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『女神の継承』の予習に今更『哭声(コクソン)』を観たら超難解だった話の長文(ネタバレ有考察・感想)

映画『女神の継承』、予告編観てから絶対に観に行く事を決めてるんだけど(スケジュールの空き調整中)、その前に予習として同じナ・ホンジン監督の『哭声(コクソン)』を観た。

「國村隼さんがすごい」
という評判を聞いた覚えがあった、くらいで、後回しにしまくり長らく観ずにいた『哭声』。
監督がこのたび『女神の継承』を製作したのは『哭声』に登場する祈祷師のキャラクターのスピンオフを撮りたかったから、というような話を読んだので、これはちょっと観てみようかな、監督のオカルト観みたいなものに予習として触れておきたいな、と思い、早速music.jp動画にてレンタル。
ちなみに『哭声』の祈祷師が『女神の継承』に登場するのかは未だ観てないので謎。予告編やあらすじ紹介には見られないような気がする。

※簡単にあらすじと作品概要に触れた後、警告文を挟んで内容・結末に言及する考察と感想を書いています。
ネタバレを気にする方はご注意下さい。


『哭声コクソン』日本版イメージヴィジュアルより

■冒頭~あらすじ

まず映し出されるのは、イエス・キリストが処刑ののちに復活し、驚く人々に向けた言葉である福音書の一文。

“人々は恐れおののき、霊を見ていると思った そこでイエスは言った
なぜ心に疑いを持つのか
私の手と足を見よ まさに私だ
触れてみよ このとおり肉も骨もある”

男が一人、川縁で釣りをしている。
釣り針に餌のミミズをつけて……。

舞台は韓国の山間の村・谷城(コクソン)。
緑に囲まれビルも高速道路もない田舎の村で事件が起きた。
現場に呼び出された主人公・ジョングは村の警官である。
妻と義母、そして娘との朝食を終え、親しげに接する後輩の刑事とともに向かった民家で目の当たりにしたものは、めった刺しにされた惨たらしい血塗れの遺体と、返り血を浴びた容疑者
容疑者の目は濁り、ぐったりと正気を失い、体には発疹が見られる。
ジョングがふと見上げた軒下には、朽ちた植物がひと房ぶら下がっていた……。

やがて、容疑者が幻覚作用のある毒キノコを食べていた事が明らかになる。
しかしジョングの後輩は、キノコにより正気を失った犯行ではなく、村で噂になっている“よそ者”が怪しいと話す。
奴が来てから事件が続いている、何か関係があるはずだと。
“よそ者”とは、最近住み着いた日本人の男。男は裸で山に現れ、鹿の死体の肉を貪っていた……という噂話を聞くも、ジョングは相手にしない。

その後も続く陰惨な殺人事件。
怪しい日本人の噂、加害者との接点。
そしてまたも、正気を失っていたらしい加害者の体には事件の少し前から発疹があったという。

徐々に日本人へ興味と警戒心を深めていくジョング。
そこへ、石を投げつけてくる奇妙な白い服の女が現れた。
彼女は事件の目撃者だと名乗り出、しかしいつの間にか姿を消す。

とうとうジョングは、日本人の男の居場所を知る村人に道案内を頼み、噂のよそ者と会おうと試みる事に。
道中、山道には食われたような鹿の死体が転がっており、道案内の男は恐れをなして帰ろうとする。引き留めるジョングと後輩警官。
その時晴れていた空が突然雷雨となり、道案内の村人を落雷が貫いた。
村人を運び込んだ病院でジョングは、毒キノコのせいでおかしくなったとされていたあの殺人事件の加害者が、発疹にまみれ血を吐きながら暴れ、変死する様を目撃してしまう。

一体何が起きているのか。
明日こそ日本人に会ってみよう。

夜。帰宅したジョングは、泣き叫ぶ声を聞いて娘の部屋へ飛び込む。
悪夢にうなされていた娘は、
「知らないおじさんが戸を叩いて入って来ようとしていた」
と訴え怯えていた。

翌朝、娘は何事も無かったかのように食卓にいるが、嫌いなはずの魚を山ほど食べている。その異様さと昨夜の様子に、義母はジョングを呼び出し、祈祷師を紹介してもらう、などと言い出すのだった。

