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妊婦の悩みを勝手にごまかすんじゃないよ

こんにちは、まゆら先輩(妊娠7ヶ月)です。
今日は小言です。

活字中毒なので、毎日アプリで配信される妊婦向けのコラムをちまちま読んでいます。
先日妊娠に伴う乳房と乳輪の変化についての記事で、これらの変化(乳輪の色が濃く大きくなる等)は元に戻らないとあり、そのフォローとしてかこう続いていました。

体の変化にがっかりしてしまうママもいるかもしれないけど、そのがっかりを遥かに超える喜びがまっているから元気をだしてね!
アプリ トツキトオカ「今日のお手紙」

いや、嫌なものは嫌だが?

子供が生まれることはそりゃめでたい。
育児は大変だが楽しいことも多いだろう。

しかしそれと乳首の色が黒くなって悲しいのとは全く別のことです。嫌なものは嫌だ。

しかも本人が自発的に
「乳首が黒くなったりしたのは困ったことだが、それはそれとして子供は可愛いからあまり気にならない」
と思うならまだしも、赤の他人に
「乳首黒くても子供可愛いんだから良いでしょ?」
って言われて素直に納得できますか。何様やねん。

乳首の色なんてのは序の口で、妊娠出産育児において耐えることや諦めることは山ほどあります。
しかしそうして悩んだり怒ったり悲しんだりしている我々に対して、「子供が生まれる喜びに比べたらそんなこと」と悩みを矮小化するような言葉のなんと多いことか。

例えば仕事が辛くて真剣に悩んでいる人にいきなり、
「でも月末にはお金がもらえるんだからハッピーでしょ?」
「いざ働けなくなったら、あの頃は働けて良かったなあって懐かしく思い出すよ」
などと安易に声をかけることがいかに無意味で無遠慮か、比べてみればすぐにわかるかと思います。それでも妊産婦に対してはそんな配慮に欠けた言葉がけが横行している。

彼らは慰めのつもりで、優しい気持ちから言っているのかもしれません。しかしこの怒り悲しみは我々一人一人のもので、それをどのように受容していくかも一人一人の私だけのものです。その過程を無視し、頭ごなしに結論だけ先取りして押し付けることは、全く本人に寄り添ったものではありません。

むしろこれらの言葉がけはそもそも我々のためではなく、目の前の人の怒りを手っ取り早く宥めて安心したいという気持ち、さらに言えば「子供を産むことは何にも勝る」という神話を強化するためのもの、人間社会全体の利益を優先して個人を蔑ろにする行いと言ってもいいと思います。

話がデカくなりました(デカくしがち)。
要は、妊産婦や子の親を見かけたら何気なく挨拶みたいに口にしている定型文を、もう一度立ち止まってよく考えてみてほしいということです。

ちなみに引用したアプリ「トツキトオカ」ですが、逆張りオタク的に時々このように引っかかる点はあるものの、機能には概ね満足しています。どうもいつもお世話になってます。
健診予定・結果を管理して家族に共有できるのは便利、毎日更新のミニコラムや週数に合わせたアドバイスも面白いですし、やる気のある人は毎日体調を記録したり日記を書いたりもしているようです。
気になった方は試してみてください。

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