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『君たちはどう生きるか』の感触と雑談


※アニメとスタジオジブリ作品が苦手な私が『君たちはどう生きるか』を二回鑑賞した走り書き。
始めに言っておくと、考察がどうとか、私は宮﨑監督のメッセージが汲み取れたとか、そういう文ではないです。
フィルマークス投稿文に加筆修正。

作品のあらすじや内容に触れての記述があります。ネタバレ注意!


戦災に傷つき、親族や学校といった環境に馴染めぬ少年。
庭の禁足地の秘密、そこへ誘う一羽の“アオサギ”……

始めに書いてしまうと、私はアニメ(アニメーション技法としてではなく俗語的に「アニメアイコン」や「アニメオタク」等と言われる傾向のジャンル)に関しては、高畑勲監督の方に考え方が近い。
特に、鑑賞者の自己の努力なきコミュ障を環境や周囲の無理解といった他責として甘やかすような、環境さえ変われば認められる主人公を描いた“異世界系”が支持を得てからは嫌悪さえ募らせてきた。

宮﨑監督と高畑監督の描こうとするものの方向性の違いは有名な話だが、私はこの作品を観た事で、宮﨑監督へのイメージがやや変わりつつある。
というか、監督自身の現段階のスタンスがこうなのかな?とも思うが。

この作品の、不思議な世界の根源となるある人物は、宮﨑監督自身の投影であると思える。
他にも様々な心理描写やジブリ作品オマージュを含んでいるっぽいものの、
「監督がこれを言いたいのだ」
というメッセージ性をはっきりと伝えようとはして来ない。
なので、宮﨑監督が描きたいものを描いて見せ、観客が何を思うかに一任されているような、(映画としては不親切で消化不良な)突き放した印象を受ける。
宮﨑作品からこういった「理想や夢や甘やかし」が排除されているの(そしてある種結果的に“異世界系”が好むカタルシスに否定を突きつけるつくり)は、個人的には新鮮だった。
一つもグッズが欲しくならないくらい、よくぞここまで!と言える(キャラ萌え狙いの媚びデザインでないどころか、可愛くしようとすらしていなくて逆に好感が持てた)ほど醜悪な鳥達のデザインもその一つ。

スタジオジブリがしてきたように、理想を具現化し、見たいものを見られる閉じた幻想世界を選ぶか。
理不尽に溢れ、不幸が確定し、見たくないものを突きつけられる途方もない現実世界を選ぶか。

宮﨑監督から与えられてきた「夢」を、監督自らが我々観客の目の前で剥ぎ取って見せようとした時
“君たちはどう生きるか”。

私にとっては、これはそんな作品だった。

ただ、私が何を拾い感じ取ったか、を抜きにした作品のたたずまいとしては
『天空の城ラピュタ』や『風の谷のナウシカ』で皆が楽しめる大好きなハンバーグやお寿司を、『となりのトトロ』で幼児にも好まれるお菓子を、『風立ちぬ』で大人向けのビターなコーヒーを出してきた“信頼と実績の親しみ深いレストラン・ジブリ”が、名前も味もよく分からない高級フレンチをいきなり出してきた
ような感じ。

少し話が逸れるが、映画の“作り物を楽しむ”という感性において人は2パターンあると私は思っていて、それはどちらが良い・悪いとか、優劣のつくものではない。
色とりどりのシロップのかき氷を見て美味しそうと思うかどうか
の好み
とまるで同じだ。

あの赤だの黄色だの青だのの、色素丸出し・作り物丸出しの色彩を見て
「この賑やかな色がお祭り感あっていいんだよ!可愛いよ!」
「子供の頃食べたなあ、懐かしい」
と感じる人もいるだろう。
『孤独のグルメ』の主人公が、ド緑で果汁など入っていないであろうメロンソーダに
「このわざとらしいメロン味!」
と舌鼓を打つシーンがあるが、まさにこれだ。
作り物丸出しだけど、作り物ならではの甘ったるさやドぎつい色がいいんだよ!と。

反面、かき氷シロップを見て
「科学的で不自然で、気持ち悪い色だ」
「食べ物の色じゃない。食欲がわかない」
という人もいるだろう。
自然さがなく受け入れがたい、見た目ありきの着色料だと。

繰り返すが、映画の“作り物を楽しむ”という感性はこの感じと似ていると私は思っている。
「ご都合主義」や「美男美女だけ」や「セリフセリフした台詞回し」といった演出・脚本を、作り物ならではの味として楽しめるか、現実味がなくて鼻につくか。
タイムリーなので言うが、『ゴジラ-1』の人間ドラマ面への好き嫌いは本当にここで分かれると思う(前述の通りこれは味覚のように感じ方と好き嫌いでしかなく優劣や正否ではないので、一部の信者のようにこの感性の違いで人を貶すのは馬鹿のすることである)。

で、『君たちはどう生きるか』においては、このあたりの“対フィクションにおける好き嫌い”以前の段階で(意図的に)色使いもめちゃくちゃ・味もぼかしきっており、味わわせようという積極性が無いと感じる。
美しい作画や風景に共存する醜い鳥達、(一昔前ではおかしくないとはいえ)近親再婚の描写と、思春期の眞人が夏子に抱いているであろう、ジブリ作品としてはキツめのセクシャルな嫌悪感を抱かせて視覚的に快・不快を織り交ぜ、更にメッセージの伝え方も積極的でない。

乱暴な言い方をしてしまえば、独りよがりのハイアートである。
しかし、そんなものを極めていて尚、観客を
「旨味を探そう」
「これが出された事にシェフの崇高な意図があるはずだ」
と駆り立てる。或いは未知の味覚に惹き付けさせるのかも知れない。

私は一歩引いてしまう所はあり、元々ジブリ作品に好きなものは『平成狸合戦ぽんぽこ』と『もののけ姫』しかないが、スタジオジブリの大衆の中での存在感を再認識した。
分かりにくい・分からせる気の無い作品にすら、多くの人が熱狂と称賛を示し、価値(があるはずだ、価値を感じる、となってそれ)を拾い出そうとする。
これは結構凄い(というか、大衆娯楽の中にあっては異常事態に近い)事だ。
そして、コンプライアンスと多様性邁進に執心するあまり指針を失ったり、過去の作品を希釈するようにマネタイズの道具にする製作会社とは、スタジオジブリは明らかに違うところに立っているのを再確認した。

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