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【読書感想】嫌われる勇気

今回はアドラーの教え「嫌われる勇気」を読んだので自分なりのまとめと感想を書きたいと思います!

この本はかなり有名な本ですよね!
読んだことがなくても、この青い表紙、本屋さんで一度は見たことがあるはず。

最初はピンとこなかったものが、本を読み進めていくうちにどんどん繋がって視界が晴れていく感覚を味わえました。

アドラー心理学

心理学の三大巨頭と呼ばれる、フロイト、ユング、そしてアルフレッド・アドラー。

そのアドラー心理学の教えが「一人の青年と哲人」の対話形式でまとめられている。

アドラー心理学では、「他者貢献」という導きの星を掲げ、「いま、ここ」を真剣に生きる。そうすれば「人は幸せになれる」と答えている。

そのためには、

  • トラウマの否定

  • すべての悩みは対人関係

  • 課題の分離

  • 共同体感覚

の4つが必要だ。

①トラウマの否定

アドラー心理学では、まずトラウマを否定している。

わたし達は、「原因論」ではなく「目的論」、つまり何かの目的に沿って生きている、と考える。

例えば引きこもりの人がいたとして、アドラー心理学では、その人は「幼い頃両親に虐待された」から引きこもっている(原因論)ではなく、「外に出たくない(親に注目されたい、心配されたい)」という目的があって引きこもっている(目的論)と考える。

例えばレストランでウェイターにコーヒーをかけられてしまったとして、アドラー心理学では、「コーヒーをかけられて怒りに駆られて」大声を出した(原因論)ではなく、「大声を出したい(ウェイターを服従させたい)」という目的があって怒った(目的論)と考える。

大切なのは「なにが与えられているか、ではなく、与えられたものをどう使うか」。
性格や気質(ライフスタイル)は変えられるのである。

②すべての悩みは対人関係

自分の短所ばかりに目がいってしまうのは、「自分を好きにならないでおこう」という目的を達成するため。
それは、他人から嫌われて対人関係の中で傷つくのを恐れているから。
対人関係で傷つくぐらいなら、自分を嫌いになって対人関係に踏み出さないで自分の殻に閉じこもっていたほうがマシという考えがあるから。

アドラー心理学では、「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」と断言している。

私たちを苦しめる劣等感は「客観的な事実」ではなく「主観的な解釈」なのである。

例えば、「身長155cm」という客観的な事実は変えられないが、「背がもう少し高ければ楽しいことが待っているのではないか」「背が低いから威圧感を与えない」といった、主観的な解釈はいくらでも変えられる。

人は誰でも「優越性の追求」という向上したいと思う状況にいて、その理想に到達できないと自分に対して劣っているかのような感情を抱く。
この「優越性の追求」は、他の人よりも上を目指す「競争」ではない。
同じ平らな地平に、前を進んでいる人もいれば後ろを進んでいる人もいる、というイメージだ。
対人関係の軸にこの「競争」があるとその先にあるのは勝者と敗者なので、不幸から逃れることができない。

他者を「仲間」ではなく「敵」とみなしてしまうのは、「人生のタスク」から逃げているからである。

「人生のタスク」とは、

行動面
①自立すること
②社会と調和して暮らせること
心理面
①わたしには能力がある、という意識
②人々はわたしの仲間である、という意識

「嫌われる勇気」P110

社会で生きていくうえで直面せざるをえない3つの対人関係「仕事のタスク」「交友のタスク」「愛のタスク」。

③課題の分離

アドラー心理学では、承認欲求を否定している。承認を求めてはいけない。なぜなら、われわれは、他者の期待を満たすために生きているのではない、他者の期待など満たす必要もない。
他者の期待を満たすということは、他者の人生を歩むことになってしまう。
逆に、他者もまた「あなたの期待を満たすために生きているのではない」のである。

