Majority 社会に居る心地よさ
日本に2ヶ月一時帰国した。
3年ぶりの帰国。
とにかく家族に会いたかった。
押し気味のスケジュールを何とかこなし、寝不足でフラフラしながらもバンクーバー国際空港へ。
飛行機が降り立ってから成田空港の検疫で2時間ほど缶詰になって心身ヘトヘトになりながらも、荷物を受け取り到着ゲートへ向かう。
わざわざ長野の田舎から空港まで迎えにきてくれた母と再開。
髪を金髪に染めメガネにマスクをしていて、最初は気づいてくれるかと思ったが、母は私が到着ゲートから出てきた瞬間に泣きながら私に飛びついてきた。
涙が止まらなかった。
不安で、寂しくて、辛い日々をどれだけ過ごしできたんだろう。画面越しではわからなかったが3年ぶりに再開した母はかなり痩せていた。
久しぶりの日本。私の生まれ故郷。
どれだけ帰りたかったか分からない。実家に帰って母が作ってくれてあった味噌汁を飲むと、私はまた声を出しながらワンワン泣いた。
1ヶ月目はとにかく天国。
一番嬉しかったのは車がないとフラッとひとり旅もできないカナダと違って、日本はよっぽどの辺境地でもない限り電車に揺られ、女性でもひとりでどこにでも行けること。
善光寺のご開帳、興味本位で参加した空き家ツアー、戸隠神社、大好きなアーティストのライブツアー。美味しい食べ物に日本のリッチなカルチャー、、、これでもかと言うほど満喫した。
何も問題はなかった、たったひとつのことを除いては。
「謎の空気感」
YOASOBIの大ヒット曲「夜に駆ける」の冒頭は「沈むように溶けてゆくように」という歌詞で始まるが、私にとって今回の帰国はまさにそういう感覚であった。
日本に着いた途端に私は自然に「日本人モード」のスイッチが入る。
マスクを付けたり外したりするタイミングはもちろん、友人や家族に会うときも、バスに乗るときも、お店に入るときも。。。
居酒屋で食事が終わった後にマスクをすかさずつける友人をマネる。久々に再開した親戚との食事は終始黙食。行き交う人達やアクセサリー屋の店主さんとちょっとした会話になったら「海外から一時帰国しました」ではなく「東京から戻ってきました」と説明する。それでもやっぱり少々警戒される。
正直とてつもない違和感を感じながらも、「日本ではこうなんだ」と自分に言い聞かせながら初めの1ヶ月を過ごした。
そのうちに新しい生活様式にも慣れてきた。まるで「沈むように溶けてゆくように」。
周りのしていることと自分がしていることに大きな差異が生じない様に、目立たない様に、透明になって自分を大きな流れにブレンドさせる。日本の社会にいともたやすく溶け込む。
そんなに難しいことではない。
私の脳みそは小さい頃からそうやって周りや社会に自分を溶け込ませる様に大人達からプログラミングされて「日本製」になっていったのだから。
だからカナダから帰ってきた時の日本の心地よさはハンパない。
それはまるで母の子宮に戻ったかの様な、優しい温水プールの中を浮き輪でプカプカ浮いている様な感覚なのである。
でもその心地よさは長くは続かなかった。
帰国2ヶ月目。
5月下旬、私は実家近くの田植えが済んだばかりの綺麗な景色を楽しみながら、道の駅で買った野菜を抱えて楽しそうに帰路へとついていた。
。。。。が、途中で気がついた。他に誰も人が歩いていない田んぼ道のど真ん中でマスクを付けていたのだ。
ハッとさせられた。これが空気感に支配されるということなのだと。
こんなに天気が良くて歩きやすい、五月晴れの空なのに。
私は急いでマスクを外して綺麗な田舎の空気を思いっきり鼻から吸い込んだ。
空気感が生み出す光と影
私は日本に帰国してからというもの、謎の空気感に支配されていることが心地よく感じてきて感覚が麻痺し始めていたのだった。
そして間違えなくその空気を作り出しているひとりも、その空気に自ら乗っかっている私自身であった。。
個人的にはただ暑さの中で息がしづらいということと、肌荒れがひどくてピアスもできなくなってしまったことなんかもあるのだけれど、そんな小さいことはさておき、
マスクを着けて表情がわからない状態で友達と遊んだり大人たちから教育を受ける子供達が運動会の準備で外でマスクをつけたままかけっこ大会の練習をさせられていたり、厳しい暑さの中マスクをつけたまま外を歩くお年寄りの方たちん具合が悪くなったり、、
誰のための、なんのためのマスクなんだろうか?
社会の目から自分を守ることによって、何か大事なものを犠牲にしていないだろうか。
居心地の良さには矛盾が生じる。
まるで光と影の様に、誰かの「居心地の良さ」の裏には、誰かの「居心地の悪さ」が存在するからだ。
みんなと同じ様にしていれば安心安全。でも逆に言えばみんなと同じでないととことん苦痛を味わう。自動的に仲間はずれになる。
幸か不幸か私は12歳くらいからどんどん自分と周りの間に生じる違和感に敏感になり始めた。学校も先生も大人も同級生も何もかもがもう限界で、18で高校を卒業したら真っ先に日本から飛び出した。正直カナダでもどこでも良かった、日本でさえなければ。
日本を出て外から眺めて、時々帰ってきたりしてやっと分かったのだ、私の感覚は間違っていなかったと。
私がカナダの大学を卒業した後に日本式の就活をどうしてもする気持ちになれなかった理由はここにあるのかもしれない。
幼い頃からMajorityの一員であろうとすることを強いられ、逆を言えばMinorityにはなるまいとする努力をさせられる。その結果排他的な社会を作り出してしまうのではないのだろうか。
私が日本への一時帰国で浸っていた心地良さは、自分がいかに生まれてから海外に出るまでの18年間「Majority」の一員として受け入れられる努力をして、そこから得られる恩恵を享受していたからこそ感じたものであったかということを今回思い知らされた。
やっとこのことに気づいたのだ。私は無知で、無頓着な自分に身震いした。
6月中旬、一時帰国を終え、成田からバンクーバー国際空港に降り立って夫と再開。車で外へ。
青々と茂った木々、、近くに見える山々。。
何もない。何もないからこそなんでもできる。自由、そして開放感。
図らずとも私は「やっと息ができる」と思ってしまった。
失礼を承知で言う。日本と比べたらカナダはとことん”Plain"国だ(カナダファンの皆さんごめんなさい)。じゃあ何でそれでもここにいるのかと聞かれたら、大好きなカナダ人夫と離れたくないことはひとつ。そしてもうひとつは自分の中の何かが日本に帰ることを拒んでいるから、だ。
世界はまだまだ差別や偏見に満ちている。そしてカナダも決して例外ではない。格差もひどい。が、少なくともここに住む人々はそのことを認識してはいる。
そしてカナダ社会では「謎の空気感」が存在しない。みんながそれぞれ言いたいことを言って、やりたいことをし、日本と比べたら比較的やりたい放題で生きている。「まとまりがない」と言われればそこまでなのだが、それでも社会はなぜかそれなりに回っているのだ。
でもカナダよりもっと人々が楽しく自由に幸せに暮らしている社会だってあるかもしれない。井の中の蛙にならない努力をこれからもし続けなければ。今はそれができる環境で生かされているのだから。
きっと私はこれから先ずっと日本と海外を行き来しながら自分の中にいる小さな私を死なせまいと必死にもがくのだろう。
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