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《5》再上昇 : 再び英語大好き期 【マヨコロの『英語あれこれ記』】

高校1年生の冬に始まった英語イヤイヤ期は、2年生になっても続いていた。何ヵ月もかけて、今やカチカチの氷である。だが、その氷は、ある友達のお陰で少しずつ溶け始めた。

Mちゃんは、柔和な上に、自分の意見をしっかりと持っている女の子だった。英語が得意で、授業中に当てられると、全く臆することなく堂々と音読した。皆が彼女の美しい発音を聞きたくて、教室内がしーんと静まりかえったものだった。

《早口で英語を話せることが、英語ができる人の条件の1つ。私は元々、日本語でも、話すのが遅いからなぁ》
と、なぜだか思っていた私にとって、彼女のゆっくりとした美しい丁寧な発音は『目から鱗』だった。大切なのは、発話の速さより正確さだ、と気付かせてもらった。

楽しみながら熱心に英語を勉強している彼女を見ていると、
《そういえば、英語って楽しいものだったよなぁ。もう一度わかるようになりたいなぁ》
という気持ちが少しずつ大きくなってきた。そして6月、ようやく私は自ら分厚い氷を溶かす決心をした。

   *    *    *   

まず始めたのは『スラッシュ・リーディング』。英文を意味のかたまり毎に区切り、 英語の語順のままで文を理解する…という方法である。

これが、ドンピシャで私にハマった。今まで単語の羅列にしか見えていなかった英文が、部分的に浮き出て見えるようになったのだ。

文構造が何となく見えてくると、今度は文法をもっと詳しく知りたくなった。そしてついに、あの分厚い英文法書に手を伸ばしたのである。

開いてみると、そこは宝の山だった。今まで「?」だった部分にピタッと答えが当てはまっていく。
《そういうことだったのか!》
という発見が連日続いた。

膨大な数の単語に関しては、中学時代のように丁寧に1語ずつ覚えていくための、時間的、また、精神的余裕がなかったので、単語帳には手をつけなかった。

その代わり、教科書の英文を物語として頭に入れ、各単語の意味を流れで思い出すことにした。

昔話『桃太郎』を知っている人なら、
「おじいさんは山に (  ) に、おばあさんは川に (  ) に行きました」
という文の空欄に入るのは「芝刈り」と「洗濯」だ、と即答できるのと同じ原理である。

手が単語の形を覚えるという実感があるので、書く回数は減らしたものの、引き続き紙に単語 (と思しき代物) を書き殴った。

また、W先生が授業で毎回語源を教えて下さったお陰で、単語が飛躍的に覚え易くなった。

"television" は、"tele" (遠い) と "vis" (見る) と "ion" (名詞を作る語尾) の3つの部分から成ると聞き、
《だから「テレビ」を "TV" と略すのか!》
と感動したものだった。

こうして、まだまだ文法力も単語力も不十分だが、
《わかる!》
と実感できる場面が増えていった。そうなると、
《英語は楽しい! 英語好き!》
と思えてくるのだから、現金なものである。

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さらに、大好きなノルウェー人グループ a-ha が来日し、地元でコンサートが開催されることになった。

当日。会場でボーカル・モートンのハイトーン・ボイスに感動し、友達の Fちゃんとキャーキャー言いながら出待ちをした。そこで、Fちゃんが粘りに粘り、
「明日、○時○分の新幹線で、☆☆に向かう」
という情報を、ある人から手に入れた。翌々日は実力テストがあったが、そんなことは関係ない。この絶好のチャンスを逃す訳には行かない。『諦める』という選択肢は、Fちゃんと私にはなかった。

翌日、新幹線のプラットフォームで待つこと30分、ついに彼らが現れた。ドキドキしながら、拙い英語で、大ファンでずっと応援していること、また来てほしいことを伝えると、ニコッと笑って手を振ってくれた。

この感動の体験がダメ押しとなり、私の英語熱は一気に加速したのだった。

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ついに分厚い氷は溶けた。私の英語イヤイヤ期はようやく終わりを迎え、高校2年の3学期には、
《大学は英文科! 将来は英語関係の仕事をしたい!》
と思うようになっていた。

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もう一度英語が好きになれたのも、やはり、友達や先生方の存在があってこそだった。私は人様に恵まれていると、つくづく感じる。軌道修正して下さった皆さんに、ここでも感謝感謝である。

興味を持って下さりありがとうございます☺️✨ 頂いたご厚意を活用し、英語に関する何らかの形で社会に還元するつもりです。