そのためには「課題の分離」をする。
他者の課題には介入せず、自分の課題には誰ひとりとして介入させない。

例えば「勉強する」という課題があったとして、この課題をしないことによってもたらされる結果を最終的に引き受けるのは誰かを考える。
「勉強しない」ことによってもたらされる結果は、「勉強についていけない」「よい学校に入れない」。つまり、これは子どもの課題である。

親は「勉強しなさい!」など介入するのではなく、見守り、信じる。

「馬を水辺に連れていくことはできるが、水を呑ませることはできない」

「嫌われる勇気」P143

そこで水を飲むかどうか(勉強するかしないか)は子どもの課題なのである。

誰からも嫌われない人生というのは、自分が周囲に対して嘘をつき続ける生き方である。
つまり、「誰かに嫌われている」ということは、あなたが自由を行使し、自由に生きている証なのである。

④共同体感覚

共同体感覚とは、他者を仲間だとみなし、そこを「自分の居場所がある」と感じられること。

対人関係のスタートは「課題の分離」、対人関係のゴールは「共同体感覚」である。

「わたし」は自分の人生の主人公であるが、世界の中心ではない、あくまで共同体の一員である。
「この人はわたしに何を与えてくれるか」ではなく、「わたしはこの人に何を与えられるか?」を考える。

「課題の分離」から「共同体感覚」に至るためには、すべての対人関係を「横の関係」とすることが必要である。
これは「褒めない、叱らない」、つまり他者を評価しないということ。
「偉いね」「よくできたね」ではなく、その代わりに「ありがとう」「嬉しい」「助かったよ」など、自力での解決を援助する”勇気づけ”をする。

人は感謝の言葉を聞いたとき、自らが他者に貢献できたことを知る。
そして、自分には価値があると思えたときにだけ勇気を持てるのである。

この「共同体感覚」にはさらに

  • 自己受容→ありのままの「このわたし」を受け入れ、変えられるものについては変えていく”勇気”を持つこと

  • 他者信頼→他者を信じるにあたって、いっさいの条件をつけないこと

  • 他者貢献→仲間である他者に対して、何らかの働きかけをしていくこと。「わたし」の価値を実感するためにこそなされるもの

この3つが必要である。

人生における最大の嘘は「いま、ここ」を生きないこと

「幸福とは、貢献感である。」

「嫌われる勇気」P253

他者貢献は目に見えるかたちでなくてもよくて、「わたしは誰かの役に立っている」という主観的な感覚「貢献感」をもてればそれでいい。


「いま、ここ」にスポットライトを当てるというのは、いまできることを真剣かつ丁寧にやっていくことです。

「嫌われる勇気」P272

人生とは、線ではなく点の連続である。
すなわち、人生とは連続する刹那なのであり、「いま、ここ」が充実していればそれでいい、目的地は存在しない。

感想

実はこの本、だいぶ前に購入し一度途中まで読んで挫折してしまいました。
ふと、あ、また読んでみようかなと思って、今回一気に最後まで読むことができました。

正直心理学にはあまり興味がなくて、「この本なんか有名らしい」という理由だけで読んでみたんですが、見事に引き込まれてしまいました。

アドラー心理学って結構極端な考え方だなと思うところがありました。けれど、青年(わたしたち)と、哲人(アドラー心理学)の対話形式になっているので、都度湧き出てくる疑問に答えてくれて、最後はすっきりと終わることができました。

ただ、これを実践していくとなると結構難しい…、本の中でアドラーも「自分の生きてきた人生の半分の時間が必要」だと述べています。

つまり、31歳のわたしが実践するには15年ほどの時間が必要ということ。
それほど奥深いものなんだなと感じました。

本の中で、「深刻になるな、真剣になれ」という言葉が出てくるのですが、この言葉、中学か高校の部活の先生だったかが言っていた言葉で、今も記憶に残っています。アドラーの言葉だったのかなと、読んでいてなんだか懐かしい気持ちになりました。

すべてを実践していくのは難しいけれど、少しずつ自分の中にアドラーの教えを取り込んでいって、「いま、ここ」を真剣に丁寧に生きていけたらいいなと思いました。

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