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マッサン、天国で苦笑い

先日、素敵な方に会いました。

竹鶴孝太郎さん
「ニッカウヰスキー」創業者、竹鶴政孝氏のお孫さんにあたる方で、
ご自身は長年ニッカに勤めたのちに退職しましたが、現在も精力的に活動していらっしゃいます。

ウイスキーがだ〜い好き、
そして何よりもあの時代(2014年秋から2015年春)、NHKの連続ドラマ小説「マッサン」にどハマりした私。
頼まれてもいないのに、
ディナーをご一緒させていただいた3時間、ガッツリとインタビュー取材になってしまったのでした。

ウイスキーにもNHKの連ドラにもまったく興味なし、という方にもこのnoteを読んでいただきたく、ちょこっと簡単に解説をさせてください。
日本のウイスキー創世記は1900年代初頭。ウイスキー造りを学ぶためにスコットランドに留学した竹鶴政孝(後のニッカウヰスキー創業者)と、共にウイスキーの未来に夢を見た鳥井信治郎(後のサントリー創業者)の二人により国産ウイスキー第一号が誕生する前後を中心に描かれたドラマが「マッサン」でした。といっても、テーマになっていたのはウイスキー作りに燃える男たちの思いというよりは、どちらかといえば竹鶴政孝とスコットランド人の妻リタ(劇中ではエリーだったけど)の話。「日英同盟」の蜜月期を経て「鬼畜米英」の一国となったスコットランド生まれの妻を、自身の夢もあきらめることなく大切に守り続けたマッサンの男意気に、当時の私は半年間、毎朝、萌えっぱなしだった……。

祖父母である政孝&リタと直に接して育ち、
広島の造り酒屋の本家(ここの日本酒「竹鶴」がまた、絶品です)を端緒にしつつも
ジャパニーズウイスキーの元祖となった竹鶴家を見つめ続ける、竹鶴孝太郎さん。
彼を取材したインタビュー取材はいろんなメディアでご覧になれますので、興味のある方はぜひどうぞ。

ところで、竹鶴さんとお会いした後に私が感じた妙な違和感。
それは、

ジャパニーズウイスキーをめぐる日本企業の“不一致団結”っぷり

でした。

昨今、日本のウイスキーがすさまじい人気で、
世界中からラブコールが送られており、
ずーーーーーーーーーーーーっと品薄状態が続いているというのは、お酒を飲まない方でもご存知だと思います。

マッサンがスコットランドに留学したのが、1918年。
国産ウイスキー第一号「サントリーウヰスキー白札」が発売されたのが1929年。
長いウイスキー史の中で、
たった100年弱の年月しか経ていないジャパニーズウイスキーが今や世界の人気者になっているのは、けっこうすごいことです。
2029年にジャパニーズウイスキーが100周年を迎え、
その創世記を作ったのがサントリーとニッカウイスキーの創業者であるというのなら、
なんかもっと一致団結して

俺たち、すごいよ。頑張ったよ!

と、
世界に向けて発信していけばいいのになーと、素人考えながら思ってしまいます。
なんでそうしないんだろう?
なんかしっくりきていないんでしょうか?
例えばサントリーとニッカの関係が?

というのも、ドラマではあれほど親密に描かれていた
堤真一さん演じる鳥井信治郎と、玉山鉄二さん演じるマッサンでしたが、
その後ネットで見てみるとどうも、どちらが「国産ウイスキーの父」なのか、で、モメてたみたい。
詳細は存じ上げないのですが……。
上記の情報などはウィキペディアで得たものですが、
「誰が創始者か」についての書き方の、まぁまどろっこしいこと。
編集した方、配慮に相当苦労したんだろうな……、と思わずにはいられません。

ウイスキーラヴァー、そして「マッサン」に萌えた一人として言いたいのですが、

誰が最初だとか、どうでもいいんです

そんなことよりも、日本の美味しいウイスキーにもっともっと羽ばたいてもらいたい。

竹鶴さん曰く、創業者の孫同士は共に食事するくらい仲が良いとのこと。
この狭い国に生まれた産物。
しかも、メモリアルな時を迎えようとしている宝物を世界に向けて展開していく役目を中心になって担えるのは、
今や誰も知らない人のいない、サントリーとニッカ(今はアサヒビールの傘下ですけど)です。
この2社に続き、
近い将来、たくさんの秀逸なクラフトウイスキー蒸留所が日本に誕生すればいいのになぁと願わずにはいられません。

#ウイスキー #COMEMO #料理



フードトレンドのエディター・ディレクター。 「美味しいもの」の裏や周りにくっついているストーリーや“事情”を読み解き、お伝えしたいと思っています。