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二項対立の脱構築「一斉と個別」


 授業における指導は、「一斉」か「個別」のどちらが良いのでしょうか。それぞれの主張を見ていきながら、「どちらか」でなく「どちらも」取り入れられるような、そんな提案をしてみます。ちなみに、脱構築とは、フランスの哲学者であるジャックデリダの概念です。

<一斉派の主張> 


 一斉というのは「一斉指導」のことです。学校というのは、教師が一人につき、児童が最大で四〇人はいるような空間です。そのような空間での指導となれば、それは当然、一斉指導が指導の基本になってくるでしょう。40回も指導なんてしてられませんからね。


 教室での学習は先生がいないと始まりません。だからこそ、児童は先生の言葉をしっかりと聞かなくてはなりません。「手はお膝」という指導は入学したての一年生の児童へ初めに行う大切な指導でしょう。児童に手遊びをされていたら、一斉指導を聞いてもらえませんから。児童全員にこちらの指導を一度で聞いてもらうためには、教師は手を替え品を替え、児童の注意を引きつけないといけません。そして教師は、そのような技術をこれまで磨いてきました。


 「一度しか言いませんからね!よく聞いてね!」
 「指の先に注目!」
 「背筋ピン、手はお膝!」


 こうして児童は、それまでとは違うコミュニケーションの仕方を学ぶのです。それまで、児童は「家庭」や「幼稚園・保育園」で過ごしてきたことでしょう。ここでのコミュニケーションは基本的に先生と子どもとの「一対一」でのものです。「幼稚園・保育園」では、年齢が上になると、その指導の中で、一斉指導を取り入れていることもありますが、これも「一年生に向けた」という意味合いも大いにあるでしょう。つまり、学校でのコミュニケーションは、他でのコミュニケーションとは違うのです。そして、ここに慣れてもらわなければ、教室で学習をすることは困難になると言わざるを得ません。だって、教室には教師が一人しかいませんからね。

<個別派の主張>


 一方、個別というのは「個別指導」のことです。学校でのコミュニケーションは一斉指導に重きが置かれすぎていているのではないでしょうか。しかし、人間はそのような形でコミュニケーションを取ることは本来できないはずです。コミュニケーションとは「対人」が基本です。しかし、一斉指導は「対集団」へのものです。それでは「聞くことができない児童」がいても不思議ではありません。しかし、一斉指導ばかりを考える教師は、そういう児童を責めてしまいがちです。


 「また、あなただけ聞いていない!」
 「あなたの耳はどこにあるのですか?」
 「あなたのせいで、もう一度言わないといけません」


 こうして、学校での「おかしなコミュニケーション」が原因なのに、責め立てられ続けて、学校に通うことが辛くなる児童はたくさんいます。そして、その多くの場合、児童の怠惰というよりも、児童自身にはどうにもし難いような特性に起因することも多いのです。


 このことを保護者に訴える教師も一部にいます。そして、そういうときは保護者もキョトンとしてしまうことが多いのです。「だって家では聞いてくれますよ」。そうなのです。その子は「話が聞けない子」ではなくて、「一斉指導が聞きにくい子」なのです。大体、我々大人だって、一斉指導をを聞くのは苦手ですよね。職員連絡会で伝えたことの多くは、聞いてほしい人には伝わっていません。人間は一斉指導というコミュニケーション自体が苦手なのかもしれません。
 

<一斉指導と個別指導のハイブリッド>


 一斉と個別。どちらも言い分もよくわかります。個別指導の重要性だって、よくわかりますが、すべての指導を個別指導にするわけにもいかないでしょう。結局、白か黒かでは水掛論になってしまいます。中庸が一番なのです。ここは、間をとって一斉と個別のハイブリッドで行きましょう。

 まずは一斉指導で指導しましょう。これは教室の構造上、仕方のないことです。40人の児童に対して、先生は一人ですからね。しかし、それで「万全」と安心してはいけません。学級の実態にもよるでしょうが、僕は一斉指導は「6割」くらいに伝わればいいと思っています。

 次に、残りの聞けていない「4割」のうち「3割」は「周りの状況を見て判断できる」と考えています。この層が大切です。この層は「一斉指導だけでは理解できないけど、周りの状況と合わせたら理解できる児童」です。この児童たちへのケアは基本的に必要ありませんが、この児童たちが「理解できる」までは待ってあげることが大切です。つまり、教師の中には「あなた、キョロキョロして、聞いてなかったの?」と詰問してしまう人がいます。それでは「理解できる」力があるのに、その力が発揮できません。この言葉が適切かはわかりませんが、しばらく「泳がせて」おきましょう。明らかに脱線したら、助けてあげたらいいですが、児童の多くは自分で「軌道修正」をすることができます。

 こんな話を聞いたことがあります。コロナ禍でオンライン授業をしていたとき、ある保護者が授業の様子を見ていると、子どもたちは先生の指示をあまりに聞けていなかったそうです。その理由を考えてみると、まさに先ほどの話なのですが、オンライン授業では「周りを見ることができない」からだろうと、その保護者は推測したそうです。たしかに、我々大人だって「話だけを聞いて理解した」つもりになっていても、実際、周りが動き始めると「おや、なんだか違うぞ」となることはありますよね。そして、シレッと軌道修正をかけますよね。子どもたちも同じなのです。私たちが考えているほど、一斉指導は伝わらないのかもしれません。
 最後の「1割」に対しては、個別指導は必須でしょう。この児童たちは「一斉指導で理解する」ことが難しいのだと思います。それは、児童の特性も関係しているかもしれません。本人の努力云々ではない部分もあるのでしょう。でも、「1割」であれば40人学級でも「4人」程度です。そこまで無理難題ではありません。しかも、この「1割」はコロコロと変わるわけではありません。基本的には同じ子どもたちです。

 こうして、一斉指導と個別指導をハイブリッドで運用すれば、これまで以上に、あなたの伝えたいことが児童に伝わるかもしれません。
 「集団か個か」とはよく言われる問いですが、僕はその二項対立は間違っていると思います。正しくは「集団は個」です。集団を構成している子どもたちは、それぞれ「個」なのです。教師がそれぞれの「個人」としっかりと繋がっていれば、一斉指導の効果だって高いのではないかなと考えています。つまり、一斉指導の上手な先生は、個別指導も抜群に上手である。これは、私の経験的直感です。