛先生との初めての出逢い。(一方的だけど😆💦) 
未だに占星術には詳しくないけど、お人柄と精神世界への理解、人としての達観ぶりに脱帽。
あれからというもの、愛先生ひとすじ♥

***


さて、“見えない世界”に入門してから、色んな方面を見渡して私が手に入れた「月」の情報はだいたいこんな感じ。

・占星術における月星座は「本当の自分を表して
 いる」とか。
・占星術師マドモアゼル・愛先生の提唱する月理論
 において「月は自分の欠損を表す」とか。
・新月セラピー、満月セラピーというものがある。
・満月の大きさがその時々によって大きくも
 小さくも見える。(見え方の錯覚を起こす)
・アポロ計画で月へ行ったといわれる歴史がある。
・比較的新しい天体。
・月は表の顔しか見せない。
・月の中身はスカスカだとか。
・女の子の日のことを「月のもの」と言う。
 月の公転周期と一致しているとか。
 女性のカラダのリズムと一致しているとか。
・潮の満ち引きと連動するとか。
・月によって重力が発生しているとか。
・満月の日の交通事故率が高いとか。
・新月の日に切った竹は1000年持つとか。
・臓器を示す漢字には“にくづき”のへんが付く。
・お月見は、月を直接見るのではなく水面や
 お猪口の中に映して楽しむのだとか。
・日本神話で、イザナギのみで三神(アマテラス、
 スサノオ、ツクヨミ※)を生んだ以降、ツクヨミ
 だけはその後一切登場しない。
      ※ツクヨミ:夜を司る神様


私が今思いつく、月に関する情報だ。
それぞれにそれなりの理論や証拠、言い伝えなどがあって、各々があらゆる受け止め方をしているみたいだ。
公平を期す為、あらゆる方向から情報を挙げようとはしたものの、一方に偏ってしまった気がする。たぶん私自身の月に対する見方にやや偏りがあることが露呈したのだと思う😥
でも意識しているか否かは別として、列挙した項目を見る限り、総じて人類は「月に多大な影響を受けている」「月に興味を奪われ、意識を奪われている」ということなのではないだろうか。
   

*

私は今、月を眺めることはあまりない。昔ほど夜に出歩くことがなくなったというのもあるけど、「月を意識しなくなった」というほうが近い。なので、とりわけ“避けている”というわけでもない。
実は毎夜、月を眺めていた時期がある。
それは、月に関する情報を集中的に集めていた時で、まさに「月の影響を受けていた」時期と合致している。

上に記した愛先生の月理論は、“月は、自分の太陽としてのエネルギーを奪っていく”というもの。
占星術においての“月は自分の欠損を表す”との提唱を自分なりに解釈し、実行に移した結果、納得した。疑いようがなかった。完璧な理論だと思った。

「月は本当の自分」なんて思ったまま生きると、死ぬまで月に惑わされた人生を送ることになる。
月の作用に気づき、太陽で生きなければ、死ぬまで月に影響されながら生きることになる、ということが分かったのだ。
そのためには、私がよく記事の中でも言っている「自分の底を見る」という作業。
月理論はこれを進めるための心強い道しるべになった。

「自分を知る」を実践するのに、別に愛先生の月理論じゃなくてもいい。自分の見つけたやり方で底に潜れるならそれをお勧めする。
でも、最終的にはどんな方法を使っても必ず「底を見る」こと。
「底を見る」というのは、厳しい言い方だけど“自分は間違っていた”と認めるということだ。その作業を経ないと、おそらく軌道修正はできない。
かなり勇気のいる作業だ。

口先だけで自分の愚かさを認めたとて、自分にも他人にもエネルギーを通してバレる。必ずそれは目の前で見せられるし返ってくるから。
心底「あぁ…これが悪かった」と気づけると、その後、運命が本来の道に沿って動きはじめることになる。
誰がどこで見ているのか…、そう舵を切った途端、
コロッと風向きは変わる。不思議なもんだ。

逆に、それができないと見えない力でもってその場に足止めを食らうか、さらに堕ちてゆくか。
諦めて、見たくない自分を見つめてみる。
すると、陰極まれば陽に転ずる。
しかし勿論、陽極まれば、陰にも転ずる。
永遠に晴れの日は続かない。
雨の日も、嵐の日も、、。雪だって降る。
それをどんなふうに受け止め、味わうかだ。
良くなろうとすると、悪くなる。
悪いと認めれば、良くなってゆく。
「良くなろう」「悪くなりたくない」の二択で考えているうちは、ループから抜け出せない。
この世の面白いしくみだ。