その日、ジョングは後輩警官と、彼の甥で日本語の話せる聖職者のイサムとともに日本人のよそ者の家を訪れた。
しかし件の男は留守。勝手に上がり込んで家を物色するジョングは、何らかの祭壇のようなものを目にする。
仏像?ヤギの頭……?
そして後輩警官が入った小部屋には、殺人事件の加害者の「普通だった頃の姿」と「殺人事件を起こした後死んだ時の姿」の写真が無数に貼られていたのだ。

帰り道、後輩警官は更に目撃していたものをジョングに告げる。
村人達の私物。あの日本人は村人達の私物を持ち去ってそこから持ち主に呪いをかけているに違いない、と。
そう言って彼が見せたのは、あの小部屋から持ち出してきたジョングの娘の靴だった。

家に帰り靴の事、日本人の事を問いただすジョングだったが、娘は答えないばかりか、突如人が変わったように激昂し、口汚くなじり、罵った。
いつもの娘ではない……
夜、眠りについた娘の体には、殺人事件の加害者と同じ発疹が出始めていた……。

ジョングは、娘を元に戻すべく義母が呼んでくれた高名な祈祷師に霊視と解決を依頼する。
果たして、祈祷師の看る娘の異変の原因とは何なのか?
日本人のよそ者が元凶なのか?
白い服の女は本当に目撃者なのか?

以上、長くなったけどここまでくらいで導入部分かな、と。

※以下映画の内容やラストに触れての感想・考察となります。ネタバレ注意!!

□第一印象は「土着信仰ホラー系エヴァンゲリオンエクソシスト」

いきなり何なの、と思われるだろうが本当にこれ。

エクソシスト、は言わずと知れた、悪魔祓いによる徐霊ホラー映画のあれ。あの作品同様少女が悪霊によって豹変するのだけれど、この女の子の演技が本当にすごい。
『エクソシスト』の少女リーガンような人体の可動域崩壊的なフレキシブルムーブは無いものの、形相や口調、仕草、泣き声、叫び声まで全てに鬼気迫る恐ろしさがある。
そして全体的にじっとりとした空気が伝わってくる、閉鎖的で雑然とした辺境の村の雰囲気がまた、錯乱や殺人やトランスというプリミティブな怪現象、血の色をこれでもかと匂い立たせる不気味さを醸し出していてかなり好みだった。
そして、
仮に日本や、他の国でリメイクしたとしても絶対に映えないだろうな」
という、唯一無二の質感。
日本なら絶対“悲しい過去”や“因習村”や“変なCG”や“イケメン主人公”や“お涙頂戴と芝居がかった台詞回し”でクソ台無しにする事しか出来ないだろうなという演出面の事以外にも、多種多様・様々な信仰が氾濫する宗教国である韓国だからこその、この温度感、恐怖感
韓国はキリスト教系の信仰者も多い国であり、また仏教だったり、一方では現在も土着のシャーマニズム儀式が行われている等、宗教の坩堝だ。
そんな国の田舎町が舞台、という絶妙さが良い。
後で登場人物の「よそ者」について書くが、韓国から見れば日本人もキリスト教概念も外部から来たものである。
主人公ジョングら住人にとっても、祈祷師にとっても、謎の女にとっても。

さて、2022年現在もうすぐ40歳に手が届く私は多分『新世紀エヴァンゲリオン』世代ど真ん中でありながら、放送からかなり経った頃にTVシリーズの再放送を流し見たレベルでしかエヴァンゲリオンを知らない。それなのにこんなたとえをしてしまって、私のペラッペラ具合がコアなエヴァンゲリオンファンの方々にはマジで恥ずかしいし申し訳ない限りなんだけど。

『エヴァンゲリオン』をほぼ予備知識無しで見た私が受けた衝撃は、学んでた宗教学と好きな西洋絵画と『女神転生(ゲーム)』シリーズと『テラフォーマーズ(漫画)』で蓄積された聖書・キリスト教関連の知識を掘り起こすかのような要素への驚きだった。

“使徒”という怪物とのちに明かされた天使状の名前、それが死ぬと十字架の光になる、エヴァとアダムとリリス、ロンギヌスの槍と磔、AI(?)につけられた三博士の名前……
それらが単にネーミングに引用されているだけでなく、全てが何らかの意味・謎を含んでいそうな気配が物凄かった(そして劇中でははっきりとは明かされない)。

