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男女の友情について

「ねえ、男女の友情って成立すると思う?」

春の優しい風に吹かれて木々が揺れた。
微かに、そんな問いが聞こえた、気がした。

私には、仲の良い異性の友人がいた。

実家に帰省するたびに帰省したことを報告しては
遊びに誘っていた。

当時に悩んでいた悩み事も基本的には話していたし、
仕事の悩みは特に、話していたと思う。

ある時、帰省したタイミングで彼に連絡を入れた。

どうやら最近彼女ができたらしい。

「彼女に聞いてみるね。」
そう、彼は言った。

なんとなく、断られる気がして、
期待はしていなかった。

案の定、私の読みは当たった。

「彼女がダメって言うから会えないわ。」

「分かった。また今度会おうね。」

その連絡を最後に、
私が彼に連絡することは無かった。

そんなことがあったなあ…

なんてことをふと思い出しては、
「男女の友情」についてここで綴ろうと思った次第である。

私は、「男女の友情」は成立すると思っている。
というか、成立すると信じたい、に近しいのかもしれない。

実際に、社会人になった今でも、
成立している友達がいる。

でも、その人に対して「異性」と言う概念もなければ、
”そういう対象”として捉えていない為、
むしろ性別を持たないというか、
性別で区別する必要もないのだ。

大人になってから
幅広く多くの人と関わる機会があった。
その度に知り合いの枠が広がっていた。

そのせいもあって、
「男女」に対する壁や隔ては一切感じなかった。

と言うのは、
単純に「自分が面白いと判断する人間」と関わっているだけなのだ。

価値観が全く違う人、
価値観が似ている人、
趣味が同じ人、
好きな食べ物が同じ人、
好きな音楽が似ている人、
自分と違う分野の人、
同じクリエイターの人、
相談をしたい人、
なんとなく連絡したくなる人、
好きな人、

なんとなく、そうやって分類はされているが、
共通して言えるのは、
「敬意」があること。
それに尽きる気がした。

人は人に無関心だし、
人は人に飽きるから。

「愛」だけではなく、
その人に対しての、「尊敬と敬意」が必要だと思った。
むしろそれが無ければ、
人と共存できない気がした。

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