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人類滅亡もいいが、クリスマスも悪くない

※警告:本作には筆者の妄想オリジナル人獣ちゃんが複数登場し、ストーリーの本筋に絡みます。せっかくここまで来て頂いた方には申し訳ありませんが、そういう要素が苦手な方はご注意下さい。

◆◆◆

今よりもほんの少しだけ未来の話。
猛烈な寒波が地球全体を覆い尽くした十二月のある日、夜よりも暗い深海の底で、カニ人たちが集まって何やら秘密の集会を開いていた。

「諸君、よく聞くカニ!」

見れば、一匹のカニ人が他の大勢の前で演説をぶとうとしていた。

「いきなり皆を集めてどうしたカニ? 何かあったカニか?」
「人類滅亡のための天才的作戦を思いついたのだカニ。これからそれを説明するから聞いてほしいカニ」

その言葉に、おお、と聴衆たちはどよめいた。
人類滅亡。それは彼らカニ人たち一族の永遠のテーゼにして存在理由。
だが宿敵人魚族の存在により、現在までのところその計画は全くと言っていいほど進んでいない。
ゆえに、彼らは常に現状を打開する画期的なアイデアを求めていたのである。

「天才的な作戦とは、一体どんなものカニ?」
「ニンゲンたちの技術を調べていて思いついたカニ。諸君らは弾道ミサイルというものを知っているカニ?」
「だんどうミサイル……?」

いきなり物騒な言葉が飛び出してきた。
弾道ミサイル。
大気圏の内外を「弾道」と呼ばれる経路を描いて飛ぶミサイルのことである。
ほぼ垂直に発射され高度千キロの地点に到達、その後慣性で飛行し、誘導装置のついた弾頭が徐々に角度を変えながら落下し、地上の目標を破壊するという仕組みになっている。

「我々が地上に進出できないのは人魚ちゃんたちがいるからカニ。人魚ちゃんは様々な能力を持っていて、我々を捕らえ、ちぎり投げるカニ」

過去のトラウマが蘇ったのか、弁舌をふるっていたカニ人がぷるぷると体を震わせた。

「だから考えたのだカニ。人魚ちゃんが追いつけないほどのスピードで一気に海を飛び出して、そのまま高度千キロに達する。あとは地上めがけて真っ逆さまに落ちていけばいいカニ。これなら人魚ちゃんに捕まらずに地上に到達できるカニ」

一気に喋り切ると、聴衆からは拍手喝采が巻き起こった。

「すごいカニ! 天才カニ!」

皆が彼のアイデアに賛同し、計画はすぐさま実行に移されることになった。
同じ方向をむいている時の彼らの団結力と行動力はすさまじい。
製作は昼も夜も関係なく行われ、あっという間にロケットは完成した。

「──それでは、これより打ち上げのカウントダウンを始めるカニ。燃料注入! 各員は持ち場につき、待機するカニ」

深海の底が開き、隠されていたロケットが姿を現した。
燃料注入が完了し、搭乗員が「オービター」と呼ばれるロケットの本体に乗り込む。
発射まで秒読み段階に入っていた。
5、4、3、2、1…………発射。

「やったカニ! 打ち上げ成功カニ!」

すさまじい轟音と共にロケットは垂直に上昇していった。
視界がぐんぐん高くなる。
カニ人たちの住んでいる村があっという間に小さくなった。
遠くの方に人魚たちがいて、呆けたような顔でこちらを見ていた。

「諸君、あのアホそうな面を見るカニ! やはりこのスピードでは流石の人魚ちゃんといえども手の出しようがないカニね。愉快痛快カニ! よし、このまま目標地点まで全速前進カニ!」

目標高度に達したロケットは、オービターを除くすべての燃料ユニットを切り離していた。
あとは重力の赴くままに傾いて地上へと落下するだけ…………だったのだが、ここで予期しなかった事態が起きた。
落下予想地点が当初の想定より大幅にズレていることが分かったのだ。
日本の関東地方に落ちるはずだったロケットは、今では北極圏のとある島に向かって一直線に落下していた。

