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わたしって一体何がしたいの?

今、自分で分かってること

一体わたしは、何が好きなの?
1.健康にまつわること
2.健康であれば、なんだって出来る
3.人と関わること
4.人しかみていない
5.人の心?魂?しかみていない

これを掘り下げるには、わたしの生まれ育った環境にあるのか?

わたしは、サンフアン移住地という南米ボリビアという国で生まれ育ったこと。ごく普通の家庭、複雑?なのは、日本人である父母や祖父母がいること。それも、シンプル単に祖父母が日本からボリビアという国へ移住されただけのこと。そりゃあ移住当時は異国へ移りとっても苦労しました。何たって、家も道もない未知のジャングルを切り拓いた場所だったそうです。

そんな話を子供の頃から聞かされて育ちました。そりゃあ、両親も子供の頃に移住だったのですごく苦労したようです。わたしたちの世代では子育てで苦労してたようですけどね。この頃の移住地には、移住初期に比べて家もあり、当然ながら学校や、病院だって日本からようやく正式な援助のお陰様で他の施設もあった。

そんな中、わたしは家庭では日本人なので当然日本語で育てられ、幼稚園までは日本語、小学校からスペイン語の授業が始まりました。他の同級生も当然ながら皆戸惑いました。それを見兼ねた父母会たちは、幼稚園からもスペイン語を慣らすべきだと、後輩たちは幼稚園からスペイン語が導入されたようだ。

ボリビアに住むからには、スペイン語をどんどん学ぶようにと、なるべく一流の先生をと教育レベルを上げるために、首都県から先生が派遣されてきました。そりゃ厳しそうな先生がいましたが、子供ながらに必死でした。

そんな中、ある先生は、ボリビアの背景にあるストーリーを熱く語る先生もいて、この国を変えたいといってわたしたちに一生懸命に教えていただきました。わたしは、その先生は厳しい方でしたがその先生の必死さに感動しもっとボリビアを知ろうと思って沢山地図を書いたり、絵が好きだったので、褒めてもらえるともっと書きたくてがんばってました。

この頃は、運動神経も良かったのですが成長期でもあり、自分の身体に異変を感じ、わたしの背骨が歪んでたようなんです。同級生に教えてもらって初めて気づいたのでした。

それ以前から、わたしは健康に関しては興味を持っておりというより、病院や、歯医者が大嫌いで良く逃げ回ったりしてました。小学3年生の頃肝炎になった時は、入院したくなくて行きたくないと拗ねてましたが、母に鳥の内臓を見せられて説得されて入院しました。笑

こういう経緯もあり、なるべく自然治療に興味を持ち、体のツボや、健康状態を保てるべく、予防に興味があったのかもしれません。それだけではなく、世の中に起きる社会的問題や、政治にも興味があったのでした。

こちらに関しては、わたしは親戚が近くに多くいたことにあり、人間関係や、子供の頃から、人の話を聞いたり、一歩下がって人の会話を聞くのが趣味?だったようです。

クラスでも、同級生がケンカになってクラスが真っ二つに別れた時もあり、悲しいなと思った時もありました。どうして人は争うんだろうか、何故分かり合えないんだろうか、何故死ぬ間際まで分かり合えなく、人を許そうとしないのか、社会人になり職場でも争い事があった時はわたしはドキドキして逃げるしかありませんでした。

これは、常にわたしの中で、争い事が起きてる事象なのか?みたくないものを隠す事象なのか?これは、ここ数年克服しつつあるのです。自分と向き合い、それでも起きる争い事が本当に辛い。

またこれついては後日書きたいと思います。

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