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本屋と関係のあるようなないような日記2023年10月後半

10/22(日)
40歳最後の日になんとなくnote再開。たまたま読んだ古賀及子さんの『ちょっと踊ったりすぐにかけだす』がすごい楽しくてよかった。わたしもシングルで不安定な自営業だが、生活の中に悲壮感というものが一切ない。悲壮してる余裕がない、というほうが正しいけれど。残念ながらそのあたりに関しては、みなさんの期待に応えられないなあと、いうようなことを思った。そして今、この数年の生活を驚くほどの前向きさで変えようとしている。わたしは18歳で家を出ているので、娘と暮らせるのもあと少しかもしれない。おそらく物質的には安定した実家ではないが、次の家も心地よくありたい。忙しくてあんまり家にいないお母さんだけど、たぶんお互いがとても好き。そうそう、全く異なる読後感で、少し前に読んだUSO vol.2も圧巻であった。すごすぎてゾッとした。
娘が、自分のお金でかわいい誕生日プレゼントを買ってくれていた。「一日早いけど。大したもんちゃうけど」と言ってマリクワのショップバッグ渡してくれて、とてもクールだった。うれしい。大事にするね。高一の娘は、小さい頃からずっとかっこいい。今日は、友だちと遊びに行ったバチバチの地雷メイクのままリビングのテーブルでHTMLのコード?をかいてホームページ作ったり、謎のテーマが与えられた英文スピーチ原稿作ったり、ものすごい勢いで難易度高そうな課題をこなしていてその様子がとてもよかった。娘の誕生日プレゼントについてインスタのストーリーに写真をあげたら、それを見た古本屋さんが「感動してん。ほんまええ子やなあ」と言って大量のカツを持ってきてくれた。誕生日に大量のカツくれるセンスがめちゃくちゃ素敵やなとわたしも思った。今日はお昼にうな重の差し入れもいただいた。うなぎ大好き。普通スイーツでは?なところ、みなさんわたしの好みをご存知でいらっしゃる。ちなみにケーキは、今年も娘が作ってくれた。

10/23(月)
41歳になった。今日は兵庫の市場に行こうと休みを取っていたが生理痛がひどく断念。お弁当を作って娘を送り出し、SHIPSのオンラインでよさそうなセーターを見つけて購入。そのままごろごろしながらTVerでドラマ。なんかもう急に寒いので、毛布に包まりガスストーブの前に陣取る。冬の定位置。LINEや電話が何件か来て、ドラマをストップしてくだらないおしゃべり。楽しい。店に行って少しだけスタッフと仕事。高校の友人からはわたしと娘の分のスタバチケットを送ってもらう。うれしい。実は頼んだことないフラペチーノ、41歳の記念に飲んでみよ。と思い、夕方娘と京都駅で待ち合わせをしてハロウィン限定のフラペチーノを飲んだ。食べた?たしかにハマりそう。とても美味しかった。
友だちにスタバのチケットもらってんと娘にいうと、「女子高生みたいやな」と言われる。ソニプラみたいなお店(時代……)で歯の表面を白くするやつを買おうとしたら、今度は「海外ドラマの高校生がキスする前に使うやつや」と言われる。なんやねんこの41歳。夜ごはんは京都タワーがよく見えるサルヴァトーレさんのピザ。ここも20代前半のOL時代に東京でよく食べた。なんやねんほんまに。娘は「ひとり四千円か、あの立地とあの味で四千は安いな」と言っていた。娘も一体なんなんやろか。

