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待望のソレ

よく晴れた土曜の午後。わたしは一度通り過ぎた道を、しずしずと戻る。そして周りを見渡し、人がいないのを確認してから、地面に転がっているあるものを拾い上げ、そっとコートのポケットに入れた。
軽く膨らんだポケットに緊張と興奮を覚えたとき、ちょうど向こうから車が来るのを確認する。この道は細い。その車を見送ってから、わたしは改めて家路を歩き始めた。

玄関のドアを開けると、暖かな空気がこちらに溢れてくる。外の空気が冷たい分、家の中は暖かい。わたしはリビングに行くと、すぐにテーブルの上へポケットに入れたものを出した。それは、二つに割れた「ザクロ」だった。少し土で汚れたり、傷んだりしているところはあるけれど、可食部は十分にある。わたしはこの「ザクロ」が昔から大好きだった。

そして、そんな大好きなザクロの木が生えているお宅が、近所にあることに気づいたのは、先月のことだったと思う。ちょうど小ぶりのザクロが実り始め、「あぁ秋だなあ」と思ったのと同時に、実りの秋ならではの食欲が湧き上がったのである。
もちろん、そのお宅のザクロを勝手にいただくのは窃盗だ。そんなことをしようなどとは、つゆほども考えていない。しかし、そのザクロの木はお宅の生垣を越え、細い道路側へと大きく伸びていた。

たしか、家の敷地内から出たモノは、そのお宅の所有物ではなくなるとか、そんなような話を聞いたことがある。ということは、木の枝から離れ、地面に落ちたザクロの実であれば、通りがかりのわたしがいただいても、ほとんど問題ないのではないだろうか。
そうしてわたしは、この道を通るたびにザクロの実が落ちていないかをチェックするようになった。

そしてとうとう、その日がやって来た。
昼過ぎに買い物を終え、帰路を辿っていると、道の端に赤い実が転がっているではないか。近くでよく見ると、それは二つに割れており、中には赤く透き通った実が宝石のように輝いていた。それを見てわたしはたまらなく嬉しくなるも、興奮を抑えるために一度やり過ごしたのち、もと来た道を戻ってそれを拾い上げたのだった。

帰宅後、大きなボウルに水を張り、ザクロを入水させる。そうして汚れを落としながら、傷んだ部分と可食部とを選り分けていく。小さな実を全て取り除いたと思っても、薄いクリーム色の皮の下に、まだ真っ赤な粒たちが隠れていることがある。皮を捲ったときに現れる、ぎっしりと肩を寄せ合ったザクロの実はうっとりするほど美しい。取り出すのがもったいないほどだ。

こうして時間をかけて丁寧に選り分け、水にさらし、食べられる状態にしたザクロ。少々小粒だけれど、待ちに待ったかいあって美味しい。あのザクロの木を育ててくださったお宅の家人に感謝しながら、わたしは何度も何度も、この小さな粒々を味わった。

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