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歳をとっても、わくわくを。

久しぶりに、老人ホームで暮らしているおばあちゃん(ばーば)に会いに行った。
数年前におじいちゃんが亡くなって、老人ホームで暮らし始めたばーばは、わたしが小さいころに比べて、本当に変わった。

昔は、潔癖なほど、きれい好きな人だった。
ばーばの家には、外出から帰って来て家に入るときは、服は全て変えるルールがあって、遊びに行くときも、着替えを持っていくほどだった。
料理もいろいろするし、裁縫も得意で、刺繍つきのバックや服を作ってくれた。
ママが忙しいときは幼稚園のお迎えに来てくれた。
バーバが作る、お赤飯が好きだったな。小さいわたしには、いなり寿司はちょっと酸っぱかったけど。

でも、わたしが中学生くらいになったときは、服とか髪型とか、批判されるのが嫌でたまらなかった。学校のこととか、将来のこととかについての考え方も、ばーば達のころのとは違うのに、いろいろ言わないで欲しいと思った。手放しで甘えたりできない歳になって、どう話したらよいのかも分からなくて。

それからしばらくして、おじいちゃんが亡くなって、ばーばは一人になった。
気づいたら、ばーばはすごく変わっていた。
ぼけが進んでしまって、いろんなことを忘れてしまっている。もちろん、ちゃんと覚えていることもあるけれど、何度説明しても分かってもらえないこともある。
歩くのもかなり辛そうで、今にも転んでしまいそうだし、手が震えてしまって細かいこともできない。小さなお菓子ひとつ食べるだけでも大変そう。

そんなばーばを見て、、
なんだか、わたしは、前以上に、どう接してよいのか分からない。
行くと、
ばーばは、手放しで喜んでくれる。
こんな孫が来てくれて幸せだよ、本当に嬉しいよ、
きれいだね、すごいね
そんなことを沢山言ってくれる。

わたしが特に面白い話をしたわけでも、特別なものをあげたわけでもない。ただ、行って、一緒にお菓子を食べて。少しお喋りして。

そして寂しそうなばーばを残して帰る。
1人ではもう出歩くこともできないばーばの見送る姿を見ると心が痛むけれど、何事もなく終わったことに少しほっともする。

ばーばと一緒に過ごす時間は、癒しでもあるけれど、ときどき少し辛くなるから。
前の、なんでも、きっちりきっちりやっていた ばーばを思い出すと、
ぼろぼろお菓子をこぼしてしまって気にもしていなかったり、ぼけてしまっていたりするのを見て悲しくなるし、
自分も歳をとったら、そうなるのかしらと思うと、怖くもなる。
今はわたしは元気で、夢を追いかけていられるけれど、歳をとるにつれて、体がうまく動かなくなって、動く気力もなくなっていってしまうのかしら。寂しい寂しいと言って毎日を過ごすことになってしまうのかしら。そんなの悲しい。

誰だって歳をとるし、きっと、それは悪いことばかりではないのだろうけど、
わたしは、もし体が弱ってしまっても、心は元気で、パワーを持ち続けられる人でいたい。
わくわくすることを沢山見つけて、目をきらきらさせ続けられる人でいたい。
趣味でもお仕事でも、小さいことでも良いけれど、夢中になることをずっと追いかけていける人でいたい。




そしてまた、もし、わたしが行くことで、ばーばのわくわくを少しでも増やせるなら、時々遊びに行こうかな…。

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