10/25㈬
五時起床。と書くとちゃんとしたお母さんぽいけど、特に丁寧には淹れていないコーヒー飲みながらだらだらクロワッサン食べてる時間がまず1時間。六時すぎに娘を起こしてお弁当を作って送り出し、昨夜は酔っ払って洗顔だけして寝てしまったので朝風呂。娘は理数が得意なのに難しくて悔しくて勉強していたらしい数学の点数がかなりよかったらしく、数学のこわい先生に褒められてん、とうれしそうに登校していった。やっぱりかっこいい。不登校気味だった中学時代からは考えられないやる気。勉強嫌いなんだからレベル下げて公立受けろと言われたけど、この子がそんなふうに見えるならもうこっちでやりますわと塾の先生とバトルまでして(すいません、わたしが……)塾辞めて、娘の行きたがっていた難しめの私立にしぼって勝負してよかった。啖呵きったはいいけど落ちたらかわいそうやから誰にも相談できず、娘の行きたい気持ちとわたしの前向きさだけで乗り切った高校受験であった。わたしの行動は娘と娘の友だちたちからは称賛!だったけど内心ハラハラやった。合格発表の日はたしか同人になってる大阪の市場で、「どや?」「受かったんか?」「娘から連絡きたんか?」「今どきネットで見れへんのか?」などと1時間おきくらいに聞かれたというとっても関西ぽい思い出が……。大好きや。
仕事が休みのお母さんと電話。わたしもまあまあ働いているがお母さんはもっと働いているので、二日間生理痛でごろごろしていたと言ったらうらやましいと言われる。わたしはごろごろするにもバイト代を払ってお願いしてごろごろしてるんやと言う。本当に、スタッフがいなかったら店はぜったいにまわらない。スタッフは歴代みんなすばらしく、わたしの商売規模ではかなり贅沢な布陣だが、わたしは苦手なことが多く自分をあてにしていたら一切進まないことがたくさんある。それに、自営業は体も資本だ。そういえば、同年代のスタッフも急に生理痛が重くなったと言っていた。わたしもだいたいいつも精神が安定してるのに、今回はちょっと鬱みたいになって驚いた。自分の安定感には信頼をおいているので、これはおかしいと思い調べたら生理前特有のやつのようで生理が来たらけろりと元気になった。
お母さんには誕生日プレゼントにゴルフのラウンド用バッグを買ってもらう約束をして、歯医者へ。その後、店。
そういえばこの間、店内BGMに森ゆにさんをかけていたら大先輩の古本屋さんに「マヤルカさんが生まれる前から古本屋してるけどこんなん流してる古本屋初めて見たわ」と言われた。大阪の古本屋はだいたいBGM芸人さんのラジオらしい。ほんまかいな。古本屋、なんかみんな、ほんまおもろい。
パソコンを忘れて発送作業できず。痛恨である。
よく来てくれる大学生のお客さんとしばらく話す。話したり、通ってくれたりして本の好みが分かっても、みんな卒業して京都離れてしまうのが学生の街だなあ。最近ハマっているという古いCANONのロゴがかわいいフィルムカメラを見せてもらう。すごいいい写真やった。流れでわたしの大学時代の話をしていたら、「2000年代初頭ですか?」と言われ、それ歴史の言い方……いにしえか……と思いちょっと面白かった。たぶんギリギリ今世紀。京都戻ってきたら雇ってくださいと言ってくれたのがうれしかった。学生バイトオッケーなら僕に声かけてくださいよ〜と。君ならきっと社会人も楽しくやっていけるであろう。毎日いちいちおもろいことがある。
植本一子さんの『愛は時間がかかる』を読む。しばらく忙しすぎて他人の人生についていろいろ思えず、エッセイや日記がまったく読めなかった。今はしばし小休止、ちょうどエッセイのターンのようです(こちらのnoteも1年半以上ぶりの更新です)。
植本さんがトラウマ治療を終えるたびに、そのときのことを思い出して感じることが「何もないです」に変化するのが印象的だった。その感覚には覚えがある。わたしもたまに離婚について聞かれるが、はっきり言って「何もない」のです。元夫以外の元彼や、傷つくことを言われて疎遠になってしまった友人についても、「何もない」。それを不思議に思われることも多いし、話したくないのかなと思われているかもしれないけれど、わたしの中では消化までもが終わった物語だったんやなと気づく。ありがとう、あなたとの思い出はもう味も思い出せないけれど無事に血や肉になりました。たぶんもう、その血や肉もすっかり細胞入れ替わっていると思うけど。
帰ってビール飲みながらツイッターを見ていたら、切符を失くしてギャン泣きしてる子どもにお小遣いから切符代出させるお母さん、みたいなのがよい躾とされていた。わたしは、切符失くしたくらいでギャン泣きせんでも派。きっと知らないのであろう。どうしても物が失くなってしまうひとがいるということ。そして切符レベルの失くしものは、そんなには人生に影響を及ぼさないということ。おとなももっと痛手大きいSuica失くすやろ。みんな、失くしたくて失くしてるわけじゃないんやで。愛とか恋とかも。

