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50代以降の「働き方」についての考察

僕は50代に入り、

10年前に出会い、そこから約3年間お世話になった店に

再び舞い戻ったわけですが、

今回のこの転職には

自分にとって

今までにはない「働き方改革」

という意識の芽生がありました。

20代から30代にかけては

日本でとにかくがむしゃらに働いて、

家族を養うためと、

自分のスキルを上げるために、

文字通りの馬車馬として働きました。

37で渡独してからの13年間は、

ただひたすらにキャリアアップの為の試行錯誤でした。

移住してからは常にChefとして働きつづけ、

それぞれのお店で業績アップと、日本食文化へのアプローチ、

そして料理人としての自分の認知を広げることに

躍起になっていたと思います。

それは一朝一夕でできることではなく、

一長一短の右往左往の紆余曲折で

様々なことを犠牲にして走り抜いた気がします。

そして2019年〜2020年に

世界的有名シェフ松久信幸のMATSUHISAで

NOBUさんと出会い、

寿司ヘッドシェフを経験させてもらったことは

僕に料理人人生において一つの大きな節目となりました。

いろんなことへの気づきがあり、

自分の人生を振り返るのに

とても多くの学びがありました。

そこを経て、

僕が次の舞台を選んだのが、

古巣である今の店です。

10年前の2010年から約3年間、

僕はこの店の板場に立ち、

地元のお客様に

まだ当時何の面識もなかった

日本食や日本の寿司を提供しつづけました。

この州では初めての日本人シェフだったし、

世界では日本食ブームと謳われながらも、

ドイツの地方都市では

まだまだ「本物」に触れる機会はありませんでした。

その店も新規オープンからの立ち上げだったので、

僕自身もかなり力が入っていたのを覚えています。

こだわりを持っていざ挑んだものの

必ずしもそれが受け入れてもらえる保証はなく、

順風満帆とはいきませんでした。

それでも

今日来てくれたお客様を

絶対に喜んでもらおう、

満足してもらおうと

常に向上心を持って、

あの手この手と工夫を凝らしてやりつづけた結果

最後には

僕に会いに来てくださる温かい笑顔のお客様に包まれる

そんなお店になりました。

その当時「やり切った」と思った僕は、

次に大きな街でもっと自分の腕を試したくなって

そのお店を去ったわけです。

遠くその街を離れてからも、

このお店のことは

ずっと記憶の隅に残りつづけていました。

2020年、僕はキプロスにいました。

コロナ禍に入る前の二月の終わりでした。

自分にはまだまだやれることがある。

次にやれる舞台はどこなんだ?

そんなことを模索していたとき

その店のオーナーからの一報を受けました。

「もう一度一緒に仕事をしませんか?」

そのお店は、

僕が辞めてから様々の変遷がありました。

かなりご苦労も多かったようです。

その当時は本業との掛け持ちでレストラン経営をされていましたが、

レストラン経営に専念するために仕事を一本に絞られた。

安定の仕事に見切りをつけて

僕と始めたレストラン経営に専念すると言われた。

レストラン経営の礎を築いた僕と

もう一度仕事をしたいと仰っていただいたとき

僕はこれからの人生の働き方は

「信用を数値化する」仕事をしなければいけない、

と悟りました。

自らの知名度やキャリアアップや

収入の向上ではなく

僕という個人の信用、信頼度を活かした仕事をしていく。

それは僕にとっての

大きな「働き方改革」でした。

そうした成り行きで、

僕は古巣である Kiel に戻ってきたのです。

リゾート地の5つ星ホテルのグローバル企業から

ドイツの地方都市の個人経営レストランに

深刻化するコロナ禍で

レストラン営業もままならない現実の中で

現実的を直視すれば

不安要素が尽きない選択肢ではあったけれど、

僕は、僕を必要としてくれている

信用し、信頼してくれている人に

僕の持てる技量を

全てを注ぎ込もうと決意しました。

このビジネスは何としても成功させなければならない。

ここで倒れるわけには行かない。

僕は現場でオーナーを支え、

店の灯火を消さないように

そしてより明るい光に灯せるように

今は毎日自分をそう鼓舞してしています。

いただいたサポートは今後の活動に有効に活用いたします!