*

ちなみに、この陽と陰。
またまた対として語られる代表格だ。
私は長らくこう思っていた。
自分の「陰」を取り込み、統合することで陰陽☯のバランスが整う、と。
それを目標に様々なことに取り組んできた。
自分の歩んできた道のりを振り返っても、やっていたことは間違っていなかった。
しかしながら、統合前と後では、思い描いていた「絵」と若干違うことに気づいた。

陽と陰。
当初、二つのものをまぜまぜして、このように→☯バランスが取れた球体にしなければならないと思っていた。
つまり、、

陽のアユミ50%+陰のアユミ50%=統合完成☯✨
 
と思っていたのだ。だってパッと見、この陰陽太極図ってそう見えるから。どちらも受け入れたら、アンバランスな自分がハーフハーフになって整う✊みたいに思っていたのだ。
でも、現在の私はちょっとそーゆー感覚ではない。
「陰の部分」を受け入れて混ざりあった後、「陰」が消え去ったのだ。
これ、伝わりますか?

「陰の部分(=月“欠損”)」を見ず蓋をしている間は、欠損として自分の中にドンと居座るけど、取り込んで一体になった瞬間、どこを探しても「陰」が見当たらない。 消えて無くなった感覚。
だから私は今もこんなにもアンバランス。でも自分に対して不足感はない。
勿論、性質としての陰陽は健在だけど、「欠損」という意味での「陰」は見当たらないのだ。

例えば、、卵を割ったら黄身と白身に分かれているけど、まぜまぜしてオムレツにしたら、なんか違うものになる。そこには、黄身らしきものも白身らしきものも形を変えて無くなってしまう。
黄身だけでも白身だけでもオムレツはできない。
やっぱり美味しいオムレツを作るならまぜまぜしないと✊😆(←なんか話が食いしん坊へ😳💦)

まぁ、でもつまり、どちらか一方だけではなくて、まぜまぜすると過去の自分とは全く異なるたまご料理が完成してしまう。あ、いや「全く異なる私」が完成する、かな✨
完成すると言うより、厳密に言うと生まれたての真の自分に戻る。
ちなみに、「じゃあこの図☯の白黒が半分ずつの配分はどーゆー意味なんだ?😒」ってのは、おいおい見つけようと思う。これは平面図だしね。角度が変わればアンバランスなはず。
要は、今まだ私はこの段階。

えっへん✨ひと味違う☝️うさ子のオムレツ♥

「統合」って過去の私にとって、意味不明なものだった。けど、確かに、なかなか一口に言えないのだろうし、覚醒であれ統合であれ、どーせ、一生続くんだろうから、あまり概念や形にとらわれない方がいい。私は便宜上、「覚醒」や「統合」という言葉を使うが、正直どーでもいいのだ。
日本人と話すために日本語を話すのは当然で、そんな感じでスピリチュアル業界の言葉を使っていると思ってほしい😊
私だってまだまだ意識は拡大していくし、今の考え方さえ変化していくと思うから。

結局、やってみたら分かる。
たぶん、ゴールが無いから地図にできないのに、道順を記せるはずもないし、ましてやゴール風景を言葉にできるはずがない。
そして言葉で説明してもなんか違うし伝わらないと思う。。この伝えられらないという状態が、伝わったらうれしい。

入力(読書)も出力(記事)も追いつかない。。
アユミの脳内は穏やかに渋滞ちゅー。

今の私は、月からのエネルギーの影響など受けない。・・・と、言いつつ、今日こんな事があった。
実はこの記事を昨晩ベッドの中で読み返していて、そのまま寝落ちしてしまった。すると起床後、記事の前半部分がごっそりと消えていた。(←たぶん寝ぼけてた😰)
「キャーーー!うそーー😱」
みたいな。ただ、“冒頭から中盤にかけての流れが自分の中で納得いかなかった”のを思い出した。
だから強制消去は潔くて、むしろ良かった。

「記事を消去」なんて失態を久しくやらなかったのに。そーいえば、「月のことを考え始めるとなんか調子が悪くなる」と愛先生が以前仰っていたのを思い出した。
間違いない。月は人を惑わせる。
危うく月に引っ張られるところだった。
結果オーライだったからいいのだけど…。😌

生半可な気持ちで、無意識の自分で月に関わると
「映しの世界」で踊らされる人生を送ることになるのだ。
月(欠損)は意識的に捉えるとサッと消える。
意識の前で、無意識は存在できないからだ。
そして太陽の自分で生きはじめると、もはや欠損は欠損でなくなるのだと私は理解した。

🌙


時々、気まぐれに月を見上げる。神秘的で美しい。
美しいオモテの顔だけを見せてくれる月。
妖しげだ。
明日は満月らしい。仕方ないな。
意識的に魅了されておこう。
なんちゃって(*//艸//)♡


***
ご興味あれば愛先生の月理論☽どーぞ↓
とても丁寧な解説デス。『月は映し』

Ayumi☽

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