「これキリスト教のあれが元ネタだよね。でも何でここで出してきたんだろう……」
私がエヴァンゲリオンに抱いたこの感じが、『哭声』を観ている間にも何度かあった。
冒頭の一文だけではなく、この映画には随所にキリスト教を思わせる描写が登場する。
特に、國村隼さん演じる日本人のよそ者は、少しでもキリスト教を知っている観客には、完全にイエスを意識して描かれていると思わせる演出が分かりやすく全面に出されている。

・トラックの死体をゾンビのように蘇生?させる(奇跡)
・ジョングらの車にはねられて死んだ、と思われたが、イサムの前に生きた姿で現れる(復活)
・そのてのひらには穴のような傷痕?がある(聖痕)
・そしてイサムに対し、映画冒頭にも出てきた、イエス復活時の言葉で語りかける

などがそれだ。

□分かりやすくメジャーな「元ネタ」、しかしそれが観客の推理を鈍らせ狂わせる

これら聖人イエスに重なる前述の描写がされながらも、この日本人は不穏で悪魔的なキャラクターである。
ヤギの頭を用いた儀式はサバトやバフォメット(黒魔術の邪神)を思わせるし、祈祷師は彼を「死者だ」「悪霊だ」と言う。
それを差し引いても単純な印象として、村に来た目的の分からぬ見慣れぬよそ者、獣の生肉を貪るとか、女性に乱暴した等の噂、殺人現場を見つめ、その加害者の写真を集めている残酷な異常さ。
そして何より、赤く光る目、長い爪など、とても聖人とは言い難い姿を見せる。

村人の、そして映画の観客の人間的な直感に従えばこの日本人は
「怪しい」「不気味」「悪魔」
である。
しかしキリスト教の予備知識があると彼には確実に「聖人」と重なるものがある。
劇中の聖職者イサムも、必死で否定していたが同じ気持ちであったろう。

そう、
「何を根拠にし、どう見なすか」
これは、この作品の最大の持ち味であり、観客を惑わす監督からの問いかけになっていると手に取るように分かる。

普通、創作物鑑賞において「元ネタが分かる」という事は、より核心に迫れるとか、作者によって隠された意図を受け取れるだとか、言ってしまえば受け手の
“ちょっとした優位性”
となる。
しかし『哭声』においては、キリスト教という元ネタを知っている事が直感を邪魔し曇らせ、明らかに怪しい悪であろう人物を前にしていても完全に疑いきれない
「神なのでは?聖人なのでは?」
という感情の揺らぎを呼び覚ましてしまうのだ。

繰り返すが、
「何を根拠にし、どう見なすか」。
つまり、何を信じ、それにより何を疑うか
この映画の一種難解で、推理しにくいとか犯人がはっきり明かされない部分に物語として難色を示す(結末として不十分だ、等の感想を抱く)人もいると思う。
しかしこの
「推理しにくい」
「はっきり犯人が分からない」
という作りそのものが、この映画の核であり、監督が表現したかった最大のポイントなのかなと、私は感じられた。

『哭声』においてミスリードや考察の当たり外れ、推理自体のしにくさはほぼ問題ではないと感じる
ミスリードしたり翻弄されたり、何を根拠に誰を信じたらいいか、何を根拠に誰を疑えばいいか。主人公ジョングと共に猜疑心と、人が何かを信じる“拠り所”は、意識してみれば実はかなり不明瞭で不確かだという感情に揺さぶられる疑似体験こそが、この作品が観客にもたらしたいものではないだろうか。

□個人的考察。結局の所、元凶と祈祷師・よそ者・白い服の女は何なのか?

