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グッバイ

私の大学生の頃の本当の研究テーマは毒親についてでした。
一度適応障害になり、いろいろと実科の助けがあって復活したので、親を毒親というのは間違っている(少なくとも自分の家は)と思っていました。
しかし、何度目かの気づくを経て、やはり母親は私にとって善い存在ではないのではないか、という結論に至りました。

発端

すべての始まりというのも難しく、すべて説明するには母親の人生そのものと私の人生そのものを語らなければ意味が通じない話です。がもちろんそんな時間はありません。
とにかく、私は自分の話をほとんど実家の家族にはしないので「陰気で気味が悪い。みんなそう思っている」と母親にいわれ、
私がショックを受けて、三日間ぐらい泣きながら生活することになりました。


正直ショック過ぎて何言われたかあまり覚えていないのですが、ふっとよみがえってきては、頭のなかでぐワングワンと反響し、まともな思考ができなくなり、過呼吸も起こしました。
いまでもふっとまた落ち込みそうになるのですが、かわいらしい珍名の競走馬の名前をつぶやき続けることで、落ちずに済むことがわかったのでそれで持ちこたえています。

私にも問題はあるのでしょう。それは間違いないです。
私はおとなしい人間なので、面白みがなくて陰気でつまらない人間です。

欠点のない人間はいないし、でも、家族や恋人友人は欠点があってもそれも込みで受け入れて愛してくれる、愛する存在だと思っていました。
それを「気持ち悪い、気味が悪い」と言われてしまえば、こちらから相手への信頼はゼロになります。
ましてや、自分はプライベートな時間を削って実家のことを何かと手伝ってよい娘であったつもりだったので。妹のことが心配で、週に一回、実家に帰っていました。いらないことしたなぁ、余計なことをして恥ずかしかったな、申し訳なかったな、と思いました。

気持ち悪いと言われ存在を否定されたことは、私の心を強く傷つけ、やっぱり家族なんていらない。という気持ちにさせました。
ただ、たまたま血のつながった家族と、人間性が合わないだけで、それなら恋人と新しい家族を作るほうが、うまくいくのかもしれない、とも思いました。
ちなみに、私のことを陰気だと言いますが、あの人たち決して陽キャではありません。そういう陰気ともちょっと違うはなしなのですが、
とにかく、人間として合わないんだな、ということがよく分かったので、ちょっと距離を置こうと思います。
受け入れてくれる人は他にもいます。
私はそれを知っていて、両親も妹もそうだと思っていたのに、なんと母親は違ったようです。
合わない以上は、距離を置いて適切に付き合い続けるしかありません。

私は私の生活と人生を守らないといけないので。
傷つけてくる人とは距離を置いて、心穏やかに過ごしたいと思っています。

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