10/26㈭
営業の前に今週二件目の出張買取。いつもお世話になっているお客さんで憧れ。きのう学生さんと話していても思ったけど、年上のちょっとかっこよくて物知りな、遊びもたくさん知ってるお兄さん、にカルチャー教わる時代は終わったような。むしろそこにすり寄ると、まあまあの搾取を感じてしまうようになった気がする。とはいっても惹かれちゃうんだけどね。
今日は暇だなあと思いながら店番してたら、すっと入ってきた方がこれから出そうと思っていた一万円の本をサラッと買って行った。ありがとうございます今日はもうこれで帰ります(うそ)。
最近、娘が何かしたり報告してきたりしたときに「やるねえ〜」というと照れながらとても喜ぶ。なんなんそれ、と言われたので(照れながら。かわいすぎか)、簡単に相手を喜ばせられる相槌、というと「たしかに」と感心していた。実はお客さんにも、心の中で「やるねえ~」と言っているときがある。読んで面白いか、勉強になるか、または収入が上がるか、など本を選ぶ基準は様々あるが、そのあたりは通常の基準である。この本は持っていない、その本を持つことで書棚に文脈が生まれる、というようなところにまで行くと、やるねえ〜基準となる。どうかこのnoteを読んで、マヤルカ何様やねん、と思わないでください。
お母さんからの誕生日プレゼントと、みすず書房に就職した元スタッフから制作担当したというカレンダーが届く。いい日だ。

10/28(土)
昨日は雹まで降るような嵐の中うれしいご来店が続いたが、今日は気持ちのいい秋晴れの中暇である。僻みでもなんでもなく、本屋ってそういうものだ。そもそも10月は毎年、毎週末のように各所で本にまつわるイベントが乱発しておりたぶんみなさん店にまで来る余裕はあまりない。今日が目録締切の市場の荷物を黙々と作る。どうしようかな、と思っていた80年代の詩句関連の冊子がよく見ると豪華執筆陣。これはもう少し寝かそう。
昨日は東京の出版社の営業さんが来てくれた。営業、と聞くとついつい話をするほうのイメージが浮かぶけれど、話を聞いてくれる姿勢がすばらしく魅力的だなと会うたびに思う。たぶん同年代なので、わたしが突破できなかった関門を突破されて活躍されてるんだなあとちょっとだけこっそり思い(わたしも就活のときに、だいたいの出版社、新聞社を受けたので)、自分の至らなさなど分析し納得したりする。
昨日も、わたしが新しく暮らす街についての話を興味深く聞いてくれた。次の家の目の前に、大きくてなかなかいい新刊書店(チェーンの)があるんですよ、と言ったらやはり品揃えご存知で、とてもいい店長さんがいることを教えてくれた。まだ行ったことがないけれど同じエリアにもう一軒かなり売り場面積広いらしい新刊書店(こちらもチェーンの)も最近できていて、そこはまだ知らなかったそうなので営業に行ってもらうようお願いする。新しく暮らす街の文化的充足を自らはかっていくスタイル。その街は、たまに行くと夜の活気にいつも驚くので(京都の街中ではあまり見かけなくなった気がする、30〜40代が中心に元気に飲んでいる)、昼間は一乗寺でこれまでどおりのマヤルカ、月に数回はその街で夜マヤ、をしたら流行るかもしれない。たぶん古書店はないであろう。あ、暇すぎて、変なところまで妄想が行ってしまった。
夜、酔っ払って、TRFなど熱唱する。刹那的である。わたしは公のほうではまだまだやりたいことがたくさんあるが、私のほうでは一通り結婚(&離婚)、出産、あと育児もだいたい終えているので、気持ち的には半分老後だ。お金はないので、どうか死ぬ三日前まで働けますように。

