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自分を阻む「隔たり」は画面でもマスクでもない

━━幸せって、なんだとおもう?

こんな問いが置かれたのは、さとのば大学(関連講座を含む)の受講生やOBOG、運営に携わる人や支援者などが繋がる『さとのばコミュニティ』で毎月開いているオンライン対話の場
昨年度から私が主担当として動かしている業務でもあるけれど、安心感のある場豊かな時間を過ごせていて、私自身もコミュニティの一員として楽しみにしている場だ。

さとのば大学の事務局スタッフとなってから、2度目の春が過ぎようとしている。
濃密すぎる一瞬が、連綿と過ぎ去ってゆく「幸せ」な日々を、書き留めておこうと思いながらもそんな余裕を持てずにいたここ数か月。

1年前にさとのば事務局にジョインした経緯と決意を記したnoteを読み直しながら、ふと、筆を執る気になった

画面越しの対話

さとのば大学の仕事をメインでするようになって、圧倒的に家にいる時間が増えた。
というか、ほぼ家にいる。笑

週に1日だけ病児保育の仕事をしているのと、地域での頼まれ仕事が入ったとき以外は、缶詰め状態

フルリモートなのでどこでも仕事ができると思っていたけれど、講義やミーティングで発話しなければならない状況が多く、カフェや公共スペースでノマドワーク、なんて憧れはなかなか実現できていない。
キャンプ場にWi-Fiを持ち込んで繋ぐことも試してみたけれど、風が強いと声が流れてしまうという弱点があった。(テントの中なら大丈夫かな)

缶詰に耐えかねてワーケーションキャンプへ

ただ、Zoomでの対話にはかなり慣れたし、耐性もついてきた気がする。

日本全国の連携地域で暮らしながら、オンラインで開講する双方向の講義で顔を合わせ、講師からのインプットだけでなく受講生同士でも学び合っているさとのば大学の受講生(さとのば生)たち。

私は「ラーニングアシスタント(LA)」としてオンライン講義のサポートに入ったり、プロジェクトメンタリングと呼ばれる対話的なプロジェクト支援や相談役としての1on1を実施したりと、さとのば生に一番近いところで仕事をしている。

いや、さとのば生の滞在地域で受け入れ・コーディネートを担ってくださっている地域事務局の皆さんが、正確には一番近いか・・・。

とにもかくにも、さとのば大学で大切にしている「対話」をオンライン側で担保することが、私の役目である。

▼ オンライン講義はこんな雰囲気。

そんな「学生課」的な業務に加え、講義運営カリキュラム設計卒業生・関係者コミュニティの運営などを主に担っているほか、志願者対応として高校生の進路相談などに応じることもある。

少数精鋭のチームで働くこと、しかも、ソーシャル界隈では憧れの、というか、雲の上みたいな大先輩たちの叡智に触れながら働けている毎日はとても刺激的で、学びが深い

さとのば大学運営チーム合宿にて

特にこの春は4年制カリキュラムのブラッシュアップと再設計に力を注いだほか、さとのば生の滞在地域とオンラインを繋いだハイブリッドな入学式を挙行するなど、新しい学びの世界観を着実に歩み進めている実感がある。

目の前の仕事にやりがいを感じられること。
自分がここに必要であると思えること。

そして何より、私のほしい未来である「誰もが自分らしく生きられる社会に繋がると信じられる仕事を担えていること。

それが、家にこもりきりになってしまう虚しさもどかしさを差し引いてもなお、私を支えるモチベーションになっていた。

▼ 記念すべき入学式の模様はこちら。


3年ぶりのそよ風と大合唱

そんなオンライン中心の生活も4月から2年目に突入したが、社会とともに大きな変化があった。
そう、マスク着用判断の自由化だ。

もともと画面越しの対話にマスクは不要だったけれど、家を一歩出ればマスクが必要だった社会は、やっぱり私にとっては息苦しかった

マスクを捨てて、家を出た。

ひんやりとした風。
じんわりと頬に当たる陽。
世界が少しだけ、色づいて見える

この3年、しんどいこともたくさんあった。
どうにもできないことを前にして、立ち尽くしたこともあった。

けれど、どんな闇夜にもは来て、いつか霧や靄が晴れることだってあるのかもしれないと、何にも隔てられない肌にそよ風を感じながら思った。

スキマスイッチとback numberのライブも、声出しOKに。

マスクは着用しながらだったけれど、何千人何万人のお客さんと一緒に声を出せる世界が戻ってきたことに、ただただ感動した。

ライブって、今この瞬間におなじ場所でおなじ歌を聴きながら、口ずさみながら、叫びながら、そこには無数の人生があって、想いがあって、それぞれがそれぞれにとって必要な何かをえらび取って持ち帰ることができる。
それが尊くて、エモくて、力をもらえるんだ。

久しぶりに、それを実感できる時間だった。

東京ドームにて

私自身も、月に2回お邪魔しているフリースクールでのミニライブをマスクなしで歌えるようになった。

声が届く感覚が、やっぱり全然違う。
声って、振動なんだ。魂が震えて、風に乗って、届くんだ。

そんな大事なことを忘れてたんだなって、思い出した

フリースクールのこどもたちの前で歌う


見届けるという幸せ

もうひとつ、コロナ禍の動きにくさから解放されて実現したのが、さとのば生たちに会いに行くということ。
昨年度も数カ所の連携地域を訪れはしたが、やはり今年度は動きやすさが違う。

画面越しという隔たりを越えて、ようやく直接顔を合わせることができたさとのば生たち。
対面で話してみると、オンラインでは掴みきれなかった情報が補完されていくのが分かる。

初めて親元を離れて暮らす不安も、新生活のワクワクが競り勝っていること。
地域の歴史や物語を知るのが好きで、どんどん吸収していること。
2年生だからと意気込んで無理してるように見えるのも、敢えて自分に負荷をかけて楽しんでいること。

宮城県女川町にて

この2か月で別人のように表情が変わったあの子は、当然さとのば大学の講義だけではなくて、地域での暮らしや、環境の変化や、他のコミュニティでの学びなど、ぜーんぶひっくるめたさとのば」でイキイキと変容しているのだということがよく分かった。

そして同時に、私はそんな変容を、彼らの小さな変化から大きな成長までをも「見届ける」ことに幸せを感じているのだと分かった。

さとのば大学の名誉学長である井上英之さんが、入学式の祝辞で「ウィットネス -witness-」について話してくださった。

━━髪切った?
なんて些細な変化から、
━━去年と比べて表情が柔らかくなったね、なぜ?
なんて本質的な変容まで、誰かが「見届けて」くれるということ、「目撃者」がいてくれるということにどれほど価値があるか。

さとのば大学では、人生における転換期のような「トランジション -transition-」を大切にしているが、それは意外と自分では気づきにくかったりするもので。

生きている限り、プラスの変化もあればマイナスの変化もある。あるいは、変わらないことに意味があると思えることもある。
それを互いに見届け合い、受け止め祝福し合えるコミュニティであることが、さとのばコミュニティの一番の価値なのではないかと確信している。

そして私はその「見届け人」の最前線に、居続けたいなと思うのだ。

さとのば生たちと


自分の心の「隔たり」に気づく

こうして振り返りながら綴っていると、大切なことが見えてくる。

私が「見届け人」をやっているのは、何もさとのば大学だけの話ではない。
保育の仕事も、フリースクールでのお手伝いも、あそびこむというライフワークも、こども学生に関わりたい、人と深い対話がしたいと思うことも。

私にとって、「誰かが変化・成長していく過程を見届ける」あるいは「誰かの大切な変容に寄与する」ということが、満たされていると感じられる幸せなのだと思う。

今年度もあそび場を開いている

一方で、無意識に自分を見限っているようなところもあると感じた。

私なんかには無理だ。
私にはできっこない。
私が口出ししていい問題じゃない。

時にそれは、距離や、忙しさや、金銭的なことや、社会情勢のせいにしていることもある。

遠くて行けない。
忙しくて無理。
お金に余裕があれば。
もうちょっと世の中が落ち着いたら。

できない理由なんて探せばいくらでもあるってこと、知っているのに。


さとのば大学のカリキュラム設計に関わることも、最初は全然自信がなくて怖かった

無意識な忖度で、誰かのつくった前例試案に何の疑問も持たず
「どうしてそれを選んだの?」
「え、だってそう書いてあったから・・・」
みたいなことが度々起きた。

でも、その度にハッとして、言い聞かせてきた。

自分で考えていいんだ。私は考える材料を持っているし、新たに情報収集したり学んだりすることもできるし、そのための生きた脳みそを持っているんだ。

自分のフィルターを通したものは、ちゃんと自分で納得して理由を言えるものにしよう。

そう決めたら、ずいぶんと仕事がしやすくなった
自信が持てるようになった


結局、隔てている何かがあるとしたら、それは自分の心なんだと思う。

今、幸せだなあ天職だなあと感じている一方で、どこか、なにかがつかえている感じがしている。
私の心にある隔たりは、一体何なのだろうか・・・。

逃げずに、ちゃんと向き合いたい。


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