これは二回観た上での私の憶測なので、あくまでも個人的な考察と感想として読んで欲しいやつ。

①祈祷師
たぶん“巫堂(ムーダン)。巫俗という朝鮮半島のシャーマニズムにおける霊媒のようなポジション”である彼はラストに(以前よそ者が燃やしたと言っていたはずの)加害者の写真を持っていた事から、白い服の女の言った通りよそ者の仲間?
ロン毛・金時計に、仕事を終えると即スポーツブランドのおしゃれジャージに着替えるという一連のチャラつき描写はインチキ成金ぽく見えるが、おそらくその能力は本物(儀式も本物。故に懐が潤ってる)ではあると思う。

あの、ジョングの娘を救う為に「よそ者に殺を打つ」という儀式のくだりは一見
祈祷師の儀式vsよそ者の儀式
のように見えるが、よそ者の祭壇の写真はジョングの娘ではなく、トラックの中で死んでいたあの男。

つまり、祈祷師とよそ者は儀式対決をしているわけではないのでは?と思える。
(よそ者が行っていたのはあのトラックの死体のゾンビ化の儀式?)

この、祈祷師が白い鶏と白いヤギ、よそ者が黒い鶏と黒いヤギを用い、
祈祷師が大人数で、よそ者が単身で、
儀式を行う様が代わる代わる映し出されるシーンは対比としてとても刺激的で絵になり壮絶なインパクトがあった。
この映画の中でも私のめちゃくちゃお気に入りのシーン。

祈祷師が人形に杭を打つと、祓う対象であるジョングの娘が苦しむ。
同時によそ者も苦しむ。
これは多分……多分でしかないけど、ジョングの娘に悪霊を憑けたのは間違いなくよそ者であり、祈祷師はよそ者との当初の計画を勝手に変更し、よそ者をも始末しようとした……という事なのかなと。
大金ゲットのために娘に憑いた霊は祓うが、よそ者までは攻撃しない、などの取り決めが二者の間にあり、しかし祈祷師はそれを裏切って、儀式のついでによそ者を殺そうとしたのではないだろうか。

祈祷師の儀式で苦しんだ後、自らが呪術をかけたゾンビ死体の様子(自分がしてしまった儀式の結果)にあきらかに動揺し、ジョングと仲間達との襲撃に逃げ惑うよそ者は、それまでの様子と明らかに違っている。
この時点で、よそ者に憑いていた悪霊は一時的に祈祷師に祓われていたのかもしれない。
その後、祈祷師は
「餌に食いつくだけでなく、飲み込んでしまったか」
「バカ者め」

と呟く。
これは呪いを祓う儀式をジョングが中断したため、娘が呪いに支配されゆく事を感じ取っているのでは?と私は思った。

そして、鬼気迫る様子で、祀る神の祭壇で許しを乞うているのは、悪霊と結託するという行為をしたのを神々に詫びるだけではなく、よそ者に憑いていた悪霊に対しても詫びていた。
儀式の中断のせいで、よそ者から離れた悪霊を殺し損ねた・奴がまだ生きていると知ったからだろうか。
よそ者に憑いていた悪霊を祓おうとした裏切りを詫び、復讐を恐れている……のか?
許しを乞う対象が悪霊だというのは、詫びを制するように飛び込んできたカラスから連想できる。
黒い犬、黒ヤギ、そして醤油の甕にもいたカラス……

荷物をまとめ逃げようとしたが、カラスの糞?らしきものに襲われ、よそ者(に憑いた悪霊)の手の内からは逃れられないと観念。
ジョングに、女が悪霊であると電話をするが、私はこれは嘘を伝えたのではと感じられた。
再び悪霊の手足となるべく、ジョングを「悪霊は女だ」と嘘でそそのかし、事態を悪霊(のコントロールするジョングの娘)の思うままにしようとしながら、悪霊の縄張りである谷城へと引き返したのだろう。惨劇の後、平然と写真を撮りジョングの家を去っていく様から遡って考えると、そうとしか思えなくなってくる。

白い服の女と対峙しただけで血と吐瀉物を吐き散らすところからみても、白い服の女と祈祷師が相容れない関係(白い服の女が攻撃している)であることは確かだと言える。

②よそ者
彼が村にやってきた理由は不明(自分では「旅行」と話していたが明らかに嘘)。
この男がした、と描写されている行動には、実際にジョングが目にしたことと、噂話の再現と、ジョング以外が見たことなど色々あって虚実がはっきりしないが、少なくとも
ジョングと後輩が目にした家の中(呪術的な事を行っている祭壇、殺人者の写真集め)
白い服の女と対峙し怯むような表情を見せた
ジョングらが車で跳ね崖下に遺棄した事
その後生き返ってイサムと対話した事
は現実だと確定してるかな、と思える。