「カニイイイィィィィ──⁉︎」

悲痛な叫びは墜落の轟音にかき消された。
オービターが大破し、カニ人──今回の作戦の発起人──は大量に積もった雪の上に投げ出された。
他の乗組員たちも、同じように近くの地面に転がされる。
落下の衝撃で、皆例外なく意識を失っていた。
カニ人はそんな同胞たちを助け起こし、とにかくまずは風や雪をしのげる場所を探すことにした。
記憶共有システムでこちらに何が起きたのかは伝わっているかもしれないが、救助隊が来るまでには時間がかかるだろう。
それまでに何とか生き残る方法を見つけなければ、寒さで凍え死んでしまう。

だが、一難去ってまた一難という諺があるように、困難は来たそばからまたやって来るものだ。

「──」
「…………?」

最初に異変に気づいたのはあのカニ人だ。
吹雪に紛れて分かりにくいが、何者かがこちらに近づいてきているような気配がする。
視界の一部に動きがあるように見えるし、それに、さっきから妙な物音が聞こえる。
足音だ、と気づいた時には、すでにカニ人たちは攻撃の射程圏内に入っていた。

「ごおああぁぁぁぁぁぁぁぁ──ッ!」

身の毛もよだつような咆哮。
北極に生息するとされる強大な人獣族、シロクマ人獣ちゃんである。
見上げるほど大きな体に分厚い毛皮を纏ったシロクマ人獣は、なぜかいきなり理由もなくカニ人たちに襲いかかってきた。
その目は猛烈な怒りの炎に燃えている。

「ギャアァァァァァ逃げるカニィィィィィ!!!!」

カニ人たちにとって、誰かから理由もなく襲われるというのは、しょっちゅうあることである。
そんな時、彼らはなぜ自分たちが襲われるのか、などとは考えない。
そんなことは考えても仕方ないからだ。
それよりも大切なことがある。
逃げることだ。

彼らの危機回避反応は実に素早かった。
シロクマ人獣ちゃんが登場し、読者諸君が「北極に生息すると──」まで読んだあたりからすでにダッシュで走り始めていたのだが、残念ながら極限の地に住まう人獣の身体能力は、カニ人たちの想定をはるかに凌駕していた。
目に見えないほどのスピードで振られた腕が、逃げ出そうとしていたカニ人たちを粉々に砕く。
降り積もる雪に足を取られ、思うように走れなかったこともあるかもしれない。
ロケットに乗ってきた十数匹のカニ人たちは次々とちぎり投げられ、あっという間に最後の一匹になってしまった。
最初に演説をぶっていた、あの個体である。
死に物狂いで走り続けた結果、彼はなんとかシロクマ人獣の追跡を振り切ることができた。

「ハァ……ハァ……な、なんとか逃げ切れたようだカニ。危なかったカニ」

とりあえず身の安全は確保できたようだ。
次の問題は、自分は今どこにいるのかということである。
彼はリュックから小さな機械を取り出した。
特殊なカメムシの生態を利用したナビゲーションシステムである。
特別な訓練を積んだカメムシがこれまでに移動してきた距離と方角とを計算し、GPSよりも高い精度で自分が今どこにいるかを教えてくれるという便利アイテムだ。
だがカメムシはロケットが墜落したショックで気絶しており、しばらく目を覚ましそうな気配はない。
他に頼るものもなく、カニ人は仕方なく人家を求めて歩き出すことにした。

猛烈なブリザードがカニ人を襲う。
視界はほぼ利かない。
垂らした鼻水が一瞬で凍りつき、氷柱になるほどに気温は低い。
あれから小一時間ほど歩いたが、人の気配らしきものはまるで見当たらなかった。
どこまで行っても白い景色が続くばかりである。
寒さに全身を震わせながら、これはいよいよマズそうな塩梅だぞ、とカニ人は内心思っていた。
このまま何も見つからなければ、立ったまま氷漬けになってしまう。
誰にも見つけてもらえず、知らない土地で、たった一人で。
そんなことは絶対に嫌だった。
止まりそうになる足に鞭打って歩き、彼はようやく前方に微かな灯りを見出すことができた。

「あれは人工の光カニ。ということは、少なくともあそこに知性を持った生物がいるカニ──⁉︎」

近づいてみると、それはニンゲンの家だった。
どことなくファンシーな作りの木造建築だ。
ニンゲンに見つかったらどうなるか、などということは考えなかった。
今はもうそれどころではない。
一刻も早く火に当たらなければ死ぬ。
窓から漏れる暖かそうな光に誘われ、カニ人は救いを求めるようにドアに手をかけ、室内に足を踏み入れた。

