見出し画像

コスパのいい人生

コスパ。
コストパフォーマンス。
費用対効果。

コスパのいい人生を送れているか。
そう聞かれた時、私は相手が質問を言い終える前に「NO」と答えるぐらいにはコスパの悪い人生を送っている。

体育が苦手。
嫌なことに立ち向かわない。
好きなことばかりしている。
習い事が身についていない。
授業中は居眠りばかりしていた。

挙げだしたら枚挙にいとまがない。

まず体育が苦手だと体力がつかない。体力を身につける習慣を知る機会も減る。私の場合は運動全般が苦手だったので特にそうだ。体力は全ての源になる。「へへーん私は別に運動なんて好きじゃないし趣味でもないから別に体育なんて頑張らなくていいもーん!本ばっかり読んでたらそれでいいんだい」だなんて思っていたら大間違いである。本を読むにも絵を描くにも歌を歌うにも体力は必要である。体力がないとまず「よし、やるか」という気力が湧かない。スタミナか瞬発力か、種類はさまざまだがなんにせよ体力はあるにこしたことはないのだ。

嫌なことに立ち向かうためのマインドを整える訓練をしてこなかったのもよくなかった。先ほどの話にもつながるが私は体育の持久走やダンスが特に苦手で、常にこれらの行事を避ける選択をしてきた。その結果今は長い時間歩いて移動するのが大変疲れるしダンスができないとリズムに乗って動こうとしてもダンスとは呼べない滑稽な動作しかできない。理不尽なことに積極的に立ち向かって心を壊していけ!というのは暴論だがある程度自分側にもディフェンス値のステータス上げは必要である。逃げずに立ち向かう以外にもハードルを横にずらして通り抜ける、ハードルを潜って通るぐらいのテクニックは身につけておきたいところだ。

好きなことばかりしていても好きなことを極めることはできない。極めるだけが好きなことを楽しむ手段だとは言わないが、好きなことを最大限に楽しむためには好きなこと以外の分野からも知識や情報を得ていた方が全然楽しいことを私は知っている。
たとえば、私は顔ファンだと呼ばれるのを恐れて音楽を聴く時は絶対にバンドのメンバーの情報を入手しようとしなかった。しかし音楽を作っているのは人である。作っている人やエピソードのことを知って聴く音楽がもっといいものになることを30過ぎてから知った。
楽しいことを作っている人たちは、楽しいことを楽しいこと以外のものを材料にして作り上げている。せっかくならそんなバックボーンも知っていた方が楽しいことをより楽しく嗜むことができる。

習い事と学校の授業ももっと真面目にやっていたらよかった。ピアノは教えてくれた先生のやり方が合わず5年ほどで辞めてしまったが、弾き語りをするという趣味だけが残った。しかし真面目にピアノをやっていたわけではないのでテンポもテクニックもぐだぐだな演奏しかできない。かといって今から地道に頑張る気力もない。学校の授業は教養の塊なのでやる気がなくてもせめて起きて話ぐらいは聞いておくべきだった。忘れていても思い出すことはできる。寝ていたら聞いていないのと同じ、思い出すことすらできない。

このように私はせっかく与えられていた便利なチケットを有効活用することなくなんとなーく中身がカッスカスのしょうもない大人になってしまった。その結果、就活や新卒での就職といったライフステージごとに起こるイベントにもうまく乗っかることができず引っかかりだらけの人生で、便利なチケットを無駄に捨ててきたツケを払っている今日この頃といった人生である。
もちろんあとから経験を取り戻すことはできる。やり直しだってできる。だけど歳を取れば取るほど時間と手間はかかる。体力は年々衰えていくし心理学界隈では人間の記憶力のピークは20歳ごろであとは下降線を辿る一方なのだそうだ(10年以上前に聞いた話なので今は学説が変わっているかもしれない)。

もしコスパのいい人生という言葉が子どもの頃から思い浮かんでいたなら真面目に体育をがんばっていたし、嫌だなあと思うことでもできないなりにちょっとはやってみるぐらいはしただろうか。好きなものの嫌なところも受け入れて好きなものの材料にも触れてみたりしたかもしれない。眠くて授業が頭に入らないならせめて教科書に目を通すぐらいのことはして、習い事ももう少し真剣に頑張ったかな。

……そんなスーパー人間に簡単になれるなら誰も苦労しないな。全部頑張るのは正直無理すぎる。私だったら絶対途中で心か身体のどちらかがパンクしてしまうに違いない。でも実際やれてる人もいるんだよな。偉いなあ、みんな偉い。



文学フリマ岩手9に出ます!
6/16(日)に岩手県産業会館7Fにて!
エッセイ合同誌を出す予定です。
よろしくお願いします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?