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雨の日の匂いと大人とこども

雨は自然の匂いを際立たせる、

先日、東京は冷たい雨が降った。
玄関を出て、傘を携えて外階段を降りていくと、階段脇に植えてあるローズマリーの香りと雨で湿った土の香りが鼻をついた。

嗅覚は五感の中で人の記憶と最も結びついているらしい。わたしは、校庭で遊んでいた小さな頃のことを思い出した。

雨上がりの校庭で土の匂いを感じながら、靴が汚れるのもズボンの裾が濡れるのも気にせず走り回っていたこと。
鉄棒やジャングルジムで遊んだあとの、手についた金臭い匂い。
桜の花を嗅いでみても、桜餅の匂いはしなかったこと。

いつの間にか、そんな子ども時代は遠くに過ぎ去って、わたしは、雨の日の地下鉄のムワッとこもった匂いに辟易している、ただのつまらない大人だ。
身近な匂いと言ったら、電車で隣に座ったおじさんのスーツに染み付いたタバコの匂いか、コピー機から吐き出される紙のインクの匂い。

大人であることを、好きでもない匂いに囲まれた不快な満員電車の中ですました顔をしてスマホをいじっていられるようになった自分を、つまらない人間だとときどき思う。

でも、
大人は子どもに戻ることができるのだ。子どもはすぐに大人になれなくても。
今年の夏休みには田舎に帰って、早朝の庭を歩いてみよう。ぬかるんで靴が汚れるのも、朝露でズボンの裾が濡れるのも気にしないで。田舎は夜にすることもなくて早く寝るだろうから、自然と早起きもできるはず。

朝の森の空気を吸い込めば、きっと、息をするのが少し楽になるだろう。


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