繰り返すが、祈祷師のお祓いでジョングの娘の悪霊が祓われかけたときによそ者が苦しむのは、ジョングの娘に憑けられた悪霊のついでに、よそ者の体に憑いてる悪霊をも祈祷師が祓おうとしたからだと思われる。

娘同様に発疹と殺人を起こした村人達も、よそ者の呪術の仕業と考えるのが自然だ。

そして、儀式の後、よそ者は自らが蘇生させたはずのゾンビを見て恐がり(これはよそ者の儀式が苦しみで失敗していたから、とかかも)、ジョングと仲間達から逃げ惑う。
家を壊され犬を殺されても無表情だったそれまでのよそ者とは明らかに様子が違っているのだ。
そう、この時は、悪霊が離れた“素”の状態になっている、ように見える。

山で白い服の女に見つかり、直後山から落ちてきて(?)ジョングの車に跳ねられたのも、よそ者があの女から逃げようとしたか、あの女に殺された状態で落ちてきたか、と考えられる。
つまりよそ者(に憑いて悪さをさせた悪霊)も祈祷師と同じように、白い服の女とは相容れない存在だ。

しかし、ジョングが娘の苦しみ様に恐れをなして祈祷師の儀式を中止させていたため、悪霊は生きていた。
(なので)同時期、よそ者の家に行ってから体調不良に悩まされている、と言っていたジョングの後輩警官にも呪いが発現。家族を殺してしまう。
「おじさんが、毒キノコ入りの健康食品を食べてしまったからだ」
と警察に言われるも、甥のイサムは信じる様子を見せず「毒キノコのせいではない(よそ者の悪霊だ)」、と感じ、教会で目にしたキリスト像から“復活”の可能性を思い(確信し)よそ者の元へ向かった。
ジョング達によって遺棄されたよそ者の死体に再び憑依した悪霊は、イサムと対峙。遂にその本性を現した。
同時に、ジョングの娘の呪いもまた復活、進行。

娘は祖母と母を刺し殺し、それまでの殺人事件の加害者同様、正気を失ってしまった。

③白い服の女

殺人事件を調べていたジョングと後輩警官に対し、いきなりの投石で登場した不躾で不思議な女。
あたかも事件の様子を知っている目撃者のように振る舞い、しかし忽然と姿を消してしまう。

女はよそ者の元にも現れ、儀式の前に滝に打たれるよそ者を遠くから観察していたり、儀式後、前述の弱体化をしたよそ者がジョング達に追い詰められ殺されそうになっている所に現れにっこりと笑う。

そして、ジョングが車でよそ者をはね、遺体を崖から遺棄する所も見届けていた。

この白い服の女が、よそ者と敵対者であり、祈祷師とも敵対者である、というのは明確だ。
よそ者を見張り、弱った所に現れ、その最期を眺めている様や、祈祷師が女と対峙しただけで鼻血や嘔吐が止まらなくなる。

そして、冒頭の殺人事件を起こした加害者が病院で死んだ時の、内側から破壊されるような様子。あれはこの女の仕業ではないだろうか。
これはジョングと仲間達に襲いかかったゾンビ男も全く同じ死に方をしており、その様子によそ者もびびっている(=よそ者の仕業ではないし、想定外の事態)事からの推測。
女は、よそ者に憑いていた悪霊によっておぞましい存在と化してしまった人間を始末している?

更に冒頭の殺人事件の現場にあったのと同じ、吊るした植物を「悪霊への罠」としてジョングの家に仕掛けているらしい描写がある。

女は確実に悪霊の敵対者だ。恐らく人間ではない、悪霊と対照的な善に近い何かではないだろうか。

こう考えた時、いや善の存在にしては最初の投石が攻撃的すぎない?
と思ったのだけど、キリスト教で投石と言えば、よくパロディ化されるあの一説。

罪のある女がいるから石を投げよう!と人々が色めき立つ中、イエスは言った。

“罪のない者だけが石を投げなさい”

“罪のない者”……女の謎の投石は、彼女が罪や呪いとは反対の、悪霊と対をなすが如き善なる存在である、という監督の種明かし的な演出なのかな、と思ったり。
さすがにこじつけ過ぎか(笑)。

