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ゆっくりじゃないと進めないときってある。ブラジルで大泣きして、考えたこと

「本気」で途上国支援がしたい!と思って、ブラジルに行ってから、2か月のころ話。
ボランティアはちょこちょこやるようにはなっていたけれど、思い描いていたものとは全然違う。
ボランティアVISAをサポートしてくれる団体も見つからないし、新しく他の色々なボランティア団体にも連絡しているけれど、いっこうに返事が来ない。
ポルトガル語もなかなか上達しない。
家もいつまでも、人の家に居候させてもらっている。
コミュニケーションがうまく取れないこともあって、その家のお父さんとはいざこざを起こし、まだ気まずい…。

そんなこんなで焦り、常にイライラしていたころ、それまでいつも一緒にいて助けてくれていた人が、突然学校に通い始めた。彼は、朝早くから夜遅くまで毎日学校で勉強するようになり、突然、私は大きな支えを失ったのだ。

VISAの手続き、家探し、ボランティア探し…などなど、まだまだ、特にポルトガル語に関して、助けが必要だと思っていたのに。彼は忙しいから、ほとんど頼れない。他に友達という友達もいず、ほとんど自力でなんとかしていかなければならない。

でも、なによりも一番苦しかったのは、自分が取り残されたように感じたことなのだと思う。彼のことは応援していたし、置かれている状況も、目指しているものも違く、比べるのは馬鹿げているとも分かっていた。でも、それまで、いつも側にいた人は、ちゃんと、自分の道を見つけて、朝から晩まで楽しそうに勉強しているのに、
それに対して、自分は…?

ブラジルに来て、もうすぐ2か月、休学してからは3か月も経とうとしているのに、全然、思っていたように進んでいない。大学の友人たちだって、今頃は、毎日、勉強を頑張っているだろうが、自分は何をやっているのか。あまり何もできないボランティアに行き、その活動もない日は、必死にやることを探すような日々。ただ、休学してだらだらしているだけではないのか。

苦しかった。夜もなかなか寝付けず、でも、勉強で疲れて眠っている彼を起こすことはできなかった。ただ、自分の気持ちを抱え込んだ。

すぐに、抱えきれなくなる日が来た。真夜中、気づいたら、床に這いつくばって泣き叫んでいる自分がいた。床が、涙と鼻水でびちょびちょだった。ただただ、こんな自分が嫌で嫌で。「嫌だ」と叫び続けた。床のタイルは冷たく、前は真っ暗で何も見えなかった。


あれから半年近く経って、帰国した今思うと、そんなに思い詰める必要なかった。ただブラジルで健康に元気でいられるだけで幸せなことだし、自分は自分のペースで進めばいい。
自分の決めた目標だって、状況に応じて変わったっていい。進んでいないように感じても、何かはきっと変わっている。のろのろしているように感じるかもしれないけれど、ある程度時間が必要なこともある。
あの時、あんなに大問題だったことも、今思えばちっぽけな悩み。そんなに思いつめずに、できることを一つずつやっていけばいい。ゆっくりじゃないと動けないときは、ゆっくり動けばいい。無理に急がなくていい。


あんなに、自分が焦ったり、寂しさを感じたりしたのは、自由に、全て自分で決めて、過ごしていたからなのだろうなあと思う。大学の時間割があるときは、何も考えずに、それに従っていればよかった。家族や仲の良い友達が近くにいなくても、他の多くの大学生と同じように授業を受けているから、孤独に突き進んでいるような感覚もない。
自由だと、他の人がやっていないようなこともできる。わくわくする道を自分で作っていける。でも、それは、自分で考えて、自分の足で立って、自分で進んでいくということであり、時々、苦しい。



あの、ブラジルで一番泣き叫んだ日の数日後、一人で海を見に行った。
日本の、実家の近くの海を思い出して、懐かしかった。1人でベンチに座っていたら、ホームレスのおじさんが、歯が欠けているところを見せて自慢してきたり、ガムを売っている子どもたちが、私がノートに書いていた日本語を見て、きれいだと言ってくれたりした。

空も海も青かった。
空も海も日本に繋がっているんだなあ、なんて思ったりした。



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