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宗教改革(1)

比叡山延暦寺にバイクでいったことがあります。とにかく山全体が寺なわけで、その中心といわれる根本中堂にいたる道もなにやらハイキングコース風で、道の脇に延暦寺の祖、最澄の絵物語みたいなのが描かれています。そして、人々はそれを見ながら寺々を巡るという、とってもディスニーランドに近い無駄のない楽しみ方ができるわけです。
(とはいえ、その絵は相当に懐かしいタッチで描かれてますが、、。)
根本中堂に入ると目に付くのは「不滅の法灯」と呼ばれる3つの灯篭で、最澄の昔からひととき(1200年以上!)も切らしたことのない火なんだそうです。聖火みたいなもんですね。「じゃ、信長に攻められた時はどうしたのか?」こうした疑問も、そこにいる若いお坊さんが淡々と喋ってくれてました。

今でこそ観光化された比叡山ですが、その昔は絶大な政治力と軍事力を有していました。大体日本の仏教勢力というのは、怨霊、物怪が信じられていた平安時代の昔はその「防衛力」として働く一方、その武力は天皇をも恐れさせる存在でした。おまけに叩くこともままならない。「坊主を殺すと3代呪われる」らしい、だから攻められない。結果、この延暦寺をはじめ園城寺、興福寺、東大寺などは数カ国に匹敵する領土を持ち、軍を持ち仏法をかざして中央勢力を牽制していました。

天敵が登場します。平清盛は仏教を篤く信仰するくせにこの「南都・北嶺」といわれる勢力には強権をもって立ち向かい興福寺、東大寺と焼き払い、大量殺戮を行います。その黒煙は京都からも見えたといいますから、当時の人はこの神仏をも恐れぬ所業、おっかなくて見てらんなかったでしょう。
清盛というのはよほど勇気のある人だったんでしょうね。(続く)

◆宗教改革(2)


松山ケンイチの清盛はよかったですよね。結構玄人好みの王朝ドロドロ劇だったので見る人を選んでしまったかもですが。

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