見出し画像

成績に対するこだわり

コロンビア人のクラスメイトたちの態度にびっくりすることは多々あるけど、
[成績へのこだわり]が凄まじすぎてビックリした。

まず、教授たちが、提出物への個別のフィードバックがないことに、皆、怒っている。「この思いを、みんなの声として、誰が代表者としてメールをするか」という議論が、1学期(半年)のうちに3−4回起こっている。

そして、先生たちからのフィードバックが来たら、「あれ?こっちの提出物へのフィードバックはあるけど、評価対象のこのレポートには無かったよね?」というディスカッションが始まる。それもまた、「じゃあ、誰が代表してメールを送る?」というディスカッション 。

それから、イントラに成績が載ったと思ったら、そのアップされた数秒後に、真っ先に見ているクラスメイトがいて、「今、成績が出たよ!みんな見てみて!」とWhatsAppに連絡が入り、ざわついている。

アウトプットを出すことで精一杯で、あまり成績のことまで気にしていなかった私は、とにかく会話の流れにビックリ。だから、このキャンペーンにはこれまで積極的に参加していなかった。というのも、(めっちゃ日本人的な考えから抜け出せていないけど)みんな意見があるなら、個別に送ればいいと思ってしまうし、あまりにもdemandingに感じ、外出禁止のストレスが全て怠惰な教授たちに対して爆発しているようにしか見えないから。もっとも、日本の大学では、ここまで教授に求めることなんて無かったから、教授との付き合い方っていうのが、よくわかっていないという理由もある。

だけれど、demandingなクラスメイトたちを見ていて、ものすごい刺激になっている。

実際、彼らが学部長とのミーティングのアポを取り、「高い学費を払って学んでいるんだから、もっと生徒たちの意見を反映した授業をしてほしい」と訴える場を作ったこと。私の専攻しているコースは、若干実験的な取り組みが多いため、先に学んでいる先輩方も不満が多かったようで、一致団結して学部長・教授人に訴える様子は、この大学というコミュニティではあるけれど、コミュニティを自分のために変えていく!という、ものすごいパッションは感じれた。

そういうアクションの後の彼らの反応を見ていると、そういうアクションを先導した人に対する感謝の気持ちは、本当に凄まじい。なんだかヒーロー・ヒロインみたいな扱いをされている。それも、また、とても新鮮だったりする。

そんな風に、客観的に観察してしまう自分が、ちょっとまだガッツリコロンビアの文化に浸れていなくて悔しい気持ちもあるし、もっと一緒にガッツリ活動することもどこか演技しているようで、ちょっと納得感がないよな、と思い、常に葛藤している。

なので、ジョインしたいと思う活動は一緒に参加するけれど、興味のない活動はそっと距離を置いている。とにかく、宿題が忙しい時にもこの議論は巻き起こっているので、私には追加的な彼らのアクションについていくキャパがないのが実態で、「No estoy capaz de hacer eso」と発言することもしばしば。もう少し余裕を持って文化体験したいと思うけれど、授業の成績も考えると、グループワークで迷惑をかけるわけにいかないので、まだまだ余裕が出てくるとは思えない。。。

成績に関して言えば、大抵は、授業の最後の課題(大抵は個人・グループでの小論文執筆)の配点が高い。なので、そこを全力(いや、私の場合は、200%-300%)を出すことに集中すべきだと、やっとわかってきた。

よく欧米の大学院では、「発言点」が重視されるというけれど、社会科学系の学部だから、どれだけ授業の内容と教授の見解を理解して、どんな風に自分自身が考えているのか、それを先行研究者の意見を活用しながら小論文が作れるので、論理的に答えが出せて、取り組みやすい。そして、意外といい成績がつくことで、自分にも成績へのこだわりが少しだけ芽生えた。本当に1学期の初めは、わからないことが多すぎて成績のことなんて諦めていたけど、「そっか、諦めなくていいんだ」という感覚の成長。

2学期がいつ始まるのやら不透明だけど、刺激をくれるクラスメイトとの時間は貴重だから、楽しみでならない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?