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サイコなディナー(カルマティックあげるよ ♯155)

「今日暇?うちでステーキ食べない?いい肉があるんだよね」

大学四年の初夏、トシの主催するお食事会へと私は誘われた。

「コセくんも来るって」

そんなこんなで男三人によるむさディナーが決定した。

「準備あるから先帰ってるね。8時くらいに来て」

トシは居酒屋でバイトしてるだけあって、非常に料理が得意だ。
だからときどきハンニバル博士のように手料理をごちそうしてくれるのだ。

放課後、課題を一つ終わらせると私は彼のアパートへと自転車を走らせた。
無料でステーキにありつけるぞ!という胸躍る気持ちいっぱいで意気揚々と玄関を開けるとそこは台所。
ワイングラスを右手に掲げ、どこかの居酒屋の前かけを腰に装着したトシが仁王立ちして待っていた。

「ようこそ」

ずっとここで待っていたのだろうか?

「エツが1番乗りだよ」

とトシが言ってきたので

「たった3人だから1番乗りもなにもないよ」

と、すかさず私も返答した。

遅刻の常習犯であるコセはなかなか来なかった。
約束の8時ちょうどに「バイト終わったからもうすぐ行く」と連絡が入ったきり音沙汰がない。
夏仕様のこたつで男2人が向き合い煙草を吸って時間を潰した。
トシがセレクトしたジャズのCDが虚しく鳴り響く。
それに合わせるかのように小蝿も舞うので、虚しさが倍増した。

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窓に目をやると、網戸がない。
どうりで!
蛍光灯の光に導かれて蝿が入ってきていると予想した私は、無言で窓を閉めた。
少なくともこれで新規参入の蠅は防げたはずだ。

「先にはじめちゃおうか。まずは前菜を」

そう口を開くとトシは、台所へと移動し、冷蔵庫前の床に置かれていたプラスチックの容器を手にした。
フタは無く、箸が一膳ぶっささっていた。
さっき残飯入れかと思ったそれだった。

「松前漬け好きかい?」

トシはそう言いながら、直箸でペロリと味見してみせた。

「…これはあんまり好きじゃないタイプの松前漬けだわ…」

私は、どうにも小蝿がこんなに飛んでる中、蓋なしで保管されていた松前漬けに手をつける気にはなれなかった。

「そっかぁ。じゃあ、はじめにワインで乾杯しよう」
「うん、そうしよう」
「ワイングラスひとつしかないから、エツは普通のグラスで」
「なんでもいいよ。マグカップでもいい」
「ウィームッシュ!」

そう口を開くとトシはまたまた台所に移動し、冷蔵庫横に置かれたワインとグラスを両手に抱えて持ってきた。
こたつの上の互いのグラスにトシがトクトクとワインを注ぎ終わると、乾杯を促した。

「んじゃ、お疲れー」

トシはぐびぐびとワインを呑んだ。
一方、私は手元のグラスを眺めていた。
ワインの水面に黒い点が浮かんでいたのである。
ぶどうの皮の繊維かとも一瞬思ったが、それはどうみても一匹の小蝿であった。

「トシ、これみて。巻き込んでるよ」
「あぁ、ごめん」

トシは松前漬け用の箸の裏の部分で、その小蝿をすくいあげた。

「それ意味なくない?グラス洗って、新たに注ぎ直してや」

私が引きつった表情をしてそう指示すると、トシもようやく察してか言う通りにした。
それにしても、価値観の違いか、トシは蝿を全く気にしない。
私自身もそんなに苦手ではないが、トシの虫に対する無頓着さは常軌を逸しているように感じられるレベルであり、おぞましさを感じはじめていた。

さて、気を取り直してグラスにワインを注ぐ。
次は絶対巻き込まないように、飛んでる小蝿を払いながら、見守った。
あぁ、今度は大丈夫に違いない。
安堵してグラスを覗いた。

「トシ!増えてるんだけど。ってことはもしや…」

「マジで?」

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トシは自身の持つワイングラスをじっくりみつめると、更にワインボトルを手に取り覗きこんだ。
そして、すっくと立ち上がり静かに口を開いた。


「このワインはもうダメぽ」


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このワインこそが、小蝿の発生源であった。
後で聞いた話によるとワインはコルクを外した状態で、冷蔵庫の外で2日ばかり放置していたとのこと。
松前漬けも同様だった。
それがアース製薬のコバエがホイホイのように効率よく小蝿を誘い、さらにはコミュニティを作っていたのだ。
そもそも、そんなワインを親友に勧めるなんて、いやトシは気づかず飲んでいた…。
空腹に負けず、なににも手をつけなかった私は幸いであった。
私はただ、早くコセが来ることだけを願っていた。

これを機に、トシの起こす様々な事件を「トシ伝説」と呼ぶことにした。

結局、コセは日付が変わって参上した。




文・挿絵:ETSU
目次→https://note.com/maybecucumbers/n/n99c3f3e24eb0

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