仮面の力(5) 3 仮面誕生

3 仮面誕生
 
 まずは、人類がどういう生産活動をしていくことによって生活を変えてきたかである。生活様式の変化は、周囲の物事に対する考え方も変化させる。
 人類は、今から六百万年前頃、地球上に登場して、食糧採集をはじめる。堅実(ナッツ)・果物・漿果・葉・芽・茎・根などの食べることのできる植物、動物の卵、昆虫、貝などを集める暮らしを生きた。そして猛獣食べ残した肉をあさることで肉のおいしさを知り、魚を捕る、動物を狩猟する、というような方法で生活を支えていた。常に安定して食糧を確保できる生活ではなかったはずである。
 食料生産、農業が始まったのはずっと時間が経ってからで、今から一万年と少し前のことである。狩りよりも食料の摂取量が安定し、人びとの定住化が進んだ。メソポタミア、エジプト、インダス、黄河の四大文明が発生し栄える要因になった。農耕社会では、地中に一度埋められ、死んで、再び蘇り豊かな実りをもたらす作物に、一生一死を感じ取り共感した。その共感から「回生」という考えが生まれ、死を悼み生の復活を待望した。したがって、死の象徴に重大な意味が帯びてくる。その後、文明は高度に発展し続け、18世紀末にイギリスで産業革命がおこる。道具から機械への技術的変革が行われた。そしてそれにともない社会組織の変化して、資本主義が確立した。同じく政治も変革し、近代市民社会が形成される。食料採集や農耕のような、生産に直接関わらないで生きる人びとが増え、産業社会で暮らす人びとが多くなった。そして現在に至っている。この流れに、仮面はどう関わってくるのだろう。
 仮面が使われたという記録はとても古い。
 ヨーロッパ、アフリカ、アジア、南北アメリカ、ニューギニア、オーストラリアの洞窟岸壁絵画から、先史時代の世界各国の狩猟民が、面と仮装を用いて祭り、儀式、踊りを盛んに行ったことがわかる。
 佐原真の実例の紹介によると、三万五千年前、旧石器時代に当たる時期に、ドイツのバーデンウェルッテムベルク州のホーレンシュタイン−シューデルでは、ライオンの顔を持ち、ペニス(今欠損)・陰嚢を出す、象牙製の像「ライオン人(レーベンメッシュ)」がでている。(*9)
 二万年ほど前の、フランスのレ=トロワ=フレール洞窟、スペインのアルタミラ洞窟には、動物の頭をつけ毛皮をまとった仮装の姿が描かれている。
 一万七千年前のフランスのラスコー洞窟には、鳥の頭をつけて、ペニスをたてた男が、バイソン(野牛)と対決する姿がある。男のそばには、鳥をいただく杖があり、投げ槍または投げ槍器ともいわれる道具らしいものがある。これに槍の柄をのせ、にぎって投げると、じかに柄をにぎって投げるよりずっと遠くまで槍が飛ぶそうだ。そして牛の腹からは腸が飛び出している。
 現在、実物として残っている最古の仮面は、八千年前(中石器時代)のヨーロッパの狩猟民がつくったもので、鹿の頭骨の部分を取り去って角付きの頭だけにして、紐通しの孔をあけた仮面で、頭にかぶったと思われる。そして、日本で見つかっている最古の仮面もまた、狩猟面なのである。
 この先史時代の狩猟民の仮面と仮装の目的としては、次の三つが考えられるだろう。

