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祝・Jリーグ30年❷〜Jリーグ百年構想実現までの道・2023年5月14日(新国立競技場)〜

どうもどうも、吉良です。

2023年6月15日、20日に行われた日本代表戦(キリンチャレンジカップ)でエルサルバドル代表(6-0)ペルー代表(4-1)に完勝しましたね。得点差も凄いのですが試合内容もすごかったですね。まさに芥川賞作家の村上龍氏がイタリアワールドカップの時に記した「創造力の戦い」のレベルに達していると実感しました。次戦、ヨーロッパ遠征での「ドイツ戦」が楽しみです。ここでは必ずシュミット・ダニエル選手が出場してくれるはずです。応援しましょう。今回は前回に続き「祝・Jリーグ30周年❷」を書きました。


1993年5月15日、日本サッカー界にとっての新しい歴史のページが始まりました。Jリーグ開幕です。

それから30年。まさに30周年目の2023年5月14日、新国立競技場で行われた鹿島アントラーズvs名古屋グランパスの記念マッチ前のオープニングセレモニーでは、J1-18チーム、J2-22チーム、J3-15チーム(実数は20チーム)のフラッグが掲げられ、1993年に10チームで始まったアジア初のプロサッカーリーグ・Jリーグの成長を肌で感じました。

2023.05.14 オープニングセレモニー

Jリーグは1993年の発足以来、川淵チェアマンを中心に、サッカーを通してあらゆるスポーツを老若男女が楽しめる豊かな国をめざしたいという思いから、「Jリーグ百年構想〜スポーツで、もっと、幸せな国へ。〜」というスローガンを掲げてスポーツ振興に取り組んできました。

この百年構想こそJリーグの変わらない理念で、現在は100年分の30年目と言えます。改めてJリーグ百年構想をご覧ください。

Jリーグ百年構想

・あなたの町に、緑の芝生におおわれた広場やスポーツ施設をつくること。
・サッカーに限らず、あなたがやりたい競技を楽しめるスポーツクラブをつくること。
・「観る」「する」「参加する」。スポーツを通して世代を超えた触れ合いの輪を広げること。

誰もが気軽にスポーツを楽しめるような環境が整ってはじめて、豊かなスポーツ文化は育まれます。そのためには、生活圏内にスポーツを楽しむ場が必要となります。

そこには、緑の芝生におおわれた広場やアリーナやクラブハウスがあります。誰もが、年齢、体力、技能、目的に応じて、優れたコーチのもとで、好きなスポーツを楽しみます。

「する」「見る」「支える」、スポーツの楽しみ方も人それぞれです。
世代を超えたふれあいの輪も広がります。自分が住む町に「地域に根ざしたスポーツクラブ」があれば、こんなスポーツライフを誰もが楽しむことができます。

このようなJリーグの理念を分かりやすく訴求するために、Jリーグは「Jリーグ百年構想~スポーツで、もっと、幸せな国へ。」というスローガンを掲げ、「地域に根ざしたスポーツクラブ」を核としたスポーツ文化の振興活動に取り組んでいます。

https://aboutj.jleague.jp/corporate/aboutj/100years/より

まさに地域社会構想、フランチャイズの重要性とスポーツを文化活動ととらえた視点、クリエイティビティが素晴らしいです。この理念のもとJリーグのピラミッド構造は地域社会、企業を巻き込んで構築されました。

2023シーズンは、頂点にあるJ1・18チームから順にJ2・22チーム、J3・20チーム、JFL・15チーム、地域リーグ、都道府県リーグがあり、それらによってピラミッド構造が構築されています。

2023シーズンのピラミッド構造

30年間におけるフランチャイズの定着も目覚ましいものがあり、2023年5月現在でJリーグチームを持たない都道府県がわずか6県、そのうちJFLのチームも持っていない県が、福井県、和歌山県、島根県のわずか3県しかない現状は、前述のJリーグ百年構想の1番目「あなたの町に緑の芝生におおわれた広場やスポーツ施設をつくる」の実践、まさに有言実行です。

この結果は地域のサッカー育成にも多大な貢献をしています。各地域のJリーグチームは育成のピラミッド構造を創り、ピラミッドの底辺であるサッカースクールから頂点のプロを目指して常に目標を持ってサッカーを続けていくというかたちを形成しています。

各地域のJリーグチームのピラミッド構造

プロにはなれなくてもサッカーをジュニア期から経験することにより、たくさんのサッカーファンを生み「サッカーが好きになり、好きなことを仕事にする」人たちもたくさん生みだしています。

僕も町のジュニアサッカーチームのヘッドコーチを長く続け、たくさんの「サッカー好き」を育ててきました。

長男、次男ともにマリノスサッカースクールからサッカー人生が始まり、長男は僕が指導するクラブから高校サッカーを目指し、次男はベルマーレジュニアからジュニアユースへと進み、関東大学サッカーを目指しました。
まさにJリーグ誕生の恩恵を受けた世代といえます。

このように書いていると、Jリーグ誕生以降、あらゆることが順風満帆だったように見えますが、実はそうではありませんでした。

1993年5月のJリーグ誕生の5年前の1988年、日本サッカー協会はFIFAワールドカップの日本開催を構想、1989年にFIFAにW杯開催国立候補の意思表示をしていました。