「──これはこれは、珍しいお客さんじゃのう」

家主は一人の老人だった。
豊かな髭をたくわえ、恰幅のいい体型をしている。
かなりの高齢で、怪我でもしているのか片方の足を引きずっていた。
いきなり現れたカニ人を見て、老人は一瞬驚いたように目を瞠いたが、それほど動じた様子はなかった。

「突然訪問してすまないカニ。カニ人はカニ人カニ。寒くて凍えそうなので暖をとらせて欲しいカニ。迷惑はかけないカニ。あとできれば温かいスープとパンも頂けると嬉しいカニ」

慇懃無礼を絵に描いたような態度に、老人は可笑しそうにホッホッホと笑った。

「これは愉快なお客さんじゃ。いいとも、テーブルの上に乗っているものなら何でも食べてもらって構わんよ」

カニ人はありがたく老人の好意を頂戴することにした。
テーブルの上には大きな鍋があり、中にはまだ温かいスープが残っていた。
野菜とソーセージを茹でたシンプルなもの。
無我夢中でそれを飲み、皿に乗っていたパンをちぎって食べると、全身に活力がみなぎる。
しばらくストーブに当たっていると、ようやく手足も温まってきた。

「助かったカニ。本当に危ないところだったカニ。親切なおじじにお礼をさせて欲しいカニ。何か困っていることはないカニ?」

人心地ついたカニ人がそう言うと、おじじと呼ばれた老人は嬉しそうに目を細めた。

「ホッホ。見ての通り、わしは足が悪くてのう。この冬は仕事ができなくて非常に困っていたところじゃ。お前さんが代わりにそれをやってくれるというのなら、それにまさる喜びはないのう」
「なんでも言ってくれカニ。一宿一飯の恩義は返すカニ」
「ホッホッホ、そうかの? では、ひとつお願いすることにしようかのう」
「お任せあれカニ。で、カニ人は何をすればいいカニ?」
「それなんじゃが──」

その時、突然家の外からガヤガヤと騒がしい音が聞こえてきた。
人の声だ。
何人かが楽しそうに喋っている。
こんな所に誰が? と思った次の瞬間、ドアの向こうから現れた眼鏡の人物は驚きの声を上げた。

「えっ、誰⁉︎ なんでウチらの家に勝手に入ってるの⁉︎」

入ってきたのは四人のトナカイ人獣だった。
シロクマ人獣と同じく北極圏に住む種族で、頭の上にある大きなツノが特徴だ。
彼女たちは居間でくつろいでいたカニ人を不法侵入者と思い込み、自慢のツノでつつこうとしてきた。

「これこれ、やめないか。お客さんに対して失礼じゃぞ」

体中いたるところにツノをねじ込まれそうになっていたカニ人は、見かねた老人の助け舟によってなんとか床に降ろしてもらえた。

「『お客さん』? どういうことなの? ちゃんと説明してよ」

四人のリーダー格と思われる、気の強そうなトナカイ人獣が詰問するような調子で言った。
他の三人はといえば、その子の背後から覗き見るようにしてカニ人の様子を伺っている。
大きな丸眼鏡をかけた子は興味津々な様子で。
ショートボブの子はどうでも良さそうに欠伸をしながら。
腰まで届く長い髪の子は、怖いのと見たい気持ちが半々になりながら。

「この方はカニ人さんと言ってな。海の底からわざわざやって来られたのじゃ。ありがたいことに、わしらの仕事を手伝ってくださるそうだ」
「えっ、ホントに──⁉︎」

老人は大儀そうにベッドから立ち上がると、大きなクローゼットの中から一揃いの洋服を取り出した。
赤を基調としたその服に、カニ人は猛烈に見覚えがあった。

「まさか、おじじの仕事というのは、もしかして──」
「左様。お察しの通り、わしの名はサンタクロースじゃ。世界中の子供たちにプレゼントを届ける。それがわしの仕事じゃよ」

◆◆◆

「カニイイィィィィッッッ⁉︎」
「このくらいのスピードでいちいち叫ばないの! ちんたら配ってたら年が明けちゃうよ!」

カニ人を助けてくれたのは、なんとあのサンタクロースだった。
一宿一飯のお礼に何でも仕事を肩代わりする──そう約束したカニ人は、サンタ代行となって世界中の子供たちにプレゼントを届ける役目を担った。
おなじみのサンタの衣装を着て、ご丁寧に白いヒゲまでつけて、四人のトナカイ人獣たちが引くソリに乗り、彼は冬の夜空を駆けていく。
サンタと一緒に暮らしているトナカイ人獣たちは非常に特殊な個体で、不思議な力を使って空を飛んだり、離れた空間を渡ることができるのだ。