 1 生きている人びとと、神霊との間を仲立ちして、神霊と語り合うこと
   のできる人、呪術師の装い。
 2 狩人たちの装い。
 3 狩りの時のおとりの装い。

しかし、仮面が登場してきたときから1の意味をもっていたとは、あまり考えられない。採集、狩猟のこの時代、食うか食われるかの原始時代において、人びとは獲物を捕るための切実な技術、たとえば動物の皮をまとったり(毛皮装うと動物の身体のにおいを放って人のにおいを消す効果がある)(*10)、 もしくは頭にくっつけたりして偽装し、獲物に近付いた。扮装、擬態の巧拙は、直接生存にかかわった。だから3のおとりが、人間が仮面をつけ仮装をはじめた最初の理由である、と考えられる。
 やがて、この扮装と擬態は、一つの形式として凝縮され、呪術的な意味をおびる。そして儀式となって、部落、種族に伝統的に受けつがれるようになっていく。仮面をつけることは、真似をし、そのものになる、という役割が大きかった。
 岩手県蒔前に、縄文晩期中頃のものと予測去れている、鼻と口が曲がっている仮面が5点、出土している。青森、岩手の両県のみに分布していて、「鼻曲り仮面」として有名だそうだ。春成秀爾によると、この仮面についてはいくつかの説がある。(*11) 甲野勇説は、シャマンが神がかりをして、顔面が麻痺したその瞬間の表情をあらわしているという。薬物を飲んで幻覚状態になった者が、他人の顔を見たときのイメージを写し取っているというのは大塚和義説。それに対し、大林太良は、他の民族だと鼻曲りの仮面は、全ての悪霊をあらわしているとしている。(*12) だからこの縄文の鼻曲り仮面も、そうだという説だ。どの説も、この仮面から、東北北部では、〈シャマンが神がかりする〉か、悪霊が登場する儀礼があった〉ことを主張している。驚くことに、他の全国に出土している縄文時代の数少ない仮面も、全て表情が鼻が曲がったり、異常な相貌をしている。(*13) どれも精神異常と思われる霊的な表情で、常人とは違った表情をするために使用されたことが想像されるというのだ。北千島アイヌにも、口のゆがんだ仮面が存在している。それを着けることで、悪霊を追っ払ったり、死者や祖先をあらわす例が多いらしい。
 やはり、仮面には見えないものを見えるようにする装置としての役割が重要だ。さらに、単に見えるようにするだけでなく、仮面によって可視化できるようになった対象へ、人間がなにかをはらきかけるための動的な装置であるといえる。シャマンが仮面をかぶると、トランス状態になり、神や精霊の超自然的存在である万物の見えない力と直接交流を行う。そして呪術的役割を果たす。シャマンは人びとの構成する小社会の安全と繁栄をはかる存在であった。
 目には見えないものを、見えるもののようにあつかうことには、人間の恐怖を克服しようとする意志を感じる。当時は現代以上に、生き抜いていくことは困難であっただろうし、科学も知識もなかったから、予想も理解もできない現象がたくさん起きたと思う。闇も今よりもうんと濃かったはずだ。野村万之丞は、おそらく人類が火という便利なものを得て、文明は進んだが、同時に、その火を維持するために、人間の心の中に不安が増していたのではないかと言っている。(*14) 放っておけば火はまわりを焼き尽くし、破壊するものでもあるからだ。それでも人は火を使い、太陽と同じように敬った。人間は生きるために身をとりまく見えない力をコントロールすることに必死だったのだ。その力のそのものを仮面におきかえ、自分たちの力にしようとした。そのために仮面は作られた。仮面をつけると、人間以外の力が付与され、人間であると同時にそれを超えたものになれるのだ。




*9 佐藤真   「総論ーお面の考古学」『仮面ーそのパワーとメッセージ』
       里山出版 2002年
      (表記されている年代は確定されてはいない。というのも、現       在の年代測定法の精度が上がり、解釈がほころびてきているた       め)

*10  *9に同じ

*11 春成秀爾  「日本先史の仮面」『仮面−そのパワーとメッセージ』
        里山出版 2002年

*12  *11に同じ

*13 中村保雄  『仮面のはなし−人間は仮面に何を話し、何を表現してきた        のか』  PHP研究社 1984年

*14 野村万之丞 『マスクロード…幻の伎楽再現の旅』
        日本放送出版協会(NHK出版) 2002年   

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