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小説:銀の糸

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前書きのようなもの

明日からまた数日間かけて、以前書いた小説をこちらに移動する作業をしようと思う。「小説家になろう」のサイトで上げてたやつで、「なろう小説」とは全く違うジャンルやのに意外とたくさんの方に読んでもらえた「銀の糸」という小説。投稿情報を見ると、どうやら2018年に書いてた小説らしい。今が2022年やから、4年前? もうそんな経ってんの? ビビるんやけど。そらもう、個人的に思い入れはめちゃくちゃありますわな

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銀の糸#1:拾

出会った時の気まずさは、言葉では何とも表現し難いものだった。例えるなら、元彼がアルバイトをしている店にたまたま入ってしまったような、告白しているところを母親にたまたま見られたような、なんとも言えない気まずさがあった。

 自殺の名所と呼ばれる場所で、そいつと出会った。手ぶらで、靴を脱いでいた。ああ、同類なのか、と見た瞬間に悟った。静かで、暗くて、深海みたいな色の目と、私の目が合った。しばらく見つめ

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銀の糸#2:繰

 「どうせなら一緒に死ぬか」

 表情の変わらない男は、ある日そんなことを言った。一緒に花見にでも行くか、くらいの軽い言い方だった。

「は」

 フライパンで魚を焼いていた私はそう言った。イトは魚が嫌いだった。魚が嫌いだから、そんなことを言ったのかと思った。だけど、魚と死ぬことにはなんの関連も無いはずだ。じゅうじゅうと音を立てるフライパンが、煙を上げている。

「焦げんで」

 イトが不機嫌そう

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銀の糸#3:失

「好きな人が、死んだから」

 たった一言、その言葉が、いつも私を追いかけてきた。晩御飯を食べていても、風呂に入っても、仕事でミスをして怒られている最中も、常に私の頭には、あの不思議な目をした宇宙人とその言葉がぐるぐる回っていた。

「あのねえ、金白さん」

 上司の薄くなった頭頂部が微かに揺れて、私は現実世界に引き戻された。

「はい」

「はいやないでしょ。これもっかい、やり直して。はよ」

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銀の糸#4:過

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また、下の階から怒鳴り声が聞こえる。

「なんであんたは何にもできへんの!? お姉ちゃんを見習いなさいよ!」

 がしゃんと何かが割れる音。また皿が割れたようだ。もしかすると、床に晩御飯のカレーライスが散らばっているかもしれない。私は二段ベッドの下で、布団の中に潜り込む。ただ時間が過ぎていくのを待つために、耳を塞ぐ。

 しばらくすると、力無く階段を上る音が聞こえた。布団の外へ這い出すと

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銀の糸#5:再

『飛び降り』の練習の日だ、と気付いたのは、イトが家に帰ってこなくなった三日後だった。いつものごとく禿頭を見下ろしながら小言を聞き流している時、ふと壁際のカレンダーに目が止まった。十月の、第三金曜日。近くにはない磯の香りがふわりと鼻先を抜ける。それと同時に、脳の中で波が弾ける。色素の薄い目。ごつごつとした岩を器用に降りていく、細い足。もたもたしてんなや、と差し伸べられる、作り物のような手。

「……

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銀の糸#6:戻

仕事を、初めて休んだ。無断欠勤というのは、意外と簡単なものだった。スマホの電源さえ切ってしまえば、怖いものは何も無かった。あんな社員達が、わざわざ残飯処理の家を訪ねてくるはずもなかった。

 イトはソファの上に寝そべっていた。足には包帯がぐるぐるに巻かれている。昨日私が巻いた物だ。そんなに大袈裟にすんなや、と言うイトを押さえ込み、石で切れた足の裏に絆創膏を貼りまくった。剥がれてくんねん、と眉を顰め

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銀の糸#7:迷

起きたのは、午後一時を過ぎた頃だった。スマホの機種変更と番号変更をした帰りに、家の近くのスーパーで求人雑誌を何冊ももらった。この雑誌は、私には縁がない物だと思っていた。適当に見つけた職場で、適当に時間を食い潰し、適当に歳を取るのだと思っていた。

 五年。私が勤めた年数は、そんなもんだった。高校を卒業して、家を出るためにそそくさと見つけた職場は、最悪だったが仕方なかった。辞表も出さずにあの職場を離

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銀の糸#8:落

イトのスウェット以外の服装を見るのは、初めてだった。午前十時に起きた時には、イトはもう着替えを済ませていた。

「おっそ」

「……そんな服持ってたっけ」

「買うた」

 黒いスキニーと、紺色の無地のシャツ。先日知らない間に抜き取られていた一万円を思い出した。

「はよせえや」

「どこ行くん」

「ええから」

 言われるがままに洗面所で顔を洗った。クローゼットを開けて、半袖か長袖かを少し迷っ

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銀の糸#9:進

本当にイトが誰かを殺した訳ではないことは、なぜか分かっていた。あの日、夕陽の前で流していた涙を見て、根拠も無くそう思った。イトは何かに縛られている。過去の何かにずっと縛られたまま、生きている。スーパーの前の煙草の自動販売機で、メビウスとセブンスターを買いながら考えた。そんなイトの過去も知らぬまま、綺麗事を並べていたことが情けなかった。あの日、イトと並んで電車に乗るのがほんの少し嬉しくて、まるでデー

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銀の糸#10:彼

イトは朝八時に出て行った。きちんと花を届けてからバイトに向かわなければならないからと、昨日は十一時にソファで眠っていた。イトの温もりはとっくに消えたソファの上に、きちんと端を揃えて畳んだ洗濯物が置いてあった。

 金を貯めようと思う、と、昨日の夜イトは突然呟いた。もうお前の財布からは金は取らん、花を買う金は自分でなんとかする。ただし今月いっぱいは給料が無いから、金を貸してくれ。借りたら必ず返す。今

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銀の糸#11:発

私が家に戻った十分後に、イトが帰ってきた。脱ぎ捨てたスニーカーが、ドアにぶつかる音がした。

「……何してんの」

 ソファの上で丸くなっている私を見て、イトはそう言った。

「疲れた。どけ」

 丸くなった私の背中を、いつものようにイトは軽く押した。いつもなら私も押し返し、しばらく押し合いが続くという遊びになるはずが、今日は力が入らなかった。ごろんと思い切りソファから転げ落ちた私は、机で背中を打

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銀の糸#12:別

 コンビニの深夜バイトの面接は、拍子抜けするほどあっさり受かった。小さい会社ではあったが、五年勤めていたのがよかったのだろう。コンビニのオーナーは、あまり私と目を合わさないまま、来週から来ていいよと呟いた。

 そうして、本格的にイトと顔を合わすことが減った。私が帰宅する時、起きてくるイトと少し挨拶を交わすくらいだった。イトのバイトのシフトは、昼から夜にかけてが多かった。家の灰皿に溜まった煙草をゴ

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銀の糸#13:溶

いつものスーパーでもらってきた段ボールには、『除菌ウエットティッシュ』と書かれていた。イトの布団と服などはそこにしまい込んだ。何日もゴミの日を迎えたのに、段ボールはずっとクローゼットの中に入ったままだった。

 私は、電車に乗っていた。一定のリズムで来る揺れと同じように、心臓も揺れていた。

 イトは、三好さんの『息子』になった。イトには家族が出来た。帰る場所も、出来た。

 それを考えたら、無性

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