「ちょ、ちょっとスピードを落として欲しいカニ。これではカニ人の身が持たないカニ……」
「ダメよ。ただでさえスケジュールが遅れてるんだから。私たちの仕事は、世界中の子供たちを笑顔にすることなの。あなた、朝起きて枕元にプレゼントが置かれてなかった時の子供の顔を想像したことがある? 必ず今夜中にすべて配り終えるのよ」

トナカイ人獣たちは皆、非常に仕事熱心だった。
気の強い子はマルドル、好奇心旺盛な眼鏡の子はホルン、気怠げなのがゲフィオン、臆病な子はシルといった。
マルドルが全体を引っ張るリーダーの役目で、他の三人はそれに従っている。

「こ、これは思った以上に辛いカニ……! オトヒメ社長の竜宮城でバイトした時とどっこいの忙しさカニ」

カニ人は、この仕事を安請け合いしたことを後悔し始めていた。
あまりにも多忙を極めているからだ。
体力には自信があった。
何日も徹夜して対ニンゲン兵器を開発したり、人魚族による地獄の包囲作戦から命からがら逃げ切ったこともある。
それなりの修羅場は潜ってきたつもりでいた。
だがその認識は甘かったと言わざるをえない。
クリスマス・イブの夜を駆け回り、彼は疲労困憊の極地にあった。

「あの……大丈夫? あんまり無理しないでね。この仕事、見た目より結構大変だから……」

ぜぇぜぇと肩で息をするカニ人に声をかけてきたのは、臆病な性格のシルというトナカイ人獣である。
彼女は水筒に入れて持ってきていたスープの残りをカニ人に飲ませてくれた。
野菜のエキスとソーセージの肉汁が体に染み渡っていき、彼は少しだけ元気を取り戻した。

「ありがとうカニ。シルちゃんは優しいカニね」
「──そんなことない、です。わたし、他の子たちと比べて、あんまり上手くお仕事できないから。これくらいしか……」
「いやいや、とても助かったカニよ。おかげで少し元気になったカニ。まだ頑張れるカニ」

カニ人が労いの言葉を述べると、シルは長い髪で赤くなった顔を隠した。

「よし、いっちょ気張るとするカニ!」

次に向かった家には煙突がなかった。
カニ人はソリからひらりと飛び降りると、屋根の上に着地し、そこから玄関へと降りる。
愛用のリュックから取り出したのはピッキング道具だ。
奇妙な形に捻れた金属棒を鍵穴に差し込もうとした瞬間、眼鏡っ子のホルンが慌ててその行動を制止した。

「ちょ、ちょっと待って。何しようとしてんの?」
「……? 何って、鍵が閉まってるから開けるカニよ」
「一応、ウチらサンタなんだよ。そんなことしたらダメだよ!」
「……イメージ台無し」
「あなた、海の底でどんな暮らしをしていたのよ……?」

ゲフィオンは気だるげに、マルドルは呆れたように言った。

「待っててください。今準備しますから……」

シルが目を閉じて何かを念じると、彼女の周囲の空間が歪み、カニ人の目の前に半透明の球体のようなものが出現した。
球体の表面には、どこかの景色のようなものが映り込んでいる。
ニンゲンの住んでいる部屋のようだ。

「これは、ひょっとしてこの家の中の様子カニ……?」

シルは返事の代わりにこくりと頷いた。
代わってマルドルが説明する。

「ここと、配達先の子供の部屋を直接つないだのよ。これはこの子が一番上手いんだから」

誇らしげなマルドルの言葉に、シルは顔を赤らめながら微笑んだ。

「さあ、早くこの中に飛び込んで、プレゼントを置いてきて。絶対に誰にも見つかっちゃダメよ。特に人間の子供には。それがサンタクロースのルールだからね」
「りょ、了解カニ!」

カニ人はおそるおそる球体の中に足を踏み入れた。
マルドルが言ったとおり、向こう側は確かにニンゲンの部屋とつながっていた。
内装や置かれている調度品のデザインから、ここがおそらく子供部屋であるとわかる。
カニ人は背負っていた袋から綺麗にラッピングされた玩具の箱を取り出すと、それを子供が眠っているベッドの枕元に置こうとした。

