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愛せないことは苦しい。けれど、愛するが故の苦しみは愛おしい。

2年越しに見れた映画


この映画は2年から知っていた。

いつだったか見ようと思ってたんだけど、前回見ようとしたときは、最初の10分くらいで見るのをやめてしまった。

見終えた今思えば
あの時の自分は
この映画から溢れる
純粋な愛のエネルギーを
受け止めきれる器がなかったんだと思う。

だからある意味、拒否反応みたいなね。

でも今日ふと、『見たい』と思った。

傷つくことを恐れて
愛することから逃げて
エゴに支配されて
自分のほしい愛を求めて
なにしてんだ、ってなってた自分に
必要な映画だって思った。


無償の愛と魂の解放

最近自分はぎっくり腰になったんだけど、
ハイヤーセルフに腰を痛めるほどに押し込めているもの、ガマンしてるものはなに?って聞いたら

・まゆ、という人間性の表現
・愛すること

って出てどひゃあ〜ってなった。 

表現と愛を抑圧しないこと
恐れを捨てて、表現すること、愛すること

それが魂の解放なんだな、って身をもって教えてくれた。

映画ではいろんなシーンで涙が止まらなかった。

なかなかカードが当たらない彼女のために3枚同じカードを揃えてあげている姿
男性の中にある憎しみや怒りを、優しさで包み込み、赦すことを教える姿
過去の男の名前を呼び「愛してる」と言ってきた彼女に「わたしもだ」と返す姿
どんなに忘れ去られても共に生きると決め続ける姿
どんなに愛してて一緒にいたくても自分が彼を苦しめていることを受け入れ、勇気を持って自ら離れる姿
記憶があるうちに精いっぱいの愛を、これでもかと、必死に必死に伝える姿
記憶を取り戻したときの彼女を、あのころの彼女を、ずっとずっと信じ続け、愛し続ける姿

全部涙が止まらなかった。
魂が洗われる感覚がした。

「赦しとは心の部屋をひとつ空けること」と言っていて
ほんとだなあって思った。

誰かを責めているとき
誰かを許せないとき
誰かを愛せないとき

一番苦しいのは自分だ。

だから赦すことは自分を愛すること、自分を楽にさせること。

つまり無償の愛を生きることこそが、最も自分を愛することと言える。

彼らの愛はとにかくピュアで純粋で無邪気だった。

彼らが、感情に振り回されずに愛に基づく選択ができているその姿は、とてもとても美しかった。

ひとが誰かを愛する姿というのはやはり美しいものだ。

前にも一回、『50回目のファーストキス』という同じようなストーリーの映画を見た。

どんなに記憶がなくなっで
どんなに忘れ去られても
何度でも愛そうと
トライしつづけられる男性の無償の愛に涙が止まらなかった。

男性の無償の愛とはすごい。
どうしてそんなに優しいんだろうってくらいに。
どうしてそんなに我が身を捧げることができるんだろうってくらい。
大きくて深くてあったかくて。

ほんと、尊敬するレベルなんだけど
彼らからしたらそれは喜びなんだよね。

それをいまは自分の身をもって体験させてもらえているからこそ、この映画で描かれる無償の愛が、身体に、こころに、魂に響きまくった。


魂と記憶

生きてる中で手に入れた地位・名誉・学歴、お金、高価な物や家、ぜーんぶぜんぶ、死んだらあの世に持ってけない。

唯一、あの世に持っていけるもの
魂に刻み込めるものは「記憶」
《愛した記憶、愛された記憶》
だと思ってる。


でも例え、
この世にいるときの脳の中で
アルツハイマーや認知症として
記憶をなくしたとしても、
それは必ず魂に刻み込まれているんだと思った。

映画の中にも
『記憶は消えても、魂は消えない』というセリフがあった。

この世では忘れてたとて
しっかりと、潜在意識《魂》には残るのだ。


愛することで苦しいことはもちろんある。でもその苦しみも愛おしいものとなる。

本気で好きになったが故に
愛すると決めたが故に
苦しいことはたくさんある。

ただ、愛している中で感じる苦しさなんて終わってみれば愛と同じなのだ。

それよりも、愛せない苦しみの方が、苦しいのだ。

きっと、愛せた時に誰よりも喜びでうれしくて魂が満たされるのは自分。
自分を愛していきましょね。

映画の最後に主人公の男性が残した

「愛してる」

が、たまらなく尊く、愛おしかったな。




とってもよろこびます♡