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映画のはなし:『オッペンハイマー』は会話劇なのにIMAX!贅沢!でも……

2024年のアカデミー賞でひとり勝ちしたと言っても過言ではない、クリストファー・ノーラン監督の『オッペンハイマー』。作品賞をはじめ、監督賞、主演男優賞、助演男優賞、撮影賞、編集賞、作曲賞と主要部門含め7部門でオスカーを手にしました。

第二次世界大戦中に、アメリカの(ほかにもカナダとか周辺国も参加してたらしいが)核開発を目的に各科学者たちを総動員した「マンハッタン計画」の化学部門リーダー、ロバート・オッペンハイマーの半生描いた映画。日本人としては、なんとも言えない気分になるだろうな、というのを観る前からひしひしと感じる作品です。でも、やっぱりクリストファー・ノーランは大好きな監督のひとりだし、絶対に観たい、とも思ってた。

確かに、すごくよくできてる。「鬼才」ってクリストファー・ノーランのためにある言葉なのかな、って思うくらい、ゴリゴリのノーラン節。
3時間マジで無理かも……と思ってたけど、時間を感じさせない作品だったし、助演男優賞を受賞した、ストローズ役のロバート・ダウニー・Jr.は本当に素晴らしかったです。
主演男優賞を受賞したオッペンハイマー役のキリアン・マーフィももちろん良かったですが、いや、マジでRDJがよかった!

ストローズはアメリカ原子力委員会の委員長で、靴磨きからなり上がった、野心に溢れた政治家。原爆を完成させ、次は水爆の開発を!と、オッペンハイマーをプリンストン高等研究所の所長に抜擢するが、水爆開発に反対するオッペンハイマーと次第に対立を深め、追い詰めていく人物。

ぶっちゃけ最初にシーンカットを見て「いや、本国でRDJ絶賛されてるけど、この髪型はちょっとどうよ……」と思っていましたが、見た目で判断しちゃいかん、と痛感しました。ごめんよ、RDJ。
助演男優賞おめでとう!正直、キリアン・マーフィより君の方が印象的だったよ。私は。

そして作品は、過去と現在を、これしかない!ってバランスで混ぜ込み1作にまとめあげる、ノーランこその見せ方。本当に計算され尽くされてるんだろうな、って映像からひしひしと伝わってきたし、彼にしかできないと思う。なので、ストーリーを紹介するのが難しい。

マンハッタン計画で原爆実験に成功したが、原爆が引き起こす悲劇を知ったオッペンハイマーは、赤狩りの渦中にのまれてしまう……。

まぁ超絶ざっくりとはこんな感じなんだけど、実はRDJがメインで登場しているのは、終戦後が正しい時系列。マンハッタン計画の後、水爆開発をしたいストローズ、水爆開発には反対の姿勢を取るオッペンハイマー。そこでストローズが、オッペンハイマーの社会的抹殺を目的に、赤狩りの対象としてスパイ容疑をかけ、形ばかりの公聴会で追い詰めていく。
そして、インサートされるオッペンハイマーの人生。

カラーで描かれるのがオッペンハイマーの視点、モノクロで描かれるのがオッペンハイマー以外からの視点、と分かれてる。
この時代のアメリカに詳しくないから、映画前に簡単に時系列だけお勉強していって本当によかった。まったく知識がない状態だったら、マジで「はて??」だったと思う。

会話劇なのにIMAXとか、本当に「映画館で観る醍醐味」を痛感できる贅沢な作品だなと思ったけど、もう一度観たいか、と聞かれたら、私は「観たくない」と答えると思う。

やっぱり、あの広島と長崎の悲劇なんて言葉じゃ足りないくらいの現実は、オッペンハイマーが自責の念に駆られていたとはいえ、そんなものじゃない、という気がしてしまった。
資料館でしか知らない私がそう感じるくらいなんだから、実際は想像もできないほど悲惨な状況だったんだと思う。

ノーラン監督は、広島や長崎の状況を描かなかった理由のひとつとして「物理的にオッペンハイマー本人が直視した光景ではないというのもある」みたいなことをインタビューで答えていた記事を読んだ記憶がある(ちょっとうろ覚えだから違ってたらごめんなさい)。
確かに一理あるし、この作品はオッペンハイマーの半生を通して描かれているものだからその通りだとも思う。実際、オッペンハイマーはラジオで原爆が落とされた状況を知っているシーンがあったりしたし。

ほかにも、アメリカの立場なら原爆の実験がうまくいって喜ぶのも、理解はできる。私たち日本人と立場も学んできた歴史も違うし。でも理解はできるけど、その先を欠片だけとはいえ知っている身として、すごく複雑な気分になったし、ありえん、とも感じた。

作中でオッペンハイマーは「原爆が大気の連鎖反応(よく分かんなかったけど、連鎖爆破が起きて世界を巻き込む大惨事になる、的な事でよいの??)の可能性は限りなくゼロではあるが、ゼロではない」というのを気にしていたけど、私からすると「考えるべきところはそこじゃない」という気持ちにしかならなかった。原爆により市井の人たちがどれだけ苦しむか、罪のない人がどうなるのか、もちろん科学者だから学術的な視点に目が行くのは当然だとは思うけど、こういうのは倫理的な観点から想像すべき部分が違うのではないか!?と。
いや、まぁ、世界が壊れたら元も子もないでしょ、とか、戦争ってやっぱり人が人でなくなってしまうものって事なのかもしれんけどさ。

なんだか、「この人たち、人の心あるのか!?」と感じてしまう瞬間が何回もあったし(ストローズは人の心がなくていいくらいのヒールだから、ストローズ除く)。

ただ、原爆開発までの道のりについて、こういう言い方はしたくないけど、やっぱり少しずつ実験が成功していく過程によろこびを感じる気持ちは理解できる。でも、「進化」や「成長」を追い求めることで、人としていちばん大事なことが忘れ去られていく「怖さ」も感じた。渦中に身を置く人間は、どんどん加減が分からなくなっていく(最近の野球関連のニュースでもそう思うことあるよね~)。
この「怖さ」を感じることで核の脅威も想像できるよね、というのは、正しい知識があることを前提としていると思うので、少し乱暴な気がしました。

もちろん、監督本人も核兵器については、常に脅威を感じるべきだし、核の脅威は可能な限り減らすよう働きかけるべき、とも言っていたと思う。だから、根本は私と同じだと思うけど、でも、小さくてもすごく大切な何かがキレイにかみ合わない気がして、モヤモヤする映画でした。主に後半。

ちなみに、生涯、核開発の呵責に苛まれたオッペンハイマーですが、大変申し訳ないけど、私はオッペンハイマーに同情できないです。
過去シーンの女関係とかだらしなさ過ぎて、マジでこいつクズだなって思ったし。やっぱ天才って一般人の私には理解できないんだな、と改めて思ったけど。

技術は素晴らしいし、会話劇なのにIMAXフィルム撮影とかすごい贅沢な作品だし、ノーラン監督作品は大好きだけど、この作品は心情的に好きになれない。
感情が先行してしまって申し訳ないけど、たぶん、もう観ないと思います。


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