文藝賞〈短篇部門〉応募作に関して

 雑誌『文藝』(河出書房新社)の文藝賞〈短篇部門〉の結果が2023年8月4日に発表され、僕の応募作は落選でした。このnoteで公表しようかとも考えましたが、テーマにこだわりがあるので、設定等を練り直し、機会があれば、またどこかの文学賞に応募しようと思います。
 よって、本文の公開はしませんが、引用・参考文献について、簡単な解説を書いてみようと思います。
 応募作を書くにあたって主に参照した本は、以下の通りです。


 クロード・アジェージュ/糟谷啓介訳『絶滅していく言語を救うために  ことばの死とその再生』白水社、二〇〇四年。

 デイヴィッド・クリスタル/斎藤兆史、三谷裕美訳『消滅する言語  人類の知的遺産をいかに守るか』中公新書、二〇〇四年。

 ジョン・ダワー/三浦陽一、高杉忠明、田代泰子訳『敗北を抱きしめて  第二次大戦後の日本人』(上・下)岩波書店、二〇〇一年。

 マーク・チャンギージー/柴田裕之訳『ヒトの目、驚異の進化  視覚革命が文明を生んだ』ハヤカワ文庫、二〇二〇年。

 ガイ・ドイッチャー/椋田直子訳『言語が違えば、世界も違って見えるわけ』ハヤカワ文庫、二〇二二年。


○クロード・アジェージュ『絶滅していく言語を救うために  ことばの死とその再生』は、フランス人のアジェージュが、消滅の危機に瀕した言語や話者少数言語を例に採り、具体的にどういう状況や条件で言語が「絶滅した」と見なせるのか、かなり詳細に論じた本で、いまいちピンとこない部分もありました。また、後半は口語ヘブライ語復興運動についての厚い記述が続き、読むのにやや難儀しました。

○デイヴィッド・クリスタル『消滅する言語  人類の知的遺産をいかに守るか』は、クリスタルの「ひとつの言語が消滅することは、ひとつの世界の消滅に等しい」といった信念が色濃く反映されていて、消滅危機言語の話者の意志を無視してでも、その言語を保存するべきだ、という姿勢が表れており、その点をあとがきで訳者の斎藤兆史氏が「英語帝国主義」だと批判しています。

○ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて  第二次大戦後の日本人』は、読んだのはもう20年程前ですが、この国の戦後史を考えるとき、指標となる書の一冊だと思っています。「戦後史の面白い部分のつまみ食い」(西部邁)、「戦勝国が敗戦国に『敗北を抱きしめろ』と言うことの傲慢さを思い、書評を頼まれたが書けなかった」(大塚英志)などの論評もあり、右からも左からも批判はありますが、僕自身はあまり気にしていません。

○マーク・チャンギージー『ヒトの目、驚異の進化  視覚革命が文明を生んだ』は、理論神経科学者のチャンギージーが、ヒトという種の視覚の進化を研究した本で、視点がかなり独創的だと思います。個人的には、大学の心理学の授業で「錯視」の実験をしたことがあるので、錯視に関する解釈が興味深かったです。これが面白いと感じた方には、同著者の『〈脳と文明〉の暗号  言語と音楽、驚異の起源』(ハヤカワ文庫)もお薦めです。

○ガイ・ドイッチャー『言語が違えば、世界も違って見えるわけ』は、「言語は思考に影響を与える」とする、いわゆるサピア=ウォーフ仮説を詳細に検討した本だと言っていいと思います。たとえば、「青」という言葉が存在しない民族がいたとして、その人たちには青色が見えていない、などと考える人はもういないと思いますが、では、なぜ特定の色名がないのか、に妥当な解答を示してくれます。

 小説の舞台や登場人物、その共同体を具体的に考える際、そんなに意識してはいなかったものの、後になって考えてみると、遠藤周作『沈黙』と、それが原作となったマーティン・スコセッシ監督映画『沈黙 サイレンス』には大きな影響を受けたな、と思わされました。
 応募作のタイトルは、夢野久作が1935年に刊行した「世紀の奇書」の題名から着想を得ました。僕としては、ハナモゲラ語の一種だと思ってます。

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