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転職は日本経済を救う07 1996年1998年 税理士試験2科目合格

バブルがはじけるさなかの1990年に急死した父の相続で、相続税を延納するという判断ミスをした私は、
数年後住まいの土地の底地権を物納することになった。
そして「自分のように相続で苦しむ人をなくすために税理士になる」ことを決意し、会社同僚との出会いもあって、学習を開始した。
最初は酒税法、国税徴収法を、友人の教材を借りて勉強してみたのだが、これでは合格の実力はつかないと、TACの通信教育で学習開始。まずは王道、簿記論から。
1995年は、、、落ちた。エアコンのない8月上旬の早稲田大学での試験。暑さ対策をしたが、それ以前に力がなかった。勉強不足。


【1996年簿記論合格】
朝勉強する形式に変え、1996年はようやく合格。合格率は約2割。会社ではWindows95の全社員への導入が始まり、私はそのリテラシ教育を担当していて、なかなかハードな時期ではあった。
そんな中での合格は素直にうれしかった。
が、税理士の資格を取るためには、会計科目2科目(簿記、財務諸表論)法律科目3科目(所得税・法人税のうち1科目+その他2科目)が必須。
5つのうちの1つに合格したに過ぎない。

【1998年財務諸表論合格】
では2つ目と、財務諸表論の学習を始めるが、こちらは計算半分、理論半分。手こずった。
合格したのは1998年。4年間でようやく2つ。
いつになったら税理士になれるのか。
しかもこのあとは計算はない。法律科目。条文を頭に叩き込むのだ。仕事をしながらその知識を得ることができるのか。

【Y2K】
1999年は、Y2k、いわゆる2000年問題の対応だった。私はなぜかグループの各拠点の危機管理計画作成プロジェクトの講師になり、日本全国を飛び回った。
文字通り飛び回った。朝は朝霞、その夕方には札幌、なんて日があった。なかなか学習は進まなかった。
私は所得税を選び、引き続きTACの通信を受けたが、不合格。
翌年はスクーリングにも通い、講師の方にも添削を受け、手ごたえがあったが、まさかの問題読み違えで不合格。
これで心が折れた。

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