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おばあちゃん孝行ができなかったから。

 先日、祖母が亡くなったときのことを思い出していました。
 もう20年ちかく前のことで、肺がんでした。
 65歳。まだまだ若かったのに。

 大学生の春休み。
 明け方。電気部品を造る地元の工場で深夜バイトをしていたぼくに、涙声の妹から電話がありました。

 「おばあちゃん、死んじゃったよ...」

 入院していた病院も近くで、お見舞いにもよく行っていました。
 たしかに最近すこし調子が悪いとは聞いていました。
 でも。
 つい最近も行ったばかりなのに。ふつうに話をしたのに。

* 

 ちかくに住んでいた伯父の家で、亡くなった祖母と対面しました。

 きれいな顔をしている。
 おでこのしわも、いつもどおりだ。
 今にも目を開けて起き上がってもおかしくないんじゃないか。
 そう思いました。

 思いました。けど。

 胸のあたりで組まれた祖母の手に触れた瞬間、そんなことはもうあり得ないのだということを、理解しました。

 おばあちゃん、冷たいなぁ...。

 そう思った瞬間、視界がぼやけ、涙が頬をつたい、声にならないうめきのような声が聞こえてきました。
 それが自分の嗚咽だったことはすぐにわかりましたが、そんな声を出して泣いたことがあっただろうかと、変に意識がそちらに行ったことを覚えています。

 身内が亡くなるということをはじめて経験したということもあるでしょうが、こんなに泣けるのかと思うくらい、号泣しました。
 妹の電話があってから、実際に祖母に会うまで一切泣かなかったのに。

 祖母との思い出が頭の中を行き来しました。
 怒っている顔はまったく浮かびませんでした。
 いつも笑顔でぼくに接してくれた大好きなおばあちゃんしか、そこにはいませんでした。

 ひとしきり泣いたあと、母に言われたことがあります。

 おばあちゃんは、入院したときからもう長くないって言われてたの。
 でもあんたが一番おばあちゃん子だったから、もう長くないって、どうしても言えなかったの。ごめんね。

 母。おじ、おば、いとこたち。

 みんな、知っていたのです。

 ぼくが幼稚園を卒園するすこし前に、両親が離婚しました。
 近くに住んでいた祖父母の家で、母と妹と一緒に暮らすことになりました。
 たしかにぼくが、一番おばあちゃんに甘えていました。
 子どものころのぼくは、おばあちゃんのやわらかーい二の腕をたぷたぷするのが好きでした。
 今では考えられないけれど、たばこのおつかいにも行っていました。
 「まいるどせぶんえふけーいっこください」と、意味もわからずに買っていました。
 「あんたは勉強ができていい子だね」と、いつも言ってくれました。
 大学に合格したときも、一番最初におばあちゃんに電話で報告しました。
 とっても喜んでくれました。
 おじいちゃんももちろんだけれど、ぼくはおばあちゃんが、ほんとうに大好きでした。

 なんで教えてくれなかったのかと、あのときは母を責めたい気持ちでした。

 知っていたらもっとお見舞いに行ったのに。
 知っていたらもっと話をしたのに。
 知っていたら。

 どちらが正しい選択だったのかということではありませんし、今も納得がいっていないとか、そういうことでもありません。

 母の気持ちが、今はわかります。
 子どものころからべったりだったおばあちゃんが、そう遠くない未来にいなくなってしまうことを。
 いくら成人した息子にとはいえ、言うべきかどうか、たくさん悩んだのだと思います。

 そして何より母は、自分の母親を亡くしたのです。
 母の苦悩と悲しみに、ただ寄り添うこと。
 ぼくのするべきことは、それしかありませんでした。

 そんな母も昨年還暦を迎え、おばあちゃんの歳まであと5年だね、と言っていました。
 もちろんもっと長く元気でいてもらわないと困ります。
 こんどは自分がおばあちゃんとして、孫たちをかわいがってあげる番だから。

 先日は、ぼくの大好きだった、そんなおばあちゃんの、命日でした。

 おばあちゃん。

 おばあちゃんがいなくなって、もう20年ちかくになります。
 いまではママがおばあちゃんの亡くなった歳にちかくなって、ふたりの孫のおばあちゃんになりました。
 長い時間が流れたんだなぁと思います。
 ママの部屋にはおじいちゃんとおばあちゃんの遺影がかけてあるから、すぐに顔を見ることはできるけれど、やっぱりそのたびに思うことはあります。
 おばあちゃんが生きていたら、今80歳なかば。
 まだまだ元気でも、全然おかしくないんだよね。やっぱりちょっと、早すぎたよね。

 ぼくは今年40歳になります。孫が40って、びっくりでしょ。
 そんないい大人になって、最近やっとわかってきたことがあります。

 人はいついなくなってしまうかわからない。
 だから、後悔しないように、気持ちを伝えたり、尽くしたり、ちゃんとしておかなきゃいけないんだよね。

 おばあちゃん孝行ができなかったから、それは後悔しています。あまりにも早くとおくに行ってしまったから。
 もっと一人前になってからとか、そういうことじゃないんだよね。

 いつも笑顔で、かわいがってくれてありがとう。
 ちゃんと顔を見て言えればよかった。
 また会えたときに、いい子だったねって言ってもらえるように、ぼくもがんばります。
 だから安心して、まだまだゆっくり休んでください。
 おじいちゃんとふたり、いつまでも安らかでいられますように。
 とおくから、そう願っています。

 <おわりに>
 毎年、日に日に春を感じさせるこの時期になると、亡くなった祖母のことを考えます。
 子どものころの記憶は断片的なものでしかないけれど、祖母にはほんとうにかわいがってもらいました。初孫がかわいいのはあたりまえかもしれませんが、ガチ体育会系の母が厳しくて怖かった分よけいに、ぼくも甘えていたのだと思います。
 もちろん母をはじめ家族もそうですが、大好きだと、心から思える人がいるというのは、とてもしあわせなことなのだろう。
 この記事を書いていて、あらためて思いました。
 本日もお付き合いいただき、ありがとうございました。

 さいごにまた数枚、「みんなのフォトギャラリー」に投稿する写真をポストして、失礼します。「だいすーけ」で検索していただくと、これまでの写真も出てくると思います。よかったら、使ってやってください。

 明日は春分の日。
 それではみなさま、ごゆっくりお過ごしください。

いただいたサポートは、ほかの方へのサポートやここで表現できることのためにつかわせていただきます。感謝と敬意の善き循環が、ぼくの目標です。