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ライブに行きたい。

ライブに行きたい。

配信ライブが当たり前になってしまった。アーティスト側も、自分たちにできることは何かを考えて行動してくれているからこその配信ライブということも知っている。

それでも私は、ライブに行きたい。画面の中のライブじゃ本当に満足できない。

私は大好きなアーティストが観れればいいと思ってライブに行っていない。もちろん、大好きなアーティストのライブだから行っているのではあるが、私が感じたいのはライブハウスの空気である。

ライブの空気感は独特である。ライブに行っているときの私は、幸せすぎて泣きそうになることがしばしばある。それは、好きなアーティストを生で観ている高揚感。このアーティストのことが好きな、名前も顔も知らない人間が集まって一緒に楽しんでいる一体感。身体の芯に響いてくる轟音。もみくちゃで汗だくの身体。四方八方から伝わってくる熱気。降ってくる人間の脚。酸欠。

そう、ライブは、体験である。ライブは五感を刺激する。そして、非常に能動的である。それは、アーティストと観客がいるからこそ成り立つ空間だからだ。私たちは、アーティストの気持ちを受け取る。それに呼応して、私たちも本能をむき出しにして声を出す。人の上を流れていく。その双方の感情の殴り合いが、ライブのグルーヴを生んでいく。

チケットが当選した時から待ちわびる当日。服装選び。会場までのアクセス、ライブ公演の看板。ライブ前の、開演時刻を過ぎてもなかなか始まらない数分間の心臓の鼓動、愛している曲のイントロが流れ始めた時の、IQ3くらいになる時の高まり。ライブが終わってしまう寂しさ。満足感、幸福感。声の枯れ具合。全身の疲労と耳の違和感。ライブ後のビールの美味しさ。あとで気づく腕に残っている青あざ。ああ、幸せとはこのことだった。どれをとっても愛おしい。


ライブは生きる糧だった。一年前に当たり前に行っていたライブ形態ができなくなってから、ずいぶんと経つ。今年は、一度も生音を浴びていない。生きる糧だった割には、まだ何とか生きている。生きてはいるが、ライブのように、私は今、幸せの渦中にいる…!って感じる瞬間は極端に減ってしまったなってふと思った。


ライブに行きたい。もみくちゃになりたい。あの胸の高まりを感じたい。一体感を味わいたい。ただそれだけなのだが。ライブができることは当たり前じゃなかったらしい。生きる力をもらうためにライブに通い続けていた。家よりも大好きな空間だった。

あの空間がないと、私はどこに帰ればいいんだ。

あの空間がないと、私は1人じゃないか。


MONOEYES 「Thermite」

MONOEYESも好きになって長いな。配信ライブ、観なかった。

新譜のツアーはこれで終わりになるのかな。そうだとしたら、本気で寂しいな。