10/30(月)
昨日はお昼に食べた焼肉弁当が重すぎて、夜の10時くらいまで胃がもたれていた。わたしは何でも食べいくらでも飲むが、脂っこさが苦手のようだ。胃を過信してはいけない。天丼もちょっと苦手。
5月から京都古書組合の理事をさせてもらっているので、今日はその関係であれこれ走り回ったり電話をかけたり。任期は2年間だけど、すでにまあまあいろんなことがあり、その間に人生におけるだいたいのことができるようになりそうな気がする……。なんてことはないんだけれど、かなりアツいメンバーの理事会なので一人ひよっこのわたしは畏れ多く、とても楽しい。頑張りたい。一緒に仕事をした古本屋の先輩に、とても高級なケーキセットを奢ってもらいとてもとてもいい午前中になった。高級な紅茶が大好きです。
その後、ちょうど電話があったお客さんのところへ本の引き取り。いつもありがとうございます。昨日、営業前に急遽伺った方もリピーターの方だったのだけど、古本屋にとって、何度も買取を頼んで下さるお客さんは本当に貴重です。わたしも真摯な仕事がしたい。店に行くと、またまたうれしいご来店。寄ってよかった!台湾の物価が上がっていると教えてもらう。ひさしぶりに話せて楽しかった。
スタッフの子に誕生日だったんですねと言われて、もうすっかり41が板について忘れていたがそうだったそうだったと思う。「すごい若いから何歳くらいなのかな〜と思ってました」と言ってくれてめちゃくちゃいい子であった。
大好きな『尾崎翠全集』が入ってきた。うれしくて、ドトールでコーヒー飲みながら眺める。尾崎翠、フランス映画のような世界観とストーリーで読むというより浸っていたい、みたいに大好きでしょうがないのだが、以前、来るたびにおすすめ本を聞いてくる方にちょうど入荷していた尾崎翠を薦めたところ、購入後ツイッターに面白くもなんともない、なんなのか、とクレーム的なことを書かれて二度と来なくなってしまった。尾崎翠は賛否両論あるのかなんか他にも同じようなことがあった記憶がある。人に本を薦めるのってむずかしいので本当はあまりしたくない。そこの店主のファン!みたいな場合は別やと思うけれど。最近こんな本読んだんですーと言い合うのはすごく楽しく、さらにわたしは聞いたらすぐに取り入れるタイプなんだけど。それにエンタメ本はその一冊で完結するかもしれないけれど、文学はまあまあ読者自身の背景にもよるんじゃないか。第一尾崎翠は、読まなくても古書的な価値がある。過去のベストセラーばかり読んだらそれはたしかにハズレなしやと思うけど。どちらにしても、本好きはつまらない本も白黒つけずにそれはそれとして読むことがよくあるので一回の失敗をそんなに責めないでほしい。前はよく分からなかったけれど寝かせて、再読してみたらめっちゃおもろい!なんてこともよくある。まあでも、その節は、本当にすいませんでした。

10/31㈫
一日かけて新居の掃除。壁という壁、隅という隅をすべて雑巾かけて、床はルンバ。なかなかまとまった休みは取りにくいので、少しずつ引越しを進める。
買ったもの。エアコン、テレビ、洗濯機、ベッド、高いマットレス、イブル、掛け布団とリネンのカバー、リビングの照明、タオル一式、お風呂のイス、キッチンのスポンジ類、ウタマロの住居用洗剤、ハンドソープ、マティスのポスターとB2サイズの額。
疲れ果て、スタバで本日最終日のハロウィンフラペチーノ(気に入った)を飲みながらこのところずっと読んでいるシモーヌ・ド・ボーヴォワールの『危機の女』(朝吹登水子訳)を読む。たぶん絶版になっているがわたしがいつか何かの本を復刊できることになったらこの本を復刊したい。そのくらいおもしろい。表題作の「危機の女」は簡単に言うと老齢に差し掛かった夫婦が夫の不倫を受け入れようとしてやっぱムリ、みたいになる話だがその心理描写がすばらしい(あと、めちゃくちゃ傷つきながら主人公も不倫の前科あり)。フランスの多様な夫婦観、家族観も垣間見えたりでもやっぱそこはそうやんな、となったり現代の日本の私たちが読んでも響くのでは。「控え目の年令」もいい。こちらは夫の老いに幻滅したり傷ついたり(サルトルでもそうなんや、と思うなど……)しながらも仲が良くて最後かわいい。何よりボーヴォワールの文章が良い。もうそんな、何も考えずにまっすぐに愛とか恋とかいうの恥ずかしいじゃないですか。なんていう、すっかり賢くなってしまったのに不器用な、だけど老いぼれずに年を取りたい私たちのロールモデルになると思う。



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