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「価値は生命に従って付いている」

↑椎名林檎さんの『ありあまる富』という曲の歌詞です。めっちゃ好きです。これ本当だと感じるし、肚落ちしたら無敵だと思う。自分が何を持ってても、何を持ってなくても、その時できることを、淡々とやる。

私は「自分に付加価値を付けましょう、必要とされる人材になりましょう」という教育にかなり染まって生きてきました。素の自分では、昔みたいにいじめられたり選んで貰えなかったりして、やっていけないと思い込んでました。私の場合は容姿からしてマイナススタートで、いわゆる「普通」にもっていくために気を遣って金を使った。「普通」になっても、埋もれてしまわないように高みを目指せって、脳内の教育ママみたいな思考が、私をびしばし叩いたり脅かしたりしてきた。とにかく理想像を押し付けてきて、こうならないとだめ!って言う。

ある時「オープンな人じゃないと好かれない」という考えに取り憑かれて、セミヌード写真を撮りに行きました。全員女性スタッフやけど初対面の人たちの前で、最終乳首まで出して、これだけ勇気を出したのだからさぞかし開放的な、魅力的な女性に変身できるだろうと思ったのですが、堅苦しい私は堅苦しい私のままでした。それでええやん、と今は思うのですが、当時は、スタッフの、私をノセる力が足りなかったんだ!と不満を抱いて終わりました。撮られている最中ずっと、何やってんだオレ感が消えなくて、それを吹っ飛ばしてくれなかった向こうが悪い、みたいに思いました。何やってんだオレ感は、こんなことしなくて良いんだよっていう、素の自分からのサインだったのではないかと今は感じます。

「オープンさ」や「柔らかさ」、身に付けなきゃ、ってなる時もありますが、目指しだすとしんどいです。素の自分が、よくわからんイメージを押し付けられて苦しんでるのが伝わってきます。ものすごい奇跡の、ご縁の結果としての ”生” に、何を足す必要があろうか。なんか偉そうになってしまった。けどほんま、もう偉いし、好かれなくたってぜんぜん生きてやるし、と思ってます。



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