女がジョングと家族を守るようにジョングの家の前に現れたのを見、ぐるだった悪霊の生存を知って復讐を恐れ許されようとしている祈祷師は
「女こそが悪霊だ」
と電話でジョングに嘘をつく。
女はその嘘からジョングを守ろうとする。

しかしジョングは祈祷師を信じ、女を悪霊と疑い言いつけを破った。その結果彼の家族は悲劇に見舞われ、完全に悪霊の呪いの犠牲となる。
女が吊るした植物がまたも無惨に萎れ朽ちている
(少し前にTwitterで話題になったキンギョソウだろうか、所々が髑髏のように見える)

女は“また”救えなかったのだ。

どうして。
よそ者の事を「悪霊だ」と皆信じたくせに。
祈祷師の事を「高名で、助けてくれる人間だ」と皆信じたくせに。

村人を守ろうとしている私の事はどうして誰も信じてくれないの?

背を向けたジョングに向けられた女の嘆き哭く声は、村を守ろうとする善なる者の、しかし信じてもらえず、村人が再び悲劇を招く事を止められなかった、悲しみの叫びなのかもしれない。

記事冒頭で書いたが、韓国から見れば日本人もキリスト教概念も外部から来たものである。
土着のシャーマニズム祈祷師にとっても、村を守ってきた謎の女にとっても。
よそ者が神であろうが悪魔であろうが
「外部から来た宗教的存在により在来の人々と宗教(韓国の祈祷文化や土着の守り神)が脅かされ力を失う」
というストーリーとして見る事が出来る
、というのは、私の個人的感想だとしても書き残しておきたい。

祈祷師がよそ者を表した「死者だ」「悪霊だ」という言葉を思い出す。
脅かされる側の宗教存在からキリストを観たとき、キリストは
「もう死んでいるのに生き返ったと主張している存在(死者)」
であり
「死んだのによみがえり他の宗教を凌駕していく存在(悪霊)」
だという純粋な事実を思わずにはいられない。

□考察のまとめ

村に、悪霊に取り憑かれたよそ者が来る

よそ者は呪いで村人達に殺人事件を起こさせる

(前後関係は分からないが、悪霊は祈祷師と結託)

殺人事件の起きそうな現場に植物を吊るし、白い服の女はその家を守ろうとしたが無理だった(村人が忠告を無視した?)

相次ぐ事件の後、ジョングの娘が取り憑かれ祈祷師登場。狙い通りお祓いで大金をせしめる約束をする

お祓い開始。
時を同じくしてよそ者も死者のゾンビ化?の儀式開始

悪霊は激ヤバなので、お祓いのついでに悪霊も殺しておこうとする祈祷師

ジョング、娘が苦しむのでお祓い中断

一旦は娘の呪いも収まったかのように見え、よそ者からも悪霊が離れる

ジョング、仲間を連れてよそ者を襲撃。
よそ者は正気に戻り、自分が悪霊に操られた意識下で恐ろしい呪術をかけたトラックの中の死人を見に行き驚愕。
(白い服の女がゾンビ化した死体を殺す?)
ジョング、よそ者を見つけるも崖で見失う

白い服の女、よそ者を追い詰める

ジョング、突然よそ者を車で跳ねてしまい死体遺棄

祈祷師、よそ者に憑いていた悪霊がまだ生きており、ジョングの娘の呪いも継続していると察知。
裏切った事への悪霊からの報復を恐れ許しを乞うも、
「許さん」
のカラスアタック。祭壇の荷物をまとめて逃げようとするが、カラスの糞攻撃で悪霊からは逃げられないと悟り、再び手先ムーブ開始

白い服の女、娘にまだ悪霊の呪いがあると悟りジョングに忠告。そこに祈祷師から
「悪霊は女だ」
という(事を悪霊の思い通りにさせるための)嘘の電話

白い服の女がひき止めるもジョングは言いつけを破り、祈祷師の言葉を信じ女を疑い家へ。
同じ頃、聖職者イサムはキリスト像を見て、よそ者の復活を察知(?)。よそ者の元へ向かい、正体を現した悪霊の姿に変貌したよそ者を見る

娘により家族を殺されたジョング。そこに祈祷師が現れ、死体の写真を撮影し去っていく(これまでの写真のように悪霊に捧げる為?)

