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空気を読めるかどうか問題

空気を読めるか、読めないかという話。
ある企画について話し合いを進めており、その企画資料が出来上がった時のこと。資料作成者が関係者各位に「資料について誤りがないか、気になる点がないか、忌憚なき意見が欲しい」と言った。
その資料について、わたしは個人的に気になる点があったが、指摘の仕方によっては”揚げ足取り”ととられかねないため、まずは周りの出方を伺う。すると周りとしては、特段資料に気になる点がなかったようだ。一瞬、じゃあわたしも自分の意見を飲み込んで、「気になる点がなかった」というスタンスを取ろうかと思った。
しかし、わたしの「気になる点」は先々のことを見据えた時に、資料作成者、ひいては自分を含む関係者にとってもマイナスプロモーションになりかねない点だと感じていたため、それはやはりわたしにとっては飲み込めない重要なポイントだった。そのため、資料修正の判断は任せるけれど…という枕詞を入れつつ「気になる点」の指摘を入れた。
すると、場は静まり返った。

…こういうムーヴをしてしまうことが、ママある。そして後から考えた時に、結局自分は空気が読めない人間なのだろうなと思う。周りとの調和や、大きな流れを考えた時、きっと言っていいことと言わなくていいことが存在する。直前までは、そのラインが分かっている(つもりだ)。だけど「でもこれは重要なことだから」「やはり間違いには変わりないから」と最終的にはダンプカーで突っ込んでいってしまう。そうして場をめちゃくちゃにしたあと、「ひょっとするとこれは空気の読めない行動だったのでは…」と我に返り頭を抱えることになるのだ。
幸いにも、今のところこういった言動で大きなトラブルになったことはないけれど、現場によっては厚顔無恥な人間だと思われても仕方がないだろう。それが少し、辛い。
でも今後も同じような場面が訪れた時、結局自分はまた指摘してしまうと思うから、どうしようもないなぁと今ため息をついているところである。

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