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ビル崩壊でテント生活を続ける子どもたち。元気でいてほしい...

2018年5月、ブラジル、サンパウロの24階建てのビルが大規模な火災によって崩壊した。犠牲になったのは、貧しく、無断居住していた300~400人程の人々。事故後、何か月も、ぎっしり並んだテントで生活している子どもたちがいた。

私が初めてそこに訪れたのは、事故後2か月が過ぎようとしている頃だった。友人の友人たちが、そこでボランティアをしていると聞いて、一緒に参加させてもらったのだ。

そのビルがあったのは、サンパウロ内でも廃れてしまっているエリアで、美しい古い教会や建物が残る一方、道にはホームレスの人が溢れているような場所だった。そのため、道で寝ている人がごろごろいても驚かないぐらいにはなっていたのだが、目に飛び込んできた、ビルの崩壊の跡、そして、そのすぐ近くにぎっしりと並ぶテントを見て、絶句した。

事故後、数か月たっていても、まだそのまま残っている、がれきの山と真っ黒に焦げた跡。
古いビルが並んでいる中で、ぽっかりと空間が空いて、空が見える。

そしてそのすぐ近くにはテントのかたまり。多くの車が行き来する大きな通りのすぐ横の小さな空間が低い柵で囲まれ、そこにキャンプ用のテントが集まって沢山並んでいる。30~40家族ぐらいいるのだろうか。

私たちが行くと、子どもたちが集まってきた。
3、4歳ぐらいの小さな子から14歳ぐらいの子まで。
元気いっぱいで飛びついてくる子。
すぐ走り回り始める子。
物を取り合って喧嘩を始める子。
おんぶしてもらう子。
1人でぼーっとしている子。
小さい子の面倒を見る子。
お風呂に入っていないような臭いがしたり、少し汚いような子もいる。

この子たちは、どんなものを見たのだろうか。
どんな思いをしたのだろうか。

その事故の動画を見たとき、思わず身震いした。
炎をあげて燃えるビルが一気に崩れ落ち、その衝撃で、爆発したかのように、もうもうとした煙と火の粉が、あたり一面を覆う。

あの時、この子たちはどこにいたのだろうか。
家族は助かったのだろうか。

住んでいた人たちは、貧しくて普通に部屋は借りれず、無断で滞在していた人たちだという。だからビルの安全管理も行き届いていなかったのだろう。

でもその家さえも、なくなって、いつまでもテント暮らし。
雨が降っているときはどうしているのだろうか。
みんなで小さなテントに体を押し込めて眠るのだろうか。
ご飯はちゃんと食べられているのだろうか。
学校には行けているのだろうか。
火が収まった後、何か取り戻せたものはあったのだろうか。

時々、あの日のことを思い出して、怖くなったりするのだろうか。

子どもたちを目の前にして、
何もできない自分がもどかしかった。

たどたどしいポルトガル語で、挨拶して、名前を聞いて、
日本から来たんだ と言って、
でもそのあと、どうしたらいいのか分からなくなった。

もっと仲良くなって、
嬉しかったこと、辛かったこと、なんでも聞いてあげて、
一緒に笑ったり、泣いたりできたらいいな、なんて思ったけれど。

でも、そこにいたのは、どう接したらいいか分からなくて、
ただ作り笑いして、きょろきょろしてる不器用な私だった。

きっと、ポルトガル語なんか話せなくても、みんなと仲良くなれて、ぎゅーってハグして、笑って、みんなを楽しませちゃう人だっているんだろうけど、私にはできなかった。

どんなことだったら聞いても大丈夫かな。
日本から来たなんて言ったら、お金すごくある人みたいでダメかな。
ポルトガル語ではこれってどう言うんだろう?

そんなことを考えて、ためらっていると、なかなか仲良くなんてなれなくて。本当は、何かできることをしてあげたいのに、まず友達にもなれない。

悩んだ末、ぶんぶんごまや、パペットを手作りして持って行ったりもした。
そうしたら、一生懸命練習して、回せるようになったんだと、ぶんぶんごまを見せに来てくれる子や、もっと作って! と目を輝かせて頼んでくる子、
拗ねて泣いていたのに、パペットで笑顔になってくれた子がいたりして、嬉しかったなあ。
でも、勉強を教えていた他のボランティアの子の邪魔になって、取り上げられてしまったりもして…。


そこで出会った子たちは、元気で、人懐っこい子が多かったけれど、
やはり、何かストレスが溜まっていたり、抱え込んでいるものがあるようにも感じた。
ブラジルのスラム街の子どもたちにも何度か接したことは会ったけれど、その子たちとは何かが違う。
なんとなく、落ち着きがないような気もした。

ふとした時に、何かぼーっとしている子、
順番が待てなくてすぐ取り合いを始める子、
自分より小さな子が持っているおもちゃを、力ずくで横取りしようとする子、
すぐ手を出してしまって、相手を泣かせてしまう子、
じっと座っていられない子、

崩壊したビルの跡が残り、建物も車もゴミも多いこんなところではなくて、
広い原っぱにみんなで行って、
思いっきり走り回って遊ばせてあげたい。
自由に思いっきり走ったり、転げまわったり、叫んだりして、少しでもこの子たちが抱えている何かを軽くしてあげたい。
そんな風に思った。


でも、私は、結局ほとんど何もできずに、何もせずに、日本に帰ってきてしまった。心が痛い。

こんな私が言えることではないというのは分かっている。
それでも、
今も
元気でいて欲しい、
笑顔でいて欲しい
そう願わずにはいられない。


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