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ハイコンテクストロボット哀愁

たまたま東京に遊びに行った日、山手線に乗っていたら、CMが流れた。

浅野忠信が、昔の知り合いだった黄色いロボット?のロボちゃんと再会するが、自身の臭いのせいで咳き込まれてしまう。

そんな、40代の臭いに!みたいなルシードのケア製品のCM。

で、クスッとなったのが、最後のシーン。

身体を洗ってさっぱりした浅野忠信とそのロボちゃんがソファに座っている。

で、床で動いているロボット掃除機を指差して、ロボちゃんがいう。

「あれ、何?」

「あー気にしないで」

と答える浅野忠信。


でも、これ、なぜクスッとなったのか、と考えると、少し迷う。

すぐには説明できないので、考えてみた。

個人的な解釈として。

昔の、それも日本っぽいロボットに対して感じている、哀愁というのをみんなが共有しているからじゃないかな。

国民的猫型ロボットに代表される、キャラクターっぽい見た目と声。

なぜか動きは鈍くて、無駄が多くて、時には人間のように失敗もするんだけど、憎めない感じ。

そんなロボット像をまんま写したようなロボちゃん。

それに対して、どこまでも実用として生まれた最先端お掃除ロボットが通り過ぎる。いきなり現れる、グッと実生活と地続きなアイテム。

比べると、なんだか古さ、架空さが際立ってしまう。

みんなで楽しく信じていた架空さが。

そしてなんか、ロボちゃんにはそれを知って欲しくない。

大事に愛でてきたロボちゃんだから、悲しい思いをさせたくない。


ハイコンテクストだなあ、と思う。

それは批判ではなくて、私はむしろ大好き。こうやって示されてみないと分からないものを探り出して使う発想に、感嘆する。


あれこれ考えたけど、本当はもっと単純な解釈もあるんでしょうか。

私と同じくあのシーンが心に引っかかってしまった方は、理由を教えていただきたいです。

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余談ですが、カバーイラストはこのロボちゃんの件で思い出した、小学生の頃好んで描いていたウサギロボとその吹き出しコメントの再現です。

まさに古いタイプのロボット像。

口癖は「ココロハドコニアル?」という設定でした。なんだか恥ずかしい。。。

その頃から、人工知能の扱いというのに興味があったのかなあと感慨深いです。

 人工知能について思うことはこちらの記事にも書いてます。

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最後まで読んでいただきありがとうございます。
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