「……カニ?」

ふと、ベッドの上に妙な違和感を抱いた。
こんなに近くにいるのに、子供の寝息の音が聞こえないのである。
布団にくるまっていて顔は見えない。
不安に駆られたカニ人は、ゆっくりと手を伸ばして子供用の布団をめくり上げた。

「──っ!?」

いない。
子供がいない。
こんな夜更けに一体どこへ行ったのか?
きょろきょろと辺りを見回していたその時、部屋の外から誰かが歩いてくる足音が聞こえた。

「まさか、おトイレカニ……!?」

足音はカニ人がいる部屋の前で止まった。
まずい。
このままでは見つかってしまう。
マルドルに釘を刺された通り、サンタはプレゼントを配っている所を人間に見られてはいけないのだ。
それは重大なルール違反とされ、破った者は二度とサンタの仕事ができなくなるのだという。
それでは一宿一飯の恩義を返すことができないし、何より助けてくれたサンタ本人に迷惑をかけてしまう。
それはカニ人の本意ではなかったし、それに、カニ人としてニンゲンに発見されるのも非常にまずいことだった。

──ガチャリ。

ドアノブに手をかける音がした。
もはや一刻の猶予もない。
カニ人はすばやく枕元に置いたプレゼントを取り戻すと、それを持ったまま凄まじい勢いでスライディングしてベッドの下に潜り込んだ。

「……………………」

直後、寝ぼけ眼の少年が部屋に入ってきた。
ふらふらしながらベッドに近づいてきたが、その足が急に止まる。
何らかの違和感を感じ取ったのだろうか。
布団がさっきよりも乱れていることに気づいたか。
息を殺していたカニ人の背中に、じんわりと脂汗が流れる。
だが少年はそれ以上何らかのアクションを起こすことなく、再び布団に潜り込んですうすうと寝息を立て始めた。

「…………ほっ、助かったカニ」

どうやら窮地は脱したようだ。
カニ人はベッドの下から這い出てくると、少年を起こさないようにそっと枕元にプレゼントの箱を置き直した。
小さな寝顔を覗き込み、ちびっ子というものはどんな種族でも愛らしいものカニね……などと思ったりもした。

「──メリークリスマスカニ。寝る前にあんまりいっぱい飲み物を飲んじゃダメカニよ」

◆◆◆

それからの配達は非常に順調に進んだ。
しんどさの限界を超え、カニ人はいわゆる「ハイ」な状態になっていた。
仕事のコツも掴み始め、トナカイ人獣たちとの連携も上手くいくようになってきた。

「あなた、最初はどうかと思ったけど、なかなかやるじゃない。この調子ならなんとか今夜中にすべて配り終えられそうよ」
「本当カニ? それはよかったカニ」

マルドルに褒められ、ソリの上のカニ人は嬉しくなった。
はじめはとんでもない仕事を引き受けてしまったと思ったが、やってみるとこれが案外楽しいのである。
それに、自分の仕事ぶりを認めてもらえるのは、相手がどんな種族であろうと嬉しいものだ。
配達先は、次が最後の一軒だ。
より一層気を引き締めて臨もうと、カニ人は手に持っていた手綱を握り直した。
その時──。

「ちょっとストップカニ!」

手綱を思い切り引っぱって、急ブレーキ。
突然の急停止に、トナカイ人獣たちは驚いた顔をする。

「なに!? どうしたの?」
「いきなりブレーキかけないでよ、びっくりするじゃん」

マルドルとホルンが文句を言った。
だが、カニ人は彼女たちの声には耳を傾けず、何かを探すようにじっと吹雪の中に目をこらしていた。

「──っ! いたカニ! あそこに一人ぼっちで座ってる子供がいるカニ!」
「え、どこどこ!?」

ホルン、ゲフィオン、シルの三人は慌てて方向転換しようとしたが、その動きが急に止まった。

「マルドル、どうしたの!? 早く行かないと」
「待って……。みんな、忘れたの? わたしたちは人間に姿を見られちゃいけないのよ」
「そんなこと言っても、このままじゃあの子が凍えちゃうかもしれないよ?」
「それは……わかってる、わかってるんだけど……!」

ホルンの反論に、マルドルは苦しげに顔を歪めた。
彼女も子供を助けるべきだということはわかっている。
だが、「人間に見られてはならない」というルールを破れば、彼女たちのパートナーであるあの老人は、二度とサンタの仕事ができなくなる。
子供たちの笑顔を見るのが何よりも大好きなあの老人が。
それを思うと、マルドルは足が動かなくなってしまったのだ。

