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元気になる食べ物


仕事を頑張った日、
嫌なことがあった日

心が疲れた時に、「あー、これが食べたい!」と思うものはあるだろうか。


最近、私の職場では大きな変化を迎えることがあった。
のしかかる仕事の量、
理不尽な文句

少し余裕ができた今思うと、かなり疲弊していたんだと思う。

そんな時、頑張った自分へご褒美をあげたくなる。

なぜなら私は自分に甘い。


定時を軽く3時間を超えた帰り道
疲れた体で車を走らせた。
なぜかハンドルはいつもの帰り道と反対の方向へ向いていた。

職場から大きな通りに出て、数百メートル。
あの黄色い「M」の文字が煌々と光っている。

一刻も早く美味しいポテトを口にしたいので、車を停めて店内に入る。

店内は時間も遅いのでさほど混んでいない。


注文をして、お布施を払い、商品を受け取る。


残念ながらフレーバーを追加で買おうとしたところ、売り切れだった。
それ以降、販売が終了してしまい、一生味わうことができなくなってしまった。


珍しく数分待ち、温かい紙袋を受け取る。
その紙袋の匂いも私の癒しの一つになっている。


早速、席に座り、真っ赤なカップから覗く金の細長いお宝。
しかも、運のいいことに揚げたての熱々だった。

神様は私を見放していなかった。
この疲れた体に熱々のポテト。
ちょうどいい塩加減に「これを作ったシェフを…」と呼び出して感謝を言いたい。

袋と口の単純な往復は何度も何度も繰り返される。


小さい頃からポテトを食べると私は無心になる。
視線は見ているようで見ていない、そんな状態になる。

私はそれを「一点ボケ」と呼んでいるが、正式名称は知らない。

ほとんどポテトの姿を見ずにポテトのカップから口への単純動作を数回繰り返していると、
知らぬ間にカップが軽くなる。

終焉が近づいているのだ。

終わり頃のポテトは自然と短く、カリッカリになっている。
むしろ、ジャガイモの姿はない。
でも、それもまた美味しい。

ポテトが食べ終わる頃には仕事のストレスも帳消しになりかけている。


空腹は人の心を荒ませる。
「カロリー」とか、「こんな時間に食べてしまう」
そんな罪悪感はこの際気にせずに、
好きなものを食べてしまおう。


そしてまた、頑張ろう。
そう思える、元気が出る食べ物があるのは幸せなのかもしれない。







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