ひきこもりの勉強会に参加してきた② 前編

前回の記事はこちら ↓ ↓ 

勉強会2日目


DVDの始めでは、子どもがひきこもった時の家族の対応について、ある家族のケースや、家族会でサポーターとして活動してる方々のお話などが紹介された。

・親と子どもの価値観のズレ…生きてきた時代や世代がそれぞれ違うことによって、一方的なコミュニケーションが生まれやすい(親が子どもに対して〝演説〟をするなど)

・子どもの立場でも「どうしてこんな状態になってしまったのか」と自責して、自分自身を追いつめる。そして家族も責める

・子どもに 退行(子ども返り) がみられる

・子どものなかでは、家族に対して、申し訳ない気持ちと感謝の気持ちの間を行ったり来たりしている

・家庭内でのコミュニケーションの希薄化が不信や不安、居場所がないと感じる等につながる(例:両親が険悪な雰囲気になってるのは私のせいかもしれない…)

DVDで登場した家族が心がけたこと

・一緒にごはんを食べることで「ここがあなたの居場所だよ」本人に安心感を与えること → 私も同感だ。「居てもいいよ」という姿勢で、普段通りに接してくれている家族には感謝している

・好きな趣味に誘う (ここで登場した父親は、息子を釣りに誘っていた)〝本人を喜ばせよう〟とするのは本人の負担になる。なので、親自身が趣味に没頭したり、楽しんでる姿を子どもに見せるということが大切だということ

・家族とのつながりは、よくも悪くもすごく強く影響する。そのため、膠着状態が続いてしまう場合もあるので、第3者(支援者)の視点が必要になる。 家族会や居場所スペースへの参加などがおすすめ。DVDに出演していた精神科医の斎藤 環氏は、「対話を通じて、安心を与えることが大切で、相互性のあるコミュニケーションがないとダメだ」と話されてました。

・挨拶を心がけること
子どもに無視されてもいいから、挨拶は続けていくこと

・親から子どもへのコミュニケーションだけじゃなくて、夫婦間でのコミュニケーションも行うこと → 両親のやりとりや雰囲気、親の顔色を子どもは気になるし敏感に感じ取るから、2人がギスギスしてると、私がせいだと自責するなど、つい悪い方向ばかりに考えてしまいがちだ。

民生委員やサポステの人の言葉にモヤモヤする


DVD視聴が終わり、前回と同じように参加者同士でグループを作り、自己紹介を兼ねながらの意見交換をしました。私と同じ当事者側の人が居たかどうか今回もわからなかった。おそらく、ここには支援者やひきこもりの子どもがいる親御さん、役所の人がほとんどだったと思う。

やっぱり場違いな気がして帰りたくなったけど、前回に引き続き思い切ってグループに入っていった。自己紹介を終えると、私が当事者であると知ったお父さんが「なんかすごいですね」と私に言った。当事者がこういう場に参加すること自体珍しいから出た言葉だろう。いや別にすごくないし。私はイラっときて「当事者が参加してるのは変ですか?」と喉にまで出かかっていたが、愛想笑いして言うのをやめた。マスクしてたからわからなかっただろうが。

参加したグループはたまたま支援者の方が多く、地元のサポート体制について詳しく聞けたのだが、私が複雑に感じたのは民生委員の人が話していた内容だ。

「〇丁目のどこどこでウロウロしてる人がいる」とか「あの地域の家に住んでるお子さんが~…」「昼間からジャージでウロウロしてる」「泥酔してあちこち怪我してる」と様々なケースがあるそうだ。そう話してるのを聞いていると、「こんな生き方はよくない!」と言われた気がしてくる。支援という名のもとに「そんなんじゃダメ、もっとこうしなさい!」といったその人の思いが伝わる。

個人を特定出来るレベルの内容ではなかったからまだいいが、何区にそういう人がいると知ることはできる。民生委員の人が大体一方的によく喋っていて、それに乗っかって地域若者サポートステーションの人もケースについて話していた。私は聞き役に徹していた。似た者同士なのか盛り上がっていた。残念だけど、この人たちに相談したくはないなと思った。

これは私の偏見だけど、支援者の思いはすごく伝わってくるし、気持ちわからなくもないけど、果たして支援を受ける側の本人はどうしたいのだろうか?困っているのだろうか?本人の意思がどうなのかは全くわからない。私は彼女らの話を聞いていて、「あなたを助けたい!私はこんなに声かけしたりしているのに!」といった本音がチラチラ見え隠れしてる気がした。若干うっとおしい。

情報共有は大切だと思うし、プライバシー保護とかで今はなかなか難しい側面があるから大変だと思う。だが、情報共有が職種間にとどまらず、あちこちに情報が漏れていたとしたら?地域の情報を頼りに、良くも悪くも噂話みたいにあちらこちらで伝わっていたとしたら……??

うわ~… 私だったら嫌だわ。ウロウロしているだけで、変な目で見られてしまう。「なんか住みにくい、生きにくい」と頭によぎった。

支援者の手を借りて、新たな1歩を踏み出せた人もいるはずだけど、「余計な事しないで」「放っておいてよ」という人も居るかもしれない。支援を受ける側が、支援者に対して心をオープンに出来るかどうかは人それぞれだろう。救いの手までも不信に思えたり、最悪〝世間や周りの人はみんな敵〟だと見ている人もなかにはいる気がする。似たような心境に、私もなったことがあった。

以下の記事は、支援を受ける側の「受援力」について書かれていて、目から鱗だったので参考までに載せておきます。


変な人や気になる人を警戒したり干渉してしまうけど、「誰がどう生きようと勝手じゃん」ここでそれ言ってしまったら場が凍りつくし、ほんと身も蓋もないから言わなかった。「我ながら認知が歪んでる」って思いながら、グループトークの時間をやり過ごしていた。

支援者を「世間の目」みたいに感じるときがある。浮世離れした生き方を理想としているわけじゃないけど、どんな風に生きていても、指さされたりせず、影口たたかれない社会の方が確実に生きやすいだろうなぁ。

なんだかつまづいてるけど何に困っているのかがイマイチよくわからない人。困り事があっても、言語化するのにすごく時間がかかる人。「助けて」と言いたくても抑圧されて発信出来ずにいる人。新しい変化が怖い…だけど現状を打破したい、変えたいと考えている人。・・・・人によって色々異なる。

アウトリーチだったり、窓口や病院行く前のワンクッションで相談に乗ってくれる人の存在のおかげで、事態が好転するきっかけにもなる。だから、周りみんな敵だと、自分の見方に固執するのはあまりよろしくない。

不登校やひきこもり関連について、普段本で読んだり、TVやネットニュースで見たり知ったりしていたけど、実際生の声を耳にすることにより、地元でも様々なケースがあると改めて実感させられている。

長年ひきこもっている人。当事者とその親の高年齢化。精神疾患や障がい、さらに病気がプラスしたり…。私からしたらほんと他人事には思えない。

こちらの記事も参考までに。

https://note.mu/meeeglut/n/ncf79f6566c2c

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