「マルドルちゃんの気持ちもわかるカニ。おじじからサンタの仕事を奪いたくないのカニね……。けど、おじじは迷子のちびっ子を放置しておくようなニンゲンカニ? カニ人にはそんな風には見えなかったカニ」
「…………ええ、そうね。あなたの言う通りだわ。迷うべきではなかった。あの人なら一瞬たりとも迷わずにあの子を助けに行くはずよ」

そう言って、マルドルはキッと顔を上げた。
その瞳には先ほどまでの力強さが戻っていた。

「ごめんね、みんな。行きましょう、あの子を助けに。そしてご両親の元へ返してあげましょう」
「そうこなくちゃカニ! ヨーソローカニ!」
「……それは海賊」

ゲフィオンの突っ込みは、風にまぎれて聞こえなかった。
カニ人が見つけたのは、雪のように白い肌にブロンドの髪を持つ、妖精のように美しい少女だった。
彼女は分厚いコートを着て、自分の身体と同じくらいの大きさのぬいぐるみを持って町中に佇んでいた。

「……ひっく……おかあさんと、はぐれちゃったの。お腹もすいたし、どっちにいったらいいか、わからなくて……」

少女はそう言ってしくしくと泣いていた。
シルが水筒に入れていたスープの残りを飲ませてやると、少女はがっつくようにそれを飲み干した。

「…………あたたかい」
「もう心配はいらないカニよ。カニ人たちがおうちまで送ってあげるカニ。ただ、今は吹雪がすごくて何も見えないから、ひとまずカニ人たち──いや、サンタさんのおうちまで行くカニ。お天気がよくなったらすぐにおうちを見つけてあげるカニよ」
「……うん、ありがとう、サンタさん」

少女をソリに乗せ、トナカイ人獣たちはふわりと空に舞い上がった。
みるみるうちに遠ざかっていく地上の様子を見て、少女は感嘆の声を上げた。
一人で心細かったところを、カニ人たちに見つけてもらって安心したのかもしれない。
スープを飲んで空腹が満たされたのもあるだろうか、少女は先ほどよりも元気を取り戻していた。

「おじじのスープはすごいカニね。飲んだらみんな元気になるカニ」
「……作ったのはマルドル」
「えっ⁉︎ そうなのカニ?」
「そだよー。ウチらで一番料理ができるの、マルドルだから」

ゲフィオンの言葉に、ホルンも同意する。
驚いて大声を出したカニ人に、マルドル本人は眉間にしわを寄せていた。

「『えっ』てどういう意味よ、『えっ』て」
「いや、意外だったカニ。マルドルちゃんはてっきり料理とかできないタイプだと思ってたカニ」
「叩き落とされたいの? 北極の海は冷たいわよ」

氷のような笑顔が本気で怖い。
下手なことを言ったら本当に海に叩き落とされてしまいそうな凄味を感じ、カニ人はこれ以上この話題に触れないようにした。
他のトナカイ人獣たちは、そんなマルドルとカニ人のやり取りを聞いて愉快そうに笑っていた。
迷子の少女もクスクスと肩を震わせている。

まもなくサンタの家に到着する。
帰ったらすぐにおじじに謝らなければいけないな、と思い、カニ人は少しだけ気持ちが重くなるのを感じた。
自分の判断が間違っていたとは思わない。
おそらく彼が自分の立場だったとしても、やはり同じ選択をしただろう。
だが、それでもやはり、自分のせいで職を失わせてしまうことに変わりはない。
命を助けてもらったお礼をするつもりが、逆に仇で返す形になってしまった。
流石に、これでハイさよなら、というわけにはいかない。
いくら人類滅亡を掲げるカニ人とはいえ、それではあまりに自分勝手だし、薄情が過ぎるというもの。
もうしばらくこの地に滞在して、せめて次の仕事が見つかるまではあの老人の世話をしよう。
それがせめてもの罪滅ぼしだとカニ人は決意した。
その直後──。