二回しか観てないので見落としとか考察ミスがありそうだけど、今のところこんな感じに自己解決してる。

□そのほかの感想:パニックもの+αとしてのキャラクターの良さ

何といっても謎や不気味な描写にかなり目がいく本作だが、登場人物達のキャラクターは各々個性的で愛着が持てる。

警官のジョングは、佐藤二朗さんと上島竜兵さんを足して二で割ったような、見るからに人のよさそうな父親で、後輩にも親しまれており善良っぽく見えるが、実は物凄いキレキャラというのが良い(笑)。
とにかく暴れる。他人の家だろうが儀式の設備だろうが大暴れ。

高名な祈祷師は意外に若く、ロン毛にヒゲおしゃれジャージというチャラつきっぷり。だが一見コミカルな儀式にも見ているうちによくわからない凄みが漂う。その霊感とか能力をすんなり信じてしまえるほどのギャップだ。

白い服の女は、どこか浮世離れした木訥とした不躾さを持つ。多くを語らない不気味な奇人から、後半でただならぬ存在感、神秘的とも思える憂いの表情を見せるのが印象的。

そして何よりも、よそ者の日本人の不気味さ、近寄りがたさは凄まじい。
ふんどし一丁で鹿の死体を貪り、滝に打たれたり、太鼓を叩いて怪しい儀式をしたり。
ラストのあれは、露骨に魔物めいたデザインでリアリティが無いと思う人もいそうだけど、
「悪魔の姿でイエスの言葉を、聖職者に語りかける」
というこのシチュエーションだけでかなり好き。
神の敵が神の子の言葉を、神に仕える者に皮肉たっぷりに言う……という背徳的なヤバさ!

他にも、ちょっととぼけた後輩刑事や、イヤミな上司、おとなしいが勇気と信仰心は本物のイサム、世話焼きなジョングの義母、おませで父親思いの少女から恐ろしい悪霊の権化になっていくジョングの娘、マッコリの瓶でしばかれるジョングの仲間のおもしろおじさん……等、脇役達もなかなか個性的。
健康食品屋さんの奥さんの、健康食品を信じてるのか信じてないのか分からない感じとかもいい味出してたな。

■『女神の継承』に向けて期待が高まる……

予告編と、公開されたあらすじによると、監督の最新作『女神の継承』は、タイの辺境の村を舞台にしたホラー。
代々続く祈祷師の一族の少女に起きた異変から、祈祷師のおばを中心に、村にパニックが広がっていくようなストーリーっぽい。

キャッチコピーは
「祈りの先に、救いはあるのか。」

『哭声』と同じに、アジアの辺境の村を舞台に怖いことが巻き起こるホラー、というだけでも期待が高まるのに、このキャッチコピーが『哭声』を観た今、かなり刺激的に感じられるのだ。

祈りとは、信じる事と背中合わせの行為だ。
人の心が弱いがゆえに、拠るべ=根拠や確信や安心できる大きなもの、を求め指標とする。
人は神や霊験を信じて祈る、どうか救いがもたらされるようにと。

『哭声』を通して描かれたのは「何を根拠にし、どう見なすか」だと私は強く感じたと書いた。
タイの辺境の村、そこに信仰し祈る人々がいる。救いを信じて祈る人々がいる。
その祈りは、物語の中で果たして救いに繋がるか。
そして彼らは「何を根拠に」その祈りが救いをもたらすと「見なし、信じているのか」?
というような、監督からのテーマの提示に思えてならない。嫌でもここに注目してしまう。
『哭声』では、なぜ人は“疑いを持つのか”が主題だった。私は『女神の継承』に、なぜ人は“信じるのか”を見たいと嫌でも期待してしまう。
辺境の村に続く信仰、その村には良い精霊も悪い精霊もいるという、と予告編は語る。
そこで人は何を根拠に「良い精霊」を信じているのか。
祈祷師の血をひく一人の少女に異変が起きたとき、信仰と信心の中で人々はどうなるのだろうか。

勝手に「自分的見所」が定まってしまい、今とてもわくわくしている。

『哭声』では、人を救おうとしても信じてもらえない女神のような存在が描かれた(と私は捉えている)。
『女神の継承』では、一体どんな女神に、人は救いを求め祈るのか。
そして、祈りの先に救いはあるのか。

今月内に観に行く予定。とても楽しみ。


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