7月9日【4】

赤子がおなかから出て来て対面を果たすと、次はおなかの縫合です。夫は退出し、私は再びされるがままの状態に。無事、元気に生まれてきた赤子の姿が見られたため緊張の糸は切れ、ある種の安心感がやってきていました。そんな私の心を占めていた気持ちは、縫われるってどんな感覚なのだろう、ということ。切られるのと同じくらい縫合にも興味があったので、麻酔で感覚はないけれど、できるだけされている感覚を拾おうと神経を研ぎ澄ませます。もちろん、痛みは微塵も感じないけれど、確かに、なんか引っ張られている感じはする。家庭科の授業でしたお裁縫を思い出す。よく、フェルトを使って縫う練習をしていたなぁ。そう、自分のおなかがフェルトになったような感じ。ただ、今思い返すと、外から見えるおなかに残っている傷は、ホッチキス(文房具のホッチキスじゃないよ、手術道具のホッチキス)で留められていたから、このフェルトのように感じたのは子宮だったのかしら・・・。

あるようなないような感覚をおなかに集中させていたのですが、麻酔の先生や看護師さんが私の頭の上でなにやら雑談をしていました。麻酔の先生はいつ一人目の子どもを産んだとか、そういう話。めっちゃ雑談してるやーん、ちゃんと仕事してんの?と思っていたら、「こんな話してますけど、ちゃんとやることはやってますから大丈夫ですよー」と言われ、もしかして声に出てたのか?とドギマギしながらも、「はいー」なんて答えたりしていました。

そんなこんなで縫合を終え、ベッドのまま手術室をあとにしました。病室(もともと泊まる予定だった部屋ではなく、本当に病室って感じの部屋)へ到着すると、麻酔のせいか頭はぼーっとし、なんだか身体がだるい。身体を切ったんだから、そりゃ元気なわけないよなーと思いつつ、看護師さんからしばらくは水を飲んではダメだから氷を食べてと言われたり、むくみ防止の着圧ソックスをはかせてもらったり。そしてふと、ぼーっとした頭で今日はもう赤子に会えないのだろうか、と思ったり。そんなことを考えながら、気付いたときには眠りに落ちていました。それからは、1、2時間ごとに看護師さんと先生が様子を見に来てくださり、氷をくれたり、熱を測ったり。

何回かそんなことを繰り返した後、赤子が保育器に入っていることを聞きました。ちょっと息が上がっていたので保育器に入っています、と。保育器?!大丈夫ですか?と思わず尋ねると、明日には出られると思うから、大丈夫ですよ、との言葉。よかった、と一安心しながらも、我が子の姿を見れないのかと思うと淋しい。てっきり、今日から同じ部屋で過ごせると思っていたので膝かっくんされた気持ち(まぁ、おなか切った直後で抱っこもできないから、お世話なんてできないのですが)。両親や義両親、夫は、ベビールームに行けば、保育器に入っているとは言え、その姿を見ることはできるのに、私はさっきのあの一瞬だけなのか。私が産んだのに、あんだけ三日間頑張ったのに、私が一番我が子に会えてないじゃないか。朦朧とした意識のなか、そう思うとなんだか悔しくて泣けてくるのだけれど、麻酔のせいか疲れのせいか、涙が溢れてくる前に眠りに落ちてしまう、を数回繰り返す、なんとも情けないスタートを切った母親なのでした。

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