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今を生きる奇跡

私には小さい子どもが2人います。
道路に走り出しそうになったり、何でも口に入れたり、毎日がヒヤヒヤの連続です。



特に産まれてすぐの頃は手足も細く、か弱くて、ちゃんと息をしているか何度も確認していました。
私は母乳とミルク両方をあげる混合育児をしていたので、母乳をちゃんと飲めているのか不安になったりミルクを作っては熱すぎないか心配したり、それはもう不安で仕方なくて。
右も左もわからないまま、親としての毎日が始まりました。


首が座るまでは必死に首を支え、大事に大事に抱っこして。
ハイハイを始めれば、家具の角に頭をぶつけないよう至る所にクッションを貼りました。
何でも口に入れるようになれば、周りに危険物がないか目を光らせて、つかまり立ちをするようになれば、後ろに倒れないよう細心の注意とフォローを欠かしません。


大袈裟に聞こえるかもしれないけれど、この小さな命を守るために、毎日必死です。


そしてそれはきっと、私の両親も同じだったのではないかと気づきました。


私が今生きているのは、両親のやさしさに守られ、救われてきたから。


大人になるまで。
いや、大人になった今でも。


やさしさに救われて、今を生きています。


当たり前のように生きているけれど、実はすごく奇跡的なことでした。



そして今までの人生を振り返ると、両親以外にもたくさんの人からやさしさを受け取っていることに気づきました。


悩んだり悲しかったり苦しくて仕方なかったあの頃。
私が押しつぶされずに今まで生きてこられたのは、側で励ましてくれた友人のやさしさがあったから。
親身に相談に乗ってくれた先生のやさしさがあったから。
ありのままの私を受け入れてくれた上司のやさしさがあったから。



そして直接私のための行動ではなくても、私を救ってくれる光景はたくさんありました。



散歩している白いふわふわの犬を見て、心が癒されたことがあります。
言葉のない自然に励まされたこともあります。
青い空や青い海、咲き誇る花々などは見るだけで心を落ち着かせてくれました。




その背景には、犬を思う飼い主のやさしさがあり、海を綺麗に保つために掃除をしてくれる人のやさしさがあり、花を手入れする人のやさしさがあります。



行動には沢山のやさしさが詰まっていて、そしてその行動に、どこかの誰かが救われているんです。


もちろん全ての行動にやさしさが詰まっているわけではないと思います。
綺麗事だと言われるかもしれません。



それでも。
少なくとも私は、そうして近くからも遠くからもやさしさを受け取った経験によって、今を生きています。



世界はやさしさに満ちている。



大きなことを成し遂げられなくても、小さな行動が誰かを救うと信じて生きていきたい。


まずは我が子に、将来生きる糧となるよう、たっぷりの愛情とやさしさを注いでいこう。


そして周りにあるたくさんのやさしさに気づける大人になって欲しいと願っています。

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