「────!」
「…………カニ?」

きょろきょろと辺りを見回す。
どこからか、異様な音が聞こえたような気がした。

「なにカニ? 今の音は──」

音の出所を探そうとしたカニ人だが、それらしいものは見当たらない。
ふと胸騒ぎがして下を覗き見ると、大きな影がソリに向かって突っ込んできていた。

「あ、危ないカニッ! みんな避けるカニイイイィィィィ────!」

次の瞬間、得体の知れない大きな塊が、ソリの右横数ミリをかすめていった。
あまりに近すぎたため、凄まじい風圧がトナカイ人獣たちをも直撃する。

「きゃあぁぁぁぁ──ッ! なに、なんなの!?」

いきなりバランスを崩され、マルドルたちが叫んだ。
カニ人は迷子の少女が落ちないようしっかりと体を掴み、自らもソリのへりにしがみつきながら叫んだ。

「下から何か飛んでくるカニ! 当たったらヤバいカニ!」
「飛んでくるって、一体何が……⁉︎」
「わからないカニ、けど──あ、また来るカニ! 左に避けるカニ!」
「くっ──この……ッ!」

トナカイ人獣たちは必死で体勢を整えると、急加速と急制動を繰り返して飛来する物体を避けた。
あまりのGにカニ人は喋る余裕もなく、ただ少女と自分が振り落とされないようにするのが精一杯だった。

「……っ、下に誰かいます! 何か……投げつけてきてます!」

シルが、普段の気弱な様子からは想像できないほど鋭い声を発した。
カニ人は落ちないように注意しつつ、言われたとおり地上に目を向けた。
──いた。
シルの言う通り、ソリを追いかけるようにして何者かが地上を走っている。
その<何者か>にカニ人は見覚えがあった。
雪と見まごうほどに白い体、鉤爪のあるおそろしげな腕、そして、小山のように大きな体。
ロケットで不時着した直後のカニ人たちを襲った、あのシロクマ人獣である。

「なんであの時の人獣ちゃんがいるカニ!? カニ人を追ってきたのだカニ?」
「ぐるぅああぁぁぁぁぁぁぁぁ──ッ!」

シロクマ人獣は咆哮し、急に立ち止まった。
追跡を諦めたのかと思ったが、次の瞬間、それは違うということがわかった。
同時に、先ほどから飛来していた物体の正体も判明した。
シロクマ人獣は手近にある氷河の塊を持ち上げると、それを肩に背負い、砲丸投げの選手のように回転しつつ上空めがけて投擲した。
ゆうに百トンは超えている物体を、まるでボールのように軽々と。
恐ろしいほどのパワーであった。
しかも今回の投擲は、正確にカニ人たちのソリめがけて投げつけられていた。
みるみるうちに巨大な氷塊が迫ってくる。
回避するのは不可能であった。

「きゃあああああああ────ッ!」

トナカイ人獣たちは悲鳴を上げて墜落していった。
当然、ソリに乗っていたカニ人たちも同じ運命を辿り、彼は少女と一緒に氷河の上へと投げ出された。

「返せ──返せえェェェェェッ!」

シロクマ人獣は割れんばかりの大声で叫んだ。
何を返せというのか。
意識が朦朧としながらも、カニ人は少女を守るために立ち上がった。
だが、怒れる人獣はすでに彼らの間近に迫っており、その距離は十メートルもなかった。
ダメだ。間に合わない。
数秒後には確実にシロクマ人獣の爪は少女に届いているだろう。
万事休すだ。
カニ人はそう思った。
だが──。

「おかあさん、待って──!」

少女は迫り来る人獣を恐れることなく、むしろその前に自ら立ちはだかった。

「だめ! この人たちが助けてくれたんだよ!」
「…………カニ?」

その場にいる全員が、言葉を失った。

◆◆◆

つまりはこういうことだ。
シロクマ人獣とその娘は、クリスマスのご馳走の準備をするために獲物を取りに出かけ、そこでお互いにはぐれてしまった。
半狂乱になりながら娘の行方を探す母親の前に、ロケットに乗ったカニ人たちが落ちてくる。
見慣れぬ機械、見慣れぬ種族。
見るからに怪しさ満点、娘の失踪に何か関係があるのでは、と母親が考えたのも無理からぬ話だ。
逃げ出したカニ人の匂いを辿り、シロクマ人獣はずっと後をつけてきていた。
すると、はたせるかな、カニ人たちが娘を空に連れ去っていくのを目撃した。
ここで母親の怒りは頂点に達し、氷河を砕いて襲撃してきたというわけであった。

