見出し画像

読書感想 全体と部分

もう連日晴れの日が続いている。
天気から元気をもらえる私としては嬉しい限りだが、さすがに水不足が気になり始めている。

どこかの大富豪は、環境問題で1番考えなくてはいけないのは、「水問題」だと口を揃えて言っている。飲み水が足りないのだそうだ。淡水は飲み水にできるが、海水は飲み水にできない。(厳密に言えば、やろうと思えばできるみたいだが)

さて、今日も読書感想をしていく。「熟達論 為末大著」の第三段階「観」を読んでの感想をまとめる。

まず感想の結論を。
「型で全体を把握できるようになると、次に細かなことに視点が向く。その細かな点と点の関係性に気づけるようになる。つまり「観」は学習のフェーズだということだ。」

どういうことか。

「見る」は「分ける」ことだと為末さんは語る。
例えば、ランニングの「型」は「片足で立つこと」であるとする。片足を交互に動かしていくことで、体を前に運んでいく。
その際に地面に足がつき始めたところ、少し体重がかかり始めたところ、地面に体重が1番かかっているところ、地面から力が返ってきているところ、足が離れるところなど、いくつもの局面に分けられることに気づく。
これが「観」である。

ちなみに「見る」と「観る」は意識的に使い分けている。
「見る」は「look」
「観る」は「watch」
「look」は70%の集中力。
「watch」は100%の集中力。

要するに、「観」の段階は100%の集中力で観るのだ。

細分化していくことで解像度が上がってくる。ブラウン管でのテレビ画質から、4K・8Kのテレビ画質に変化していくように。細かな点が見えてきて、その細かな点を言語化していくことができるようになることが多い。(言葉にできなくても感覚で細分化していることもある)

そして面白いのが、「その一つ一つの点が他の点に影響を与える、関係性をもっていることに気づくことができるようになる」ことだ。

例えば、膝の外側に痛みが出ている状態で練習をするとする。意識は、「怪我をしている膝の外側」に向けられる。
だって痛むんだもん。痛いんだもん。

今までは走ることを大きな枠組みで捉えていたのに、怪我をした瞬間に「膝の外側」と細かく分けて観ることになる。
膝の外側を気にしながら練習を積んでいくと、徐々にお尻の付け根(臀部)に違和感を感じ始める。
つまり、怪我をしたところを庇うように走ったことで、違うところが痛み出すというと構造だ。

この例はネガティブな印象を与える事例だが、このように一つ一つの局面、部位が他と部分と連携していることが観えてくる。
関係性に気づくことができる。
ということは、「◯◯を改善することで、△△が良くなることもあり得る」と考えることができるようになる。

要するに、「観」の段階では「自分なりの考え(予想)を組み入れることができる」段階だということだ。学習できる段階。

私は、この「観」の段階に大変興味をもっている。
「型」は、個別化が図られているものではなく一般化された段階だとしたら、
「観」は、個別化してもいいよ、それぞれの考えで変化させていってもいいよという段階だからである。
でも、これもきっと答えがあるところが多分になるんだろうな。

次の段階「心」はさらに個別化が強まりそうだと予想する。

さらに読み進めるのが楽しみだ。

この記事が参加している募集

読書感想文

わたしの本棚

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?