1991年6月に2002年W杯招致委員会が発足、翌年1992年3月24日にはW杯国会議員招致委員会ができ、W杯招致は日本の国家的事業になっていきました。

開催国決定は1996年の6月1日のFIFA臨時理事会。
日本開催(単独)はJリーグ誕生を勢いにして一気に決定へのロードマップは出来上がっていました。それに向けてあとは1994年のFIFAワールドカップアメリカ大会出場を待つばかりでした。

ここで起こったのが1993年10月28日に起きた「ドーハの悲劇」です。

2022年のワールドカップカタール大会のカタール代表までは、開催国がワールドカップに出場したことがないという前例はありませんでした。
「ドーハの悲劇」によって1996年の開催国決定理事会時点で「日本はワールドカップ不出場国であること」が確定してしまったわけです。

その「ドーハの悲劇」で逆に86年、90年に続き94年のワールドカップの出場も決めた当時のアジアサッカー最強国「韓国」が「ドーハの悲劇」の翌月の1993年11月に2002開催国に立候補したのです。

最終的に、この流れを受けた形で2002年の開催国が日本・韓国共催という調整になり、正式決定日の前日の1996年5月31日に共催が決まりました。

「ドーハの悲劇」はワールドカップアメリカ大会に出れなかったばかりか、日本代表の国際舞台デビューの遅れ、かつ、2002年のワールドカップが共催になる、というトリプルパンチ的なできごとをJリーグ誕生の裏側で引き起こしていたわけです。

つまりJリーグを作って、強い日本代表チームの基盤を作り、ワールドカップ・アメリカ大会に出場して日本全体にサッカーを応援する機運を醸成するはずが、まったく筋書きは変わってしまったのです。

その後の1998年のフランス大会で日本は念願のワールドカップ出場を果たしましたが、結果は予選リーグ3連敗、日本のサッカーの国際舞台へのデビューは2002年の日韓共催まで待たねばならなくなりました。

「ドーハの悲劇」が産んだ8年以上のブランクはJリーグ誕生で意気が揚がる日本サッカー界にとって、国際化の側面では大きな影響があったと言えるでしょう。

そういう意味でも、海外で十分プレーできる力がありながら機会に恵まれない選手たちがこの8年のブランクの間にたくさんいました。

実際に2002年より前に海外で活躍した主な日本人選手は下記にあげる4名くらいしかいません。

ブンデスリーガ  ケルン    奥寺康彦選手
クロアチア    ザグレブ   三浦知良選手
セリエA     ローマ    中田英寿選手
プレミアリーグ  アーセナル   稲本潤一選手

この他にも、祝Jリーグ30年❶で書いた、釜本邦茂氏ほどの選手はいないにしてもかなり高いレベルの選手がいたはずです。これはJリーグの人気、地域拡大との関係と比例しています。ただ、国際舞台が整っていませんでした。

まだ30年のJリーグですが、この30年で日本のサッカーは強くなりました。海外のレベルの高いチームで活躍する選手も続々と輩出しています。

つい先日、まさに海外のクラブチームで活躍している日本代表ゴールキーパーのシュミット・ダニエル選手がマンガデザイナーズラボを訪問してくれました。

シュミット・ダニエル選手とは中央大学学友会サッカー部時代からの縁です。マンガデザイナーズラボはシュミット・ダニエル選手ならびにベルギーリーグのシント=トロイデンVVとアライアンス契約をしていることもあり、日本代表で来日している期間中に食事に行きました。

中央大学からJリーグのベガルタ仙台、ロアッソ熊本、松本山雅FCを経ての海外移籍。まさに今回のnoteの内容通りのJリーグ誕生以降の選手で、かつ海外チームに移籍した選手で、マネージメント会社の木村陽一郎氏も「好きなサッカーを仕事」にしている人です。

シュミット・ダニエル選手と僕

食事しながら、「ドーハの悲劇」の話や「日韓共催」の話をしたら、まったく知らなく、本当ですか?と言いながら、とても興味深く聞いてくださりました。


Jリーグのピラミッド構想が、若者たちが常に高い目標をもってサッカーに取り組むための支柱となりました。

このJリーグの成功は日本における、「プロスポーツは野球」という概念を壊し、新たなプロスポーツの誕生を刺激し、Bリーグ(バスケットボール)やVリーグ(バレーボール)などを生む流れを創りました。

特にBリーグ誕生にご尽力されたJリーグ初代チェアマン川淵三郎氏のご活躍は賞賛に値します。

こうして日本中の人々もサッカーに限らず、自分自身の目指すものに対して高い希望をもって取り組んでいく機会が増え、まさに「好きなことを趣味にせず仕事にする」ことが増え、日本だけではなく世界(特にアジア)の人々にとっても目標になるように成長し始めています。

百年構想まであと70年。その間には日本代表が必ずワールドカップで優勝し、Jリーグは世界のサッカー選手の目標になっていると確信します。

2043年5月のJリーグ50年の記念試合も必ず観にいきます。サッカーは僕の人生ですから。

「僕とワールドカップ」もアメリカ大会から続きを書きますのでお楽しみに。

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