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汎用性に、気をつけろ。

「エモい」という言葉を、ぼくはふだん意識してつかわないようにしている。

それはある意味「ヤバい」と同じで、その汎用性の広さに危険性を感じているからだ。
その一言に頼り過ぎてしまって自分のボキャブラリーが乏しくなってしまい、ひいては表現の幅を狭めてしまうのではないだろうか。
自分のこころが動いた瞬間。
こころはなぜ動いたのか、何に動かされたのか。
それをそのつど自分の言葉で表現することを疎かにしたくない。
「エモい」の内訳は、「エモい」の理由は。
自分の経験や思い出と照らし合わせ、こころの動きにフィットする言葉を何とかひねり出して当てはめる。
文章でも写真でも、その作業がエモさの正体にオリジナルの解釈を与えることになるし、そのプロセスに割いた労力の分だけ、それにたいする愛着や記憶の深みが増すのではないかと思うから。

誤解されたくないのだけれど、ぼくは「エモい」という言葉をつかわないと言っているだけであって、その存在や概念を否定したいわけではない。
むしろ、歓迎しているくらいだ。
自分が発信したことにエモさを感じてもらえれば嬉しいし、自分が何かにエモさを感じれば、今述べたようにその理由を探る。

抽象的なインプットを具体的なアウトプットに昇華することができた瞬間。
ときに苦しいけれど、その快感は一度味わったらなかなかやめられない。
気持ちよくて、ためになる。
そんなプロセス、踏んでみない手はないでしょう?


汎用性に、気をつけろ。


自分に言い聞かせて、これからも自分の言葉を探していきたい。

<おわりに>
偉そうなことを書いてしまいましたが、ぼくもついつい日常生活で「ヤバい」を連発してしまいます。
適切な言葉がさっと出てくればいいんでしょうけれど、そのときのこころの動きを急ぎで表現しなければならないときには、こういった言葉は非常に便利なんですよね。
Twitterのようなスピード感のあるSNSならなおさら。言葉を選んでいるうちにTLはどんどん流れていってしまう。
できるときにはすこし時間をかけて、自分のこころの動きをうまく形容する習慣を身につけたいですね。

本日もさいごまでお付き合いいただきありがとうございました。。
「みんなのフォトギャラリー」に投稿する写真をポストして、失礼します。

もっと「エモい」写真がないか探したんですけどね。笑

「だいすーけ」で検索していただくとこれまでのものもすべて出てきますので、記事のテーマに合いそうなものがあったら使ってやってください。

ではではみなさま。
すてきな週末を。





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