「──本当に申し訳ございませんでした。娘の命の恩人に、何とお詫びをすればよいやら……」
「お詫びなんていらないカニ。誤解が解けたようで何よりカニ」

地に伏して平謝りするシロクマ人獣の母親に、カニ人はいやいやと手を振って応えた。
娘はようやく母親と再会できて安心したのか、ずっとその体にしがみついて顔を擦り付けている。
その可愛らしい様子に、トナカイ人獣たちも微笑んだ。

「まあ、色々と間が悪かったってことよね。うん、あなたが悪いわ」
「なんでやねんカニ。その結論はおかしいと思うカニ」
「……で、でもでも、カニ人さんが見つけていなければ、この子も危なかったわけですし……」
「シルは甘いねー。まあでも、ウチらも結構楽しかったし? スリルも味わえたし、結果オーライってことでいいんじゃない?」
「……ホルンの言う通り。終わりよければ全てよし」

シロクマ人獣の親子は、カニ人たちに深々と頭を下げ、それから自分たちの棲み家へと帰っていった。
二人の背中が見えなくなるまで待って、カニ人たちはサンタの家に戻ることにした。
結局、最後の配達先にプレゼントを届けることはできなかった。
それだけが心残りだったが、いつまでもくよくよしていても仕方がない。
気持ちを切り替えていこうとカニ人は思った。
まずは、帰ったらおじじに謝るのだ。

「──お前たち、本当によくやってくれたのう」

だが、カニ人たちを出迎えてくれた老人は、満面の笑みを浮かべながらそう言った。

「先ほど知らせが来たんじゃ。迷子の女の子を母親のもとに返してやったそうじゃないか。いや、本当によくやった。わしはお前たちを誇りに思うぞ」

そういって、彼はトナカイ人獣たちの頭をわしゃわしゃと撫でた。
てっきりルールを破って怒られるものと思っていたカニ人たちは、老人の様子にきょとんとした顔をした。

「え、でも、わたしたち、ルールを……」
「ああ、それなら心配せんでいい。人命救助に勝る善行なし。姿を見られた件は不問にしてくれるそうじゃ」
「本当に!? よかった……」

トナカイ人獣たちは飛び上がらんばかりに驚き、お互いの体を抱き合って──彼女たちには腕がないので、抱き合うというよりは寄り添い合って──喜びを分かち合った。
これで老人はサンタを続けることができる。
マルドルなどは感極まって涙を流していた。

「よかったカニね──でも、プレゼントを一つ配り損ねてしまったのだカニ。それだけが心残りカニ」
「ホッホッホ。そちらも心配無用じゃよ」
「カニ? どういうことカニ?」
「最後のプレゼント、中身は見たかの?」

老人に問われて、そういえば中身を見ていなかったなとカニ人は思った。
最後に一つだけ残った袋をソリから取り出す。
やけに軽いなと思ったら、それもそのはず、袋の中には何も入っていなかった。

「カニ……!? 空っぽカニ。どういうことカニ?」
「最後の配達先は、あの女の子じゃよ。あの子を母親と再会させてやること──それが最後のプレゼントだったのじゃ。お前さんは見事にそれをやり遂げてくれた」

カニ人は呆けたように老人の言葉を聞いていた。
まるで狐につままれたような気分だ。
何か自分には窺い知ることのできないような、いわく言い難い、大きな意志によって動かされたような感覚がある。
老人に連絡してきたのは誰なのか。
途中までは確かに入っていたはずの最後の袋の中身は、なぜ消えたのか。
そもそもプレゼントとは何なのか。
誰がどうやって手配しているのか。
疑問は尽きない。
だが……これらの疑問は、胸の内に秘めておこうとカニ人は思った。

──あなた、朝起きて枕元にプレゼントが置かれてなかった時の子供の顔を想像したことがある?

少なくとも、今年はそのような目に遭う子供は一人もいないということなのだ。
誰もが笑顔でクリスマスの朝を迎えることができる。
それで十分なのではないか。

「……? どうしたんじゃ? さあ、働き詰めで疲れたじゃろう。こっちへ来て、みんなと一緒に美味しいケーキをお食べ」

そう言って、老人はカニ人にむかって手を差し伸べた。
トナカイ人獣たちも、早くおいでよと彼の分の椅子とお皿を用意してくれている。
みんなで楽しくお喋りし、一緒にケーキを頬張りながら、彼はこう考えるのだ。

人類滅亡もいいが、クリスマスも案外悪いものではない、と。

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