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20代で得たもの、脱ぎ捨てたもの

今年も9月18日が来て、私はついに三十路になった。
なんだか他人事のような気がして、まさか自分が30歳!?とは、にわかに信じがたいのだけれど。

それ以前に、noteを開いて驚いた。もう5か月も筆を執っていないではないか。

新しい仕事を始めてすっかりワーカホリックになってしまったこと。
そしてここ最近は、過ぎ去ってゆく20代を満喫しきるかのような、目まぐるしい日々だったこと。

多分それは、私の20代におけるテーマが「」だったからだと思う。

何者かになりたくて、旅に出た

ハタチを迎える頃、私は大学進学から1年遅れで上京することになった(最初は実家から電車通学を試みたのだが、東京と比べて終電は早いし、最寄り駅から実家まで自転車を30分以上漕ぐのが辛くて、大学2年生から東京の親戚宅へ下宿させてもらったのだ)。

それからなんだりかんだりいろいろあって、今住んでいる岩手県紫波町に漂着したわけだが、詳しいことはさんざん書いてきたので割愛する。笑
※「なんだりかんだり」は岩手の方言。

紫波町に移り住んだ時、当時24歳だった私は「何者でもない」ことをコンプレックスに感じつつも、その非力ささらけ出すことが唯一の武器であることを知っていた。
素直になること謙虚であること弱さを見せることは、それまでの旅で学んでいた生きる術だった。

実際、ろくな資格も、経験も知識もない、社会人3年目のひよっこには、未知なるものへの好奇心くらいしか取り柄がなかったけれど、素敵なものを見たら「素敵!」と言い、美味しいものをいただいたら「美味しい!」と言い、「こんにちは」と「ありがとう」と「それ、なんですか??」が言えたら、それだけでよかった。笑

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お酒もイチから教わった。

人と出会い、人と話し、人に繋いでもらって、また人と出会うことができた。すると、見える景色がどんどん変わっていった

「何者かになりたい」と思っていた私は、気づけば「何者であってもなくても生きていける」と心から思えるようになっていた。


会うべき人に会わせてくれる町

例えば「有名人に会いたい!」と思った時、あなたはどこへ行くだろうか。
何となく、都会じゃない?

だって、人がたくさんいるんだから。会える確率高そうだよね。

でも、それは違った。

たしかに都会には「有名人」が数多くいるかもしれないけれど、「有名人に会いたい人」もたくさんいる。
相対的に考えると、母数が多すぎる都会よりも母数が少ない田舎の方が確率は上がる、というのが私の結論だ。

私の場合、その「有名人」は「こどもに関わる面白い事例(に携わっている人)」だったのだが、紫波町に来たことで本当にたくさんの人や事例に巡り合わせてもらった。

紫波町だけでなく、ちょっと尖った田舎の地域には、たくさんの人が視察や見学にやってくる。特に、面白いことをやっている人たちは、他の面白いことを積極的に情報収集しているから、わざわざ時間とお金をかけて向こうからやってきてくれる(やらされ行政視察ではなく本気で来てくれる)。

視察対応に同行しまくって、私も町案内できるようになった。

そういうタイミングで、役場が講演会をセッティングしてくれたり、夜の飲み会に誘ってもらえたりして、私はそれまで思ってもみなかったような面白い事例とたくさん出会うことができたのだ。
それはもはや「会いたい人に会える」というより、「会うべき人に会わされている」という感覚に近い。

正直、「まちづくり」がこんなに面白いものだとは知らなかったし、「まちづくり」と「こども」がこんなに密接に関わり合っているとは想像できていなかった。

また、私が地域おこし協力隊として活動していた3年間はコロナ前だったこともあり、私も全国各地いろんな場所へ視察に行かせていただいた。
「紫波町から来ました」というと、紫波町のことを教えてほしい!と頼まれる。私は紫波町のことを話す代わりに、視察先のディープな情報を話してもらうという文字通りの「情報交換」を果たすことができ、本当に紫波町の看板に助けられる日々だった。

だから、紫波町に来たことによって与えられたもの、巡り合わせてもらったもの、導かれたものがたくさんある。
私は紫波町に来たことで「拓かれた」のだと、本気で思っている。

ちなみに私の地域おこし協力隊としての活動については、こちらの記事を参考に貼っておく。


6年目に見えてきた景色

ただ、最近また、見える景色が変わってきたような感覚がある。

今は移住6年目となり、地域おこし協力隊を卒業した「ただの紫波町民」になって3年目。町内の保育施設に就職して、保育士免許を取って、個人事業主になって、フルリモートの会社員になって。

こんなに働き方を変えながらもなお、紫波町に暮らし続けていることは、あんまり想定していなかった。もともと「定住するぞ」と決めて紫波町に来たわけではなかったし、今だって正直「骨をうずめます」みたいな気概があるわけじゃない。
ここでの暮らしが好きだから、ここにいる。それだけだ。

今年も大好きな仲間たちにお祝いしてもらった。

6年も暮らしていると、外の人から「なんで紫波町にこだわるんですか?」と問われることがある。

拘っているつもりは無いけれど、ただ好きだから、の他に理由があるとしたら「看板を借りたことへの恩返し」みたいなものかなあ。
と、思っていた。

でも、違ったなあと最近気づいた。
人生を拓くきっかけをつくってくれた紫波町を、手放すことが怖いのだ。

それに気づかされたのは、
「あなたにとってふるさととは?」
という問いがきっかけだった。

私にとって紫波町は、大好きなひとやものや場所があって、人間関係の地図を持ってて、楽も苦も共にしてきて、いいところだから遊びにおいでよって人に言える場所。
だから、大切なふるさとだと思っている。

今暮らしているから、軸足を置いているから、ではない。

そう思ったら、妙に体が軽くなったような気がした。
ふるさとは、きっと離れても、放れない


30代は、かろやかに

なんだか町を離れる人の言葉みたいになってしまったけれど、特にそんな予定はない。笑

ただ、軸足の置き方は、もっといろいろあるかもしれないよねと思えたことは、今の私に響くものがあったのは確かである。

20代の旅は、鎧を脱ぎ捨てるための旅だった。
気づけばTシャツにワークパンツくらいの軽装になっていて、両方のポケットにはなんだかよくわからない木の実だとか葉っぱだとかが知らぬ間に入っている。そういうものが、ふと「使えるじゃん!」ってなったりするから不思議なのだ。

そういえば、ヘアドネーションもした。
短い髪が好きだけど、人生に一度くらい伸ばしてみてもいいかなって、ドネーションを口実に2年と10か月。

何とか31センチ伸ばせた…!

長い髪も意外と似合う自分に驚いて、バッサリ切ったあとは「地元に帰ってきた」みたいな感覚になって、生まれて初めてブリーチして緑のインナーカラーを入れてみた。


もう、着飾らなくて大丈夫
必要なものがあるときは、調達する術や、ヒントを持っていそうな人を知っているし、必要なものは必要な時に舞い込んでくるものだということも分かっているから。

あそびこむの取材をしてもらった。Photo by Fumika Ashikaga

30代は、軽やかに旅を続けたいなあ。
体はやっぱり無理がきかなくなってきている。しんどかった時期を乗り越えた勲章みたいな耳鳴りが、ちょっと頑張りすぎてるよって教えてくれる。片頭痛とも、長い付き合いになってきた。

自分が本当に大切にしたいことを見失わないように。
そしてそれは、だいたい身近にあるものだってことも忘れずに。


最後に、先日Facebookに投稿した散文をここに記録しておく。

いつも楽しそうでいいよね。
すごい、かっこいい、羨ましい。

そうかなあ、と顔だけつくり笑いして
誰かを騙しているような罪悪感に包まれる。

大人が頑張って獲得した自己肯定感は
頑張れない自分をなかなか認めてくれない。
.
自分の意思でレールを外れたのに
もとの芝生が青く見えることがある。

どんな道にも苦があって楽があるって
そんなこと分かりきっているけど
選ばなかった道のことを考えないわけじゃない。

人よりほんの少し好奇心が強くて
人よりほんの少し腰が軽くて
人よりほんの少し迷い上手だったから
私は人生の行き先を探す旅に出た。

苦しいこと
逃げたいこと
上手くいかないこと
想定外のこと

しんどいあれこれを
乗り越えられたなんて微塵も思ってなくて
なんとか必死に食らいついてきただけ。

ほんとうの行き先も、まだ鮮明ではない。
.
ただ、旅の途中で気づいたことがある。

私が探している答えは
たぶん私の中にしかないということ。
見つけるのではなく
育てるのだということ。

この目で見たもの
この耳で聞いたもの
鼻や舌で味わったもの
この手で触れたもの
全身で感じたもの
心が動いたもの

これまで旅で得てきたことのすべてが
いったん私の中に染み込んで
もともとの私と混ざりあって発酵している。

いつ火を入れようか。
もっと変化を楽しんでしまおうか。

何を価値とするかは、やっぱり自分次第だ。
.
最近、私のうたをいいと言ってもらうことが増えた。
訪れた場所で誰かと一緒に歌わせてもらう機会が増えた。

透明人間だったあの頃、
教室の窓から流れる雲を追いかけて沈黙をやり過ごしていた。
私を社会に引き戻してくれたのは、
いつか手にしたカメラだった。

社会と仲直りして彩を取り戻してきた今、
想像もしなかった場所を歩いてる。
心の叫びを誰かに届けたくて
誰かの叫びに寄り添いたくて
相棒のギターに思いっきり声を乗せている。
.
何者かになろうと歌っていたあの頃と比べると
今は鎧を脱ぎ捨てた素の自分で
ありたい自分で歌えている感じがする。

日常はまだまだ生きづらくて
大きく見せようとか
取り繕ってしまおうとか
無駄な悪あがきを繰り返しているけど
歌っているときはほんとうの私でいられる。

いや、歌っているときだけじゃないな。

こういう時間が
こういう場所が
着実に増えていることを噛み締める。

大丈夫、私は前に進んでる。
.
たっしー
29歳と356日。

Facebookより

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