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片棒担ぎ

 昔から、本当に正しい考え方は世の中に広まらず、本当に大切なことは学校では教えられず、本当に良いものが世の中からバッシングを受けたりするのはなぜなのか、と疑問に思うことがあったが、コロナ禍のお蔭で、それらはすべてこの世を牛耳ってきた者たちが本当に良いものを押さえ込むために情報操作してきたからだとわかった。本当に良いものが世の中に広まればみんなが幸せになってしまい、人々の「恐怖」と「依存心」を糧に築き上げてきた彼らの権力と富が失われてしまうからだ。(実は彼らも一緒に幸せになれるのにね)
 例えば、パンデミックに効果的かつ安価の薬*に対しては、マスコミを使って否定的な情報を流し続け、極めて高価で副作用も未知数の薬をさも素晴らしい特効薬であるかのように宣伝する。それによって莫大な富が得られるからである。政府やマスコミを盲信する人々はそれにまんまと騙される。
 この世を牛耳ってきた者たちの「悪業」が暴露されるとき、彼らに盲目的に従ってきた人々はどれほどの衝撃を受けるだろうか。
 いや、「盲目的」なのではない。この世を支配する力を持った彼らに勝てるわけがないではないか。だから生きるためには従わざるを得ないのだと言う人もいるかもしれない。しかしそんな人々も実は、彼らの悪業に手を貸してきたのだということを忘れてはならない。「脅されて仕方なく」あるいは「生活するために仕方なく」という言い訳の下に、彼らが存在するため必要な糧である「恐怖」と「依存心」を彼らに提供し、彼らに力を与え続けてきたのである。人々がその糧の提供をやめれば、必然的に彼らは崩れ去る。
 彼らが権力と富を欲しがるのはまさしく彼らの自信のなさの表れなのである。本当に自信がある者は決して権力や富など欲しがろうとしない。嘘を維持するにはさらなる嘘が必要で、それを維持し続けるには膨大なエネルギーが必要となる。嘘は必然的に崩壊する運命にある。巨悪は必ず暴露される。
 だからこれからは決して「脅されて」「生活のために」**「しなければならないことに追いまくられて」「仕方なく」生きてははならない。そうではなくて「楽しく」「ワクワクしながら」「心から本当にやりたいことをして」生きるべきなのだ。それには真の勇気が必要だ。
 くれぐれも巨悪が構築した今の社会秩序に「仕方なく」迎合して、彼らに糧を提供する片棒担ぎにならないように。そうなればあなたも(私も)彼らの一味に転落するのだから。

*本当に良い薬は、安価で汎用的であるはずだ。なぜなら、すべては繋がっているからである。この世で最も効果的な薬は「笑い」である。コストゼロですべての病気に効果がある。

**「自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。 空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。 あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。 なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。 しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。 今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。 だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。」マタイによる